じじぃの「人の死にざま_520_A・ランボー」

アルチュール・ランボー - あのひと検索 SPYSEE
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Rimbaud "Saison en Enfer" 動画 YouTube
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Rimbaud, Une Saison en Enfer 動画 YouTube
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アルチュール・ランボー
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爆笑問題のニッポンの教養 「世界はもっとカラフルだ! 〜共感覚のフシギ〜」 (追加) 2011年11月3日 NHK
【出演】爆笑問題関西学院大学理工学部教授 長田典子
共感覚」は、音楽を聴くと色が見えたり、白黒の文字や数字にそこにはない色が感じられるといった、不思議な能力だ。200人に1人が持つとされ、宮沢賢治や画家のムンクカンディンスキー、詩人アルチュール・ランボーなど古今東西の多くの芸術家も持っていたと言われている。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20111103.html
アルチュール・ランボー フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー1854年10月20日 - 1891年11月10日)は19世紀のフランスの詩人。ランボオとも。主な作品に散文詩集『地獄の季節』、『イリュミナシオン』など。
【生涯】
1854年、フランス北東部アルデンヌ県シャルルヴィル(現在のシャルルヴィル=メジエール市)に生まれる。
1870年、家出。普仏戦争下のパリへ辿り着くが、無賃乗車のために逮捕され、家に送り返される。以後、家出を繰り返す。
1871年、パリへやって来る。ヴェルレーヌに出会う。以後、共にブリュッセル、ロンドンなどを放浪する。ヴェルレーヌは妻子を捨てての放浪だった。
1873年ヴェルレーヌとの別れ。ヴェルレーヌランボーに拳銃を2発発砲、うち1発がランボーの左手首に当り、ランボーは入院、ヴェルレーヌは逮捕される。この別れの後に『地獄の季節』を記す。
1891年、骨肉腫が悪化してマルセイユへ帰り、右足を切断したが、がんは全身に転移しており死去。臨終は妹のイザベルが看取った。
【評価】
「早熟の天才」としばしば評される。詩人ヴェルレーヌに出会い、『地獄の季節』、『イリュミナシオン』でその才能を見せた。マラルメボードレールから始まる象徴詩の系譜に属しながらも、そこに止まらない、という意味で「おそるべき通行人」と彼を評している。若いうち(20歳代前半)に詩作を放棄したが、ダダイストシュルレアリストら、20世紀の詩人たちに影響を与えた。ピカソによるランボー像が有名。ゴダールの「気違いピエロ」(1965) のエンディングは『地獄の季節』に収められた韻文詩「永遠」の朗読で終わっている。また、ジル・ドゥルーズは1980年代後半になって「カント哲学を要約しうる4つの詩的表現」(『批評と臨床』収録)において、ランボー1871年のいわゆる「見者の手紙」の中の「私は他者である」「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者(ヴォワイヤン)になる」という言葉などをとりあげ、カントの可能性の中心を担う「調和し得ない緒力の束」を体現するものとして、ランボーを挙げている。
【日本での研究】
西條八十が『アルチュール・ランボー研究』(1967、中央公論社)を著している。
・日本の詩人たちにも早くから影響を与えている。例えば、初期の中原中也は初期のランボーに影響を受けている。中也はランボーの初期作品のいくつかを翻訳もしている。
小林秀雄の訳書も著名<岩波文庫ほか>。
金子光晴も翻訳をおこなっている(『イリュミナシオン ランボオ詩集』角川文庫、1999年)。
吉本隆明も1949年、25歳のとき『ランボー若しくはカール・マルクスの方法についての諸注』という短い論考を著している。

