じじぃの「人の死にざま_1179_戸村・一作」

三里塚闘争 全学連突撃部隊VS国家権力 動画 デイリーモーション
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実存の戸村一作 私の中に生きる れんが書房新社
●本の内容
1999年10月18日、成田空港「暫定案」をかざして公聴会が開かれた。だがその席に反対派農民がふたたび座ることはなかった。キリスト者戸村委員長の魂が呼ぶ。「土に親しむ平和の民よ、神より託された大地の息を断とうとする一切の悪霊に立ち向かえ。自己内心の敵を撃て!」戸村一作逝いて20年、その実存がいま深く三里塚を領導する。
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101608859
戸村一作
「一線を画す」ということでは、共産党でも、反動的なキリスト教会や、芸術家団体でも、三里塚に一線を画してきた。そういう意味ではいまさらおどろかない。しかし、122名もが修正動議に名を連ねたということはすばらしいことだ。
http://www.geocities.jp/kanemasa18/akaibusu/tomura.htm
『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
戸村一作(とむら いっさく) (1909 - 1979) 70歳で死亡。 (一部抜粋しています)
若いころからクリスチャンの反戦主義者であったが、家業の農機具修理と二科展の彫刻家として静かな生活をしていた戸村は、昭和38年、成田国際空港設置に地元民代表として反対同盟委員長となったが、43年、デモ隊と機動隊の衝突に際し、機動隊のために大けがをしてから、いよいよ政府への抵抗の権化(ごんげ)となった。
彼は「廃港」へむけて徹底抗戦を唱え、52年4月、妨害鉄塔撤去後の集会では、「平地に波瀾を起そう、無い線と暴動を起そうではないか」と絶叫した。老いの姿に白いヘルメットをかぶった姿はいわゆる成田闘争のシンボルとなり、国家の権力も手がつけられなかった。
が、昭和54年夏ごろから彼は病んだ。国立がんセンターの中沢英一運営部長は語る。
「入院は8月27日。病名は悪性リンパ腫というんですが、これは簡単にいうと血清の病気で、全身が腫れて衰弱する。わりと珍しい病気です。罹患はかなり前からだったんじゃないでしょうか。(中略) 9月中ごろまでは、顔色も良く、病状も好転しまして、一時、腫瘍の進行も止ったかなと思われたんですが、10月に入ってからは食べ物がのみ込めなくなり、栄養不良の感じになってしまった。病状が目に見えて悪化したのは亡くなるほんの少し前からで、約2ヵ月の入院生活は、非常に平穏なものでした。 亡くなられたのは11月2日午前11時31分、全身の衰弱で、意識がとぎれ、呼吸の間が長くなり、ふっと息が止って御臨終でした」(週刊新潮
意識を失う前、かすかに笑みをうかべ、夫人につぶやいたのは、「デモは出発したか」という言葉だった。

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