映画『ロッキー』にも影響 伝説のボクサー、ジョー・フレージャー氏死去 2011年11月9日 シネマトゥデイ
自ら話していたとおり、アリと比べられることで、不遇に見舞われたフレージャー氏。しかしその活躍は華々しく、肩書は元世界ヘビー級王者、1964年には東京オリンピックで金メダルも獲得している。
最大のライバル、アリとの戦いは、今でもボクシング史に残る一戦ばかりだ。アリは、フレージャー氏の死を受けて、「世界は偉大なチャンピオンを失った。わたしは、これからも尊敬と称賛の意をもってジョーを思い続ける。彼のご家族と愛する人たちに哀悼の意を表します」とコメントしている。
http://www.cinematoday.jp/page/N0036874
ジョー・フレイジャー VS モハメド・アリ 第1戦 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=RvTtbBMbej0
"Smokin" Joe Frazier Career Highlight 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=tc7Kx468fiY
ジョー・フレージャー ウィキペディア(Wikipedia)より
ジョー・フレージャー("Smokin'" Joe Frazier、1944年1月12日 - 2011年11月7日)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。「スモーキン・ジョー」と称される機関車のような突進力とスタミナを備え、リズミカルに上体を揺すり、相手の攻撃を避けながらクラウチングスタイルからの左フックを得意とした。モハメド・アリをプロキャリアで初めて敗北させたボクサーでもあった。息子のマーヴィス、娘のジャッキー、甥のロドニーもプロボクサー。
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『文藝春秋』 2012年1月号
蓋棺録 「ジョー・フレージャー」 (一部抜粋しています)
元WBA世界チャンピオンのジョー・フレージャーは、モハメド・アリとの死闘を制して、名実ともにヘビー級世界王座に君臨した。
1971年3月、フレージャーはチャンピオンとして、復帰したアリを迎え撃った。無敗のアリが兵役拒否で王座を略奪された後、代わって王座についたのがフレージャーだった。因縁の試合、激しい打ち合いは続いたが、最終ラウンドでアリからダウンを奪う。
44年、サウスカロライナ州ビューフォートに生まれる。農民の父は貧しく、4ヘクタールの農地では家族を養えないため、近くの農園でも働いていた。フレージャーも手伝い、「父親の左腕となれることが誇り」だった。父は若いころに左腕を失っていた。
子供のころからボクサーになるのが夢だった。本格的なトレーニングを始めたのは10代になってからで、初めは見込がないといわれた。しかし、めきめき上達して、20歳のとき東京オリンピックで金メダルに輝く。左親指の骨折を隠しての栄冠だった。
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アリとの闘いは壮絶だった。勝利したものの、フレージャーも病院に運ばれた。その後、73年までチャンピオンの座を守ったが、ジョージ・フォアマンとの闘いで6度のダウンを喫して敗れる。
必ずしも体力に恵まれているとはいえなかった。「大事なことは1人で頑張ることだ。不測の事態で役に立つのは、トレーニングで鍛えた反射神経だけ」。アリからダウンを奪ったのも、とっさに出た左フックだった。(肝臓がん、67歳)
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ジョー・フレージャー Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC&sa=N&espv=210&es_sm=93&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=Yl-hUqS_D46IkgXT1oD4Bg&ved=0CCoQsAQ4Cg&biw=974&bih=602