じじぃの「人の死にざま_729_ラウル・デュフィ」

ラウル・デュフィ - あのひと検索 SPYSEE
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RAOUL DUFY -La fee electricite- 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=yObJX3pcMYA&feature=related
DUFY {1877-1953} 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4Q-S8D9FEug&feature=related
オンフルールの灯台 画像
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ヴァイオリンのある静物

Bunkamura25周年特別企画 デュフィ展 絵筆が奏でる 色彩のメロディー ザ・ミュージアム
開催期間:2014/6/7(土) − 7/27(日)
会場:  東京・Bunkamuraザ・ミュージアム
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_dufy.html
ラウル・デュフィ ウィキペディアWikipedia)より
ラウル・デュフィ(1877年6月3日 - 1953年3月23日)は、野獣派に分類される、19世紀末から20世紀前半のフランスの画家。「色彩の魔術師」20世紀のフランスのパリを代表するフランス近代絵画家。
【画風】
アンリ・マティスに感銘を受け彼らとともに野獣派の一員に数えられるが、その作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いている。デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描く。 また本の挿絵、舞台美術、多くの織物のテキスタイルデザイン、莫大な数のタペストリー、陶器の装飾、『VOGUE』表紙などを手がけ多くのファッショナブルでカラフルな作品を残している。

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『そこはかとなく』 新井満/著 河出書房 1997年発行
デュフィ紀行 (一部抜粋しています)
ヴァンスを訪ねる。
ニースから車で約30分、ハイウェイから下りると、四方を山でかこまれた緑陰のリゾート地に着いた。デュフィの画歴を検証していると、彼の人生にとってこの町が重要な意味をもっていることがよくわかる。デュフィ紀行を終える前に、この町だけはどうしても訪ねてみたかったのだ。
デュフィの画集を広げたとき一見してわかるのは、彼の画風が時代と共に大きく変化しているということである。
それまで印象派の絵ばかり描いていた28歳のデュフィは、サロン・ドートンヌ展に出品されたマチスの『豪華、静寂、快楽』を見て深く魅了され、以後はフォーヴ(野獣派)の戦列に参加することになる。
キュービズム(立体派)に傾いたこともあった。しかしデュフィの画風は定まらず、個展を開いても絵は売れず画商にも見はなされ、貧しい生活がつづいた。
結婚後、ポール・ポワレビアンキーニ・フェリェの契約デザイナーとなってからは生活が安定し、誰の真似でもない独自の画風を確立しなければ、と考えるようになる。
ヴァンスを訪れ、滞在したのは1919年42歳の時であった。
この町で遭遇した太陽の光は、それまで体験したどの町の太陽の光ともちがっていた。ノルマンディーの光よりパリの光より、もっともっと強烈であたたかな光がヴァンスの町に降りそそいでいたのだ。
ヴァンスの光こそ、長年にわたって捜し求めていたものだった。1921年に発表した『ヴァンスの泉』は、デュフィが真にデュフィになるきっかけとなった記念碑的作品と言って良いと思う。

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