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『フランス的思考―野生の思考者たちの系譜』 石井洋二郎/著 中公新書 2010年発行
2通の手紙 (一部抜粋しています)
一般的な文学的常識に従うならばアルチュール・ランボー(1854-1891)は詩人であって、思想家ではない。だが、「思考」はかならずしも思想的な著作によってなされるちはかぎらず、小説や詩によって実践されることもありうるし、日記や所感によって営まれることも当然ありうる。その意味で、ランボーはまぎれもなく、最も果敢な冒険を試みた19世紀フランスの思考者のひとりであった。
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ナポレオン3世の降伏後、第3共和政に移行したフランスは臨時国防政府のもとでなお抵抗を続けたが、このころすでに戦いの趨勢は決していた。翌1871年1月28日にはビスマルク率いるプロイセンとのあいだに休戦協定が結ばれ、普仏戦争は実質上の終りを告げることになる。2月17日にボルドーで開催された国民議会で共和国行政長官に指名されたアドルフ・ティエールは、同月26日に仮講和条約を締結、これによって、シャルルヴィルに近いアンザス・ロレーヌ地方の一部がプロイセンに割譲された。
ランボーは2月末に3度目の家出を敢行し、ふたたびパリにむかったが、彼が上京してまもない3月1日には、ついに勝ち誇った敵軍がパリに入城する。こうした経緯をまのあたりにして、16歳になっていた少年の鋭敏な感性は強く刺激されたにちがいない。
ランボーはけっきょく首都に2週間ばかり滞在したが、所持金が底をついたため、やがて徒歩でシャルルヴィルに帰郷する。それからまもなく3月18日、ティエールはモンマルトルの丘に陣取っていた国民衛兵勢力を武装解除すべく軍隊を派遣するが、大砲の奪取に失敗してあえなく撤退、パリから逃亡してヴェルサイユに政府を移転した。かくして首都の実験を握った国民衛兵中央委員会は、3月28日に支庁舎前広場でパリ・コミューンの整理宙を宣言する。しかしながら議会の内部では分裂状態が続き、政治的安定がもたらされるには程遠いありさまであった。
さんな状況を耳にして矢も楯もたまらなくなったのか、田舎町に戻っていた少年は、正確な日付は不明だが、どうやら4月下旬から5月始めにかけてまたしてもパリに馳せ参じ、沸き立つ民衆の中に身を投じたらしい。しかしティエールの正規軍はやがて勢力を盛り返し、パリを奪還すべく報復攻撃に出た。そして5月21日から28日にかけての「血の1週間」と呼ばれるはげしい戦闘の末に、コミューン派は3万人にも及ぶ犠牲者を出した末に制圧され、首都はふたたび政府軍の支配下に置かれることとなった。
パリ・コミューンが瓦解する寸前の1871年5月半ば、ランボーは「見者の手紙」として知られる有名な2通の書簡を書いている。1通は先に名前を挙げたイザンバール宛て、もう1通はイザンバールの友人で詩人でもあったポール・ドメニー宛で、いずれも発信地はシャルルヴィルになっているから、この時期には差出人が確実に故郷に戻っていたことがわかる。しかし3度にわたって訪れた首都の騒乱のなまなましい記憶がそこに投影されていることは、まちがいあるまい。
少年はこのころ、すでに試作を初めていたが、これら2通の手紙からは、彼がみずからを「詩人」としてはっきり自覚したことが読み取れる。そして同じ2通の手紙によって、ランボーは自分が単なる詩人ではなく、まぎれもないひとりの「思考者」であることを期せずして証明することになった。
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ランボーの手紙はこの後、女性解放思想との関連をうかがわせるような記述を経て、ロマン派詩人たちを次々に俎上(そじょう)にのせながら「見者」というキーワードで検証していく。そして彼は「ボードレールこそ第1の見者であり、詩人たちの王であり、真の神です」と、『悪の華』の詩人をことさらに称揚するのだが、それでもすぐに「彼においてはあれほどご自慢の形式も、けちくさいものです」と断定し、この偉大な先達をも容赦なく切って捨てる。彼によれば、「未知なるものの発明は新しい形式を要求する」のであり、だからいまこそ自分が見者となって、その新たな形式を探求するというのである。
こうしてランボーは、デカルトのような徹底した論理思考によってではなく、いわば詩人としての直感によって、見者の詩学とでもいうべきものに到達した。その根底に横たわっているのは、一見したところ堅牢な旧態のように思える自我の表層にはいくつもの亀裂が走っており、その底には本質的な他者性がひそんでいるという認識である。
もちろん、かならずしも彼だけがそうした自覚に行き着いたわけではないが(たとえばマラルメロートレアモンも、それぞれ表現のしかたは異なっているが、ほぼ時を同じくして類似の境地にいたっていたふしがある)、少なくともこの発見に「<私>は1個の他者なのです」という象徴的な表現を付与したというその1点において、彼の名前はいわゆる文学史のみならず、「フランス的思考」の歴史にも刻み込まれる価値があるといえるだろう。

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