じじぃの「人の死にざま_782_C・ドップラー」

efecto doppler - christian doppler ( DS ) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zjXJynekcRA
Doppler effect - Supersonic source 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=35goU1SlAXE&feature=related
クリスチャン・ドップラー フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ヨハン・クリスチアン・ドップラー(Johann Christian Doppler, 1803年11月29日 - 1853年3月17日)は、オーストリアの物理学者、数学者、天文学者
観測者と震動源との相対運動によって振動数が変化することを詳しく調べ、1842年、それをもとに数学的な関係式をつくった。いわゆる「ドップラー効果」である。
オランダ人の化学者・気象学者であるクリストフ・ボイス・バロットが、1845年、オランダのユトレヒトで、列車に乗ったトランペット奏者がGの音を吹き続け、それを絶対音感を持った音楽家が聞いて音程が変化する事で証明した。
プラハプラハ工科大学(現チェコ工科大学)で教授をつとめる。ドップラー効果はこの時代の発見であり、チェコ工科大学には、彼の名を冠した基礎物理学研究所「ドップラー研究所」がある。1850年ウィーン大学物理学研究所の所長に就任。教え子の一人に遺伝の法則で知られるメンデルがいる。
ドップラーの生家は、ザルツブルクの新市街、マカルト広場に面している。ちなみに、マカルト広場にはモーツァルトが1773年、旧市街の生家から移転した住居がある。

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『重力の再発見―アインシュタインの相対論を超えて』 ジョン・W・モファット/著、水谷淳/翻訳 早川書房 2009年発行
新理論の検証と確認 (一部抜粋しています)
遡ること1911年にアインシュタインは、ニュートンの理論のみを使って、ドップラー原理と自らの等価原理とを組み合わせた、ドップラー原理(あるいは、ドップラー効果)という名前は、19世紀半ば、光や音の波の振動数が発生源と検出器との相対運動によって影響を受けることを初めて示した。オーストリア人物理学者のクリスチャン・ドップラーにちなんでいる。アインシュタインが提唱したのは、太陽表面のような強い重力場の中に置かれた原子が放射するスペクトル線が、赤色の方向、スペクトルの長波長側へわずかにシフトするということだった。遠くへの観測者にとって、強い重力場の中にあるある原子は、地球のような高い重力場の中にある原子よりもゆっくり振動しているように見える。この有名な赤方偏移――”アインシュタイン偏移”――の予測が確認されるのは、技術と天文学が十分に進歩そてからのこととなる。やはり1911年に発表された、この研究を詳説した<アナーレン・デア・フィジーク>誌の論文には、実験によるもう1つの検証法も示されている。光は一種の電磁気エネルギーなので、やはり重力に引き寄せされる。したがって、遠くの観測者から見れば、光線は太陽のような天体の強い重力場の近くを通過したときに湾曲し、また光の速さは重力場の強さによって変わるだろう。
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アメリカ海軍の天文学者トーマス・ジェファーソン・シー大佐は著書の中で、水星の近日点移動は相対論を使わなくともニュートンの重力理論から計算できると主張し、1918年と19年の日食データの結果に疑問を投げかけた。イギリスやアメリカの天文学者の中にも、ウドヴィック・シルバーシュタインのように、アインシュタインの理論に反対し、この理論はニュートン重力理論に比べて著しく不完全だと主張する論文を発表する者がいた。さらに、ドイツ人天文学者フーゴ・フォン・ゼーリガーは、アインシュタインの一般相対背理論の数学は難解すぎて理解できないと公言した。
1919年の日食観測遠征と王立協会の発表以降、アインシュタインは、天文学者からだけでなく物理学会からも厳しい批判の声を浴びた。反ユダヤ人主義を標榜するドイツ物理学者の一派は、アインシュタインの重力理論に対する反対運動を展開した。そして、ベルリンにあるコンサートホールを2日間借り切り、アインシュタインはなぜ間違っているのか、その研究はなぜ無視しなければならないかを語る講演会を聞いた。それを受けてアインシュタインは、ベルリンのある新聞の編集部に手紙で、自分の重力理論を熱心に擁護し、批判は真に受けられるものではないと説いた。
しかし、1922年以降、一般相対背理に対する批判は収まっていった。その年、オーストラリアと太平洋のクリスマス島での日食観測により、1919年のエディントンの結果が裏づけられたためだった。ウィリアム・キャンベルが天文学者のチームを引き連れてリック天文台からオーストラリアへ渡り、快晴のおかげで観測に成功した。それに備え、新たな撮影技術と、日食の観測結果を解析する法毛も開発していた。リック天文台のチームはスイス人天文学者のロバート・トランプラーと手を組んで、何ヵ月もかけてデータを入念に解析し、光の湾曲の大きさがアインシュタインによる予測値1.75秒角と誤差範囲内で一致するという結果を得た。
リック天文台のチームの観測によって、物理学会天文学会の大部分が、アインシュタインの重力理論を正しいものとして受け入れるようになった。

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