じじぃの「人の死にざま_581_E・ゾラ」

エミール・ゾラ - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%A9/1369/
LIfe of Emile Zola - Trailer (1937) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ds6hHdP3hFw
『居酒屋』 エミール・ゾラ  松岡正剛の千夜千冊
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0707.html
エミール・ゾラ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
エミール・ゾラは、フランスの小説家で、自然主義文学の定義者であり、代表的存在でもあった。代表作品は全20作から成る≪ルーゴン・マッカール叢書(そうしょ)≫で、著名作は『ジェルミナール(芽月)』、『居酒屋』、『ナナ』。
【生涯】
イタリア人技術者である父とフランス人である母との1人息子として、パリに生まれた。ゾラは少年時代を南フランスのエクス=アン=プロヴァンスで過ごした。
1867年に『テレーズ・ラカン』を発表し、小説家としての足場を固めた。ゾラは実証的な自然科学の手法をそのまま文学に導入する「自然主義」を唱え(「実験小説論」)、その実践としてルーゴン・マッカール叢書を執筆した。当初は全くと言っていいほど売れず、専門家にしかその名を知られなかったが、第7作『居酒屋』で社会現象を起こすほどの大成功を収め、以後フランス自然主義文学の黄金期を築き、後にはフランス文芸家会長にも就任した。
ゾラがメダンに造った別荘は多くの文学者が集まるサロンとなった。モーパッサンユイスマンスもゾラの別荘に出入りするうちに才能を認められた作家である。少年時代からの友人である画家のポール・セザンヌとは一時同居もしていたが、諸説により絶交している。
晩年は空想的社会主義に傾き、社会・政治活動に精力的に参加した。ドレフュス事件では、右翼的軍部の陰謀によりスパイ容疑にかけられたユダヤ系の参謀本部付砲兵大尉ドレフュスを弁護し、1898年に『我弾劾す』に始まる公開状をオーロール紙に寄稿した。このため罪に問われ、イギリスに亡命するが、翌年帰国。ドレフュスの再審が決定(1906年に無罪確定)。
1902年パリの自宅で、一酸化炭素中毒のために死亡した。反対派による暗殺説もあり、本国では検証著作もある。遺骸はパンテオンに眠る。

                                          • -

『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ゾラ (1840-1902) 62歳で死亡。 (一部抜粋しています)
いわゆる「ドレフュス事件」でドイツ軍スパイの懐疑を受けたユダヤ人、ドレフュス大尉を無実であると弁護し、有名な「余は弾劾(だんがい)す!」との声明を出してフランス軍部と戦った文豪エミール・ゾラがついにその正しさを認められ、亡命先のイギリスから意気揚々と帰って来たのは1899年のことであった。
3年後、彼はこの事件をテーマにした小説『真理』を新聞に連載しはじめた。彼は25年前からセーヌ湖畔の美しい村メダンに別荘を持っていて、この1902年の夏もこの別荘で執筆した。そして9月28日、夫人とともにパリのド・ブリッセル街21番地の自宅に帰った。
ゾラはそのアパルトマンの1階、2階を借りていて、それより上階には、ほかの人々が住んでいた。地下室にボイラーがあって、そこから送られるスチームで全館暖房出来るようになっていた。しかし各戸に暖炉もあって、火を燃やすことも出来た。
ちょうどパリはうすら寒くなって来た季節で、上階の人々は数日前、煙突を掃除させたが、このとき砂やセメントが、ゾラの居室を通る煙突に落ちた。
ゾラ夫妻はそのことを知らず、帰った晩、暖炉に火をつけたが、煙突がつまっているのでよく燃えなかった。ゾラ夫人はアパルトマンの門番に、明日煙突掃除人を読んでくれと頼んだあと、夫に暖炉の火を消してしまいましょうか、といったが、ゾラは気にせず、何、そのうち消えてしまうさ、と、うっちゃり、田舎から帰ってきた疲れもあって、2人とも早目にベッドにはいった。
       ・
朝の8時、煙突掃除人が2人やってきたが、ゾラ夫妻が起きてこないので、門番と無駄話をしていた。9時ごろふたたびノックし、なお返事がないのでようやく不審に思い、門番を予備ドアを破ってはいって、ゾラ夫妻が倒れているのを発見した。
医者が到着したとき、ゾラの身体はまだ暖かく、絶命後1時間ほどしかたっていないことが確かめられた。ゾラ夫人のほうはまだかすかに息があったので、人工呼吸で甦(よみがえ)らせたのち、病院へ運ばれた。
夫人はゾラもまた病院に運ばれたものと思っていたが、数日後ゾラの死を告げられ、まだ完全に回復していない身体で自宅に帰った。そして、そこにまだ横たえられていて、すでに腐敗の兆(きざし)を示している夫の身体を見た。
ゾラの死因は不完全燃焼による一酸化炭素中毒であった。実験のため、一夜鼠をその場所におき、例の暖炉に火をつけたままにしておいたところ、翌朝鼠は死んでいた。

                                          • -

エミール・ゾラ Google 検索
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%A9&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&prmd=ivnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=LU2vTYWqNo7UvQOY9ISGDw&ved=0CD4QsAQ