じじぃの「人の死にざま_1089_J・スノウ(医師)」

Dr John Snow and Co. 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=XCQbi8zzrkc
知の回廊 第76回『コレラパンデミック 〜疫病による英国都市の変容』 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dMX4tq0bqdM
疫学 ウィキペディアWikipedia)より
疫学(Epidemiology)は、個人ではなく、集団を対象とした、疾病の秩序ある研究である。疫学は、病気と怪我の頻度、そしてその分布に影響する因子を対象とする。
ただし、「集団を対象にする秩序ある研究」という部分以外については諸説あり、国際的な合意は得られていない。
医学部、教育学部や経済学部等の幅広い学生に勉強されている。手法として統計学を多用する。
【歴史】
疫学の始まりはジョン・スノウのコレラ研究にあると言われる。コレラのイギリス侵入(1831年10月)当時、コレラは空気感染すると考えられており恐れられていた。しかしスノウは同じ流行地域でも患者が出る家は飛び飛びである等の知見を得て空気感染説に疑問を持ち、「汚染された水を飲むとコレラになる」という「経口感染仮説」を立て、疫学的調査と防疫活動を行った。
ジョン・スノウ(医師)(John Snow、1813年 - 1858年)は、イギリスの医師。疫学の創設者であり、麻酔の発展に大きく貢献した。

                              • -

『細菌が世界を支配する―バクテリアは敵か?味方か』 アンマクズラック/著、西田美緒子/訳 白揚社 2012年発行
歴史のなかの細菌 (一部抜粋しています)
疫学のはじまりは、1800年代にロンドンで何度も猛威をふるったコレラの流行を食いとめようとした医師の、粘り強い努力だった。ロンドンの医師ジョン・スノウは、1854年9月の日誌にこう書いている。「数週間前にブロードストリート、ゴールデンスクエア、それらに隣接した通りで発生したコレラは、この王国でこれまでに起きたコレラの流行のなかで、もっともおそろしいものだろう」。同僚の医者たちは進退きわまっていたが、スノウはソーホー地区に足しげく通い、コレラが多発している場所の周辺で、家を一軒一軒訪ねては家族の健康状態や生活習慣をコツコツ調べ歩いていた。しかし、住民から集めたことこまやかな情報は、多くの患者が訴える激しい下痢とは何の関係もないように見えた。
それでもスノウは根気よく調査をつづけ、山ほど集まった記憶をふるいにかけていった。すると、コレラによる死者83人のうち73人が、無料で水を使える共同井戸のポンプから2ブロック以内に住んでいることに気づいた。激しい下痢の発生は、家族がそのポンプでくんだ水を利用している頻度に関係していた。ポンプの取っ手をはずして井戸水を使えなくするだけで、1854年ソーホー地区で発生したコレラの流行を食いとめたスノウは、その後、疫学の父として名を知られるようになる。現代の疫学が用いているのも、スノウと同じ手法だ。疫学者は病気の多発地区を追跡し、病人たちの共通性を探っていく。よく見られる症状について医師や病院からの報告が増えたなど、そのほかの手がかりも集める。ある地域のトイレットペーパーの売上が急に増えたことで、水が媒介する伝染病の発生が見つかった場合もある。
スノウは、病原菌の出所が共同井戸だなどとは想像もつかないままに、調査をはじめていた。当時の人々は、そのころの病気の多くが水と結びついているとは思っていなかった。ドイツの微生物学ロベルト・コッホが、水が媒介するこの病気の原因となるコレラ菌を発見したのは、ソーホー地区コレラが発生してから30年後のことだ。

                              • -

医師 ジョン・スノウ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&gs_l=hp....0.0.5.14711...........0.o3tqjOigeZw&sa=X&oi=image_result_group&ei=SqkVUf27DIXImAWtsoGwCA&ved=0CBsQsAQ&q=%E5%8C%BB%E5%B8%AB%20%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%82%A6%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch