じじぃの「世界遺産・エチオピア・ルーシーが訴える和の心!ユネスコ事務局長は訴える」

Darwin, Lucy and the Quest for Human Origins 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ztK-k2PS64c
Ardipithecus Ramidus -- Fosil incelemesi (Bolum 1) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ppkh_4j_xHU
アワッシュ川下流 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/8/8f/LocMap_of_WH_Awash.png/250px-LocMap_of_WH_Awash.png
アワッシュ川下流 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&prmd=ivns&ei=sRNwT_f0BobvmAWj4YGJBg&oq=%E3%82%A2%E3%83%AF%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%B7%9D%E4%B8%8B%E6%B5%81%E5%9F%9F++%E7%94%BB%E5%83%8F&aq=f&aqi=&gs_l=serp.3...4914l7519l0l8174l8l8l0l7l0l0l62l62l1l1l0.frgbld.&oi=image_result_group&sa=X&q=%E3%82%A2%E3%83%AF%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%B7%9D%E4%B8%8B%E6%B5%81%E5%9F%9F%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch
“ルーシー”の足には土踏まずがあった 2011年2月14日 ナショナルジオグラフィック
新たに見つかったアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の足の骨から、人類初期の祖先は現生人類と同じ直立二足歩行をしていたことがわかった。アファール猿人は、1974年に発見された「ルーシー」の骨格で知られている。アファール猿人の直立二足歩行はわかっていたが、歩行能力の程度は不明だった。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110214002
発見!ラミダス猿人 〜440万年前の“人類”〜 2010年7月10日 NHK
アメリカの科学雑誌サイエンスが発表した2009年最大のニュース。それは、アフリカ東部エチオピアで発見され、復元された猿人の化石、「アルディピテクス・ラミダス」(ラミダス猿人)だった。 その発見は、人類がどのような足跡をたどってきたのか、これまで謎とされてきた部分に光を当てるものだった。
http://www.nhk.or.jp/co-pro/recent/20100710.html
人類の誕生 ウィキペディアWikipedia)より
ヒト亜科のうち、ピテクス(サル)という語尾の名前が付けられているものは、猿人と呼ばれます。なかでも有名なのはアウストラロピテクス(「南の・サル」の意味)です。中東アフリカで見つかった、ルーシーという名前で有名なアウストラロピテクスの女性の一個体は、400万年前から300万年前くらい前に生きていたと考えられています。初期の人類の祖先の化石が見つかる地域はアフリカに集中しています。
猿人が他の猿と大きく違うのは、直立二足歩行です。つまり二本足で立って歩いていたということです。ゴリラやチンパンジーはどちらかというと二本足で歩くこともできるという感じですが、猿人は楽々と歩いていたようなのです。これはとても重大な事です。なぜなら二本足(後ろ足)で立つと、空いた前足(手)に何かを持つことができるからです。すなわち道具の使用が可能になったのです。
もうひとつ、二本足で立つことのメリットは脳が大きくなることができたということです。四本足で歩く場合は、首は水平方向から頭を支えることになります。すると、あまり頭が重いと前にのめってしまい、歩きにくくなります。ところが二本足の場合は頭の重さは垂直方向に首にかかります。より重い頭を支えられるようになるのです。とはいえ、アウストラロピテクスの脳は400〜500ccくらいでした。チンパンジーよりちょっとだけ大きいくらいです。現在の私達の1400〜1500ccからすると比べ物になりません。
200万年前になると、ホモ・ハビリスが現れました。これは、初めてヒト属(ホモ属)に属する生物種だといわれています。
ホモ・ハビリスは石器を使いました。石器は人工の歯や牙や角として機能します。他の動物を以前よりもはるかに容易に殺傷する力を得たのです。
ルーシー (アウストラロピテクス)  ウィキペディアWikipedia)より
アウストラロピテクスのルーシーは、1974年11月24日にエチオピア北東部ハダール村付近で発見された318万年前の化石人骨である。アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の中で最初期に発見されたものの一つとして、また、全身の約40%にあたる骨がまとまって見つかったという資料上の貴重さから、広く知られている。
ルーシーをはじめとするアファール猿人の化石人骨群が発見されたアワッシュ川下流域は、1980年にユネスコ世界遺産リストに登録された。
エチオピアの現地語ではディンキネシュ(「貴女は驚異的だ」の意)という名前も与えられており、切手にもなっている。 この猿人の発見は、類人猿に近い脳容量と人類に近い直立二足歩行を行なっていた痕跡を示す人骨という点で重要であり、さらに、人類の進化において脳容量の増大よりも二足歩行が先行していたことを裏付ける証拠にもなっている。

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世界遺産ライブラリー [アワッシュ川下流域] NHK世界遺産
アワッシュ川は中央高地から北東部の砂漠地帯へ流れるエチオピア第2の川です。その下流域は化石の宝庫として知られ、人類史上の貴重な証拠となる数々の化石が発見されてきました。
「シリーズ世界遺産100」では、1974年の世界的発見の経緯と意義を伝えます。アワッシュ川下流域は半砂漠地帯ですが、数百万年前は緑豊かで多くの動物たちが生息していました。風化した土壌から太古の動物の化石などが見つかり、1960年代から各国の調査隊が訪れていました。
1974年、アメリカの人類学者ドナルド・ヨハンソン博士の調査で数百の化石が見つかり、それらの化石の中からひとつの固体の40パーセントに相当する骨格の化石が選り分けられました。さらに体全体の復元が試みられ、320万年前の直立歩行する「アファール猿人」の成人女性だということが分かりました。猿人は、当時調査隊がよく聴いていたビートルズの「ルーシー イン ザ スカイ ウィズ ダイアモンド」にちなんで「ルーシー」の愛称が付けられました。
「ルーシー」は猿人と現生人類との進化の上で、謎の時代を知る重要な手がかりです。アワッシュ川下流域では今日に至るまで継続して調査が続けられています。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards739.html
世界遺産――ユネスコ事務局長は訴える』 松浦晃一郎/著 講談社 2008年発行
ルーシーが訴える「和」の心 (一部抜粋しています)
パリに本部を構える国連専門機関ユネスコの事務局には、国籍160ヵ国を超えるスタッフが働いている。各々が生活習慣や文化背景を異にしているから、あたり前のことながら、様々な場面で対立することも少なくない。私は1999年11月にユネスコの事務局長に就任して以来、折りに触れて「和」の精神を説き、チームプレーの必要性を訴えてきた。その思いが通じたのか、今では執行委員会のメンバー国からも「和」という言葉が使われるまでになっている。
「和」といえば、私の母国が日本だから、と連想されるに違いない。しかし、私が本当の意味で「和」の重要性を悟ったのは1999年3月、事務局長選を前に訪れたエチオピアの首都アディス・アベバの国立博物館で、二足歩行をはじめた人類の祖先ルーシーと出会ったこのち遡る。ルーシーは320万年前に生息していたアファール猿人で、身長1.20メートルくらいの女性だったと推測されている。ふつうは石膏の模型しか見られないところを、私が当時ユネスコ世界遺産委員会の議長を務めていた関係で、本物のルーシーと対面する機会に恵まれたのである。
