じじぃの「人の死にざま_523_A・ストリンドベリ」

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JOHAN AUGUST STRINDBERG 動画 YouTube
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ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ヨハン・アウグスト・ストリンドベリは、スウェーデンの作家。
【生涯と作品】
ストックホルムに生まれる。
自伝的小説《女中の子,1886年》《ある魂の成長,1886年》《痴人の告白,1893年》を発表。この最後のものはフランス語で書かれ、ドイツ語ではじめて発表された。のちゲーオア・ブランデスニーチェの影響のもとに精神的貴族主義に転じ、小説《チャンダラ,1889年》《大海のほとり,1890年》を書いた。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ストリンドベリ (1849-1912) 63歳で死亡 (一部抜粋しています)
ストリンドベリは先天的に精神分裂症の素質を持ち、生涯それが時には平静になり、時には昂進しつつ、断続して経過した。彼の傑作といわれる『女中の子』『痴人の告白』『死の舞踏』をはじめ数々の作品は、精神分裂病特有の嫉妬妄想、追跡妄想の産物であるといわれる。
それゆえに、驚嘆すべき文豪としてスウェーデン国民の尊敬を受けながら、彼は3たび結婚して3たび別れ、晩年にはほとんどの友人と絶交し、孤独の氷の中に自分を閉じ込めた。
1911年、雑誌記者のネクセーは彼を訪問しようとした。
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彼は苦労して住所を探しあてた。「私は彼を訪ねた。標札はなく、呼鈴の紐ははずしてあった。私はドアを3度ノックして待った。少したって、地上1メートルの高さにある郵便函のふたがあけられ、眉の白くなった眼が見えた。これでこの偉大なスウェーデン人に腰をかがめさせたわけだ、と思い、名刺をさし出して見せた。
ついで、長い時間がすぎた。孤独な詩人が扉の向こう側でいろいろ考えて、迷っているのがわかった。・・・・ついに扉をひらき、ストリンドベリが現れた。彼は鋭い眼で私を見て、低い声で、『私は病気だ。いまのところ、何も仕事をしていない』といい、私が内へはいれないように戸口に立ち、深い猜疑にみちた顔つきで私を凝視した」
こういう状態で、その翌年の5月14日に彼は死んだ。
しかし死因は胃ガンであった。

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