博物館の一室に通されると、金庫に保管されていたルーシーの全身の骨の化石がテーブルに広げて置かれていた。それまでホモ・サピエンスの頭蓋骨や歯など、頭部や身体の一部の人骨を見る機会はあったが、背骨から足に至るすべての部位がそろっていたのは初めてだった。私の目の前に横たわっている小柄な女性から、この320万年の間に人類はたゆまず進化を続け、いまや60億人に膨らんだ彼女の子孫の一人として私はここに立っている――。そんな思いに胸が熱くなり、しばらく言葉が出なかった。
ヒトを類人猿と隔てる大きなポイントが直立二足歩行だが、最初はヒトも樹上生活を営んでいたらしい。小柄なルーシーも前屈みで、四足歩行と二足歩行の両方の特性を使い分けて暮していあたのではないかという印象を受けた。身体全体の骨が発見されているからこそ、人類の生活習慣にまでロマンが広がる。ルーシーの発見は、人類史上にとって最も貴重な財産のひとつと言えるだろう。
2002年7月にはアフリカのチャドで、700万年前のトゥーマイ猿人の頭蓋骨の一部が発見されている。それまでは600万年前の猿人が最古とされてきたが、さらに100万年前の遡る猿人の骨が発見されたとあって、世界を駆け巡るビッグニュースとなった。
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もっとも、我々人類の直接の祖先は約20万年前にアフリカに出現したホモ・サピエンスの女性とされている。つまり、ルーシーの属するアファール猿人など様々な猿人のひとつからホモ・ハビリス、次いでホモ・エレクトス、そして最後にホモ・サピエンスが誕生したわけだ。さらに大きな枠組みで捉えれば、800万年前にすでに類人猿から分かれて人類の歴史が始まり、16種類ものヒト属が生まれては消えるという繰り返しを経て、最終的にホモ・サピエンスの誕生に至ったことになる。
気が遠くなりそうな人類誕生の歴史を繙(ひもと)くとき、ルーシーはかけがえのない存在として私の心を打つ。なぜなら、どんなに文化習慣が違おうが、歴史が民族を分け隔ててこようが、我々60億(2000年時点での世界の人口)は同じ祖先で結ばれているという紛れもない事実を目の当たりにするからだ。共に歩むという「和」の真髄を、ルーシーは無言で訴えかけているように思えてならない。

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どうでもいい、じじいの日記。
図書館から、松浦晃一郎著 『世界遺産――ユネスコ事務局長は訴える』という本を借りてきた。
松浦晃一郎さんという人は1999年〜2009年11月まで国連のユネスコ事務局長を務めた人だ。世界遺産に登録するかどうか最終決定していたのはこの人だった。
ユネスコは、1978年の第2回世界遺産委員会で自然遺産4、文化遺産8が、第1号の世界遺産リスト登録をした。
【自然遺産】シミエン国立公園エチオピア)、イエローストーンアメリカ)、ナハニ国立公園(カナダ)、ガラパゴス諸島エクアドル)。【文化遺産アーヘン大聖堂(ドイツ)、クラクフ歴史地区ポーランド)、ヴィエリチカ岩塩坑ポーランド)、ラリベラの岩窟教会群エチオピア)、ゴレ島(セネガル)、メサ・ヴェルデアメリカ)、ランス・オ・メドー国定史跡(カナダ)、キト市街(エクアドル)。
エチオピアの「アワッシュ川下流域」は1980年に文化遺産として、ユネスコ世界遺産リストに登録された。
本の最初に「ルーシーが訴える『和』の心」がある。
「アワッシュ川は中央高地から北東部の砂漠地帯へ流れるエチオピア第2の川です。その下流域は化石の宝庫として知られ、人類史上の貴重な証拠となる数々の化石が発見されてきました」
この下流域から直立二足歩行していた最初の人類(アファール猿人)と思われる人骨が見つかり、「ルーシー」の愛称がつけられた。
「私の目の前に横たわっている小柄な女性から、この320万年の間に人類はたゆまず進化を続け、いまや60億人に膨らんだ彼女の子孫の一人として私はここに立っている――。そんな思いに胸が熱くなり、しばらく言葉が出なかった」
2010年7月、NHK BSで「発見!ラミダス猿人 〜440万年前の“人類”〜」を観た。
1992年、エチオピアアファール低地で、東京大学の諏訪元教授らを中心とする国際調査チームによって「ラミダス猿人」が発見された。
この猿人は約440万年前に生きていたことが判明した。性別は女性で「アルディ」と名づけられた。これは「ルーシー」から、人類の進化をさらに100万年以上さかのぼるものだった。
人類の誕生の発見に日本人が深く関わり、その世界遺産決定にも日本人が深く関わっている。
私は自分が何者であるのか、知りたいだけである。(くそじじぃであるが)