じじぃの「人の死にざま_514_リルケ」

ライナー・マリア・リルケ - あのひと検索 SPYSEE
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Rainer Maria Rilke - Der Panther 動画 YouTube
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ピンク・レディー (COOKIE) 【リルケの詩集】 動画 YouTube
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ライナー・マリア・リルケ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ライナー・マリア・リルケは、オーストリアの詩人、作家。シュテファン・ゲオルゲフーゴ・フォン・ホーフマンスタールとともに時代を代表するドイツ語詩人として知られる。
プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などに学び、早くから詩を発表し始める。当初は甘美な旋律をもつ恋愛抒情詩を発表していたが、ロシアへの旅行における精神的な経験を経て『形象詩集』『時祷詩集』で独自の言語表現へと歩みだした。1902年よりオーギュスト・ロダンとの交流を通じて彼の芸術観に深い感銘を受け、その影響から言語を通じて手探りで対象に迫ろうとする「事物詩」を収めた『新詩集』を発表、それとともにパリでの生活を基に都会小説の先駆『マルテの手記』を執筆する。
第一次大戦を苦悩のうちに過ごした後スイスに居を移し、ここでヴァレリーの詩に親しみながら晩年の大作『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』を完成させた。『ロダン論』のほか、自身の芸術観や美術への造詣を示す多数の書簡もよく知られている。

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薔薇の内部 リルケ詩集より/富士川英郎
 何処にこの内部に対する
 外部があるのだろう?どんな痛みのうえに
 このような麻布があてられるのか?
 この憂いなく
 ひらいた薔薇の
 内湖に映っているのは
 どの空なのだろう?見よ
 どんなに薔薇が咲きこぼれ
 ほぐれているかを ふるえる手さえ
 それを散りこぼすことができないかのよう
 薔薇にはほとんど自分が
 支えきれないのだ その多くの花は
 みちあふれ
 内部の世界から
 外部へとあふれでている
 そして外部は ますますみちみちて圏を閉じ
 ついに夏ぜんたいが一つの部屋に
 夢のなかのひとつの部屋になるのだ

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
リルケ (1875-1926) 51歳で死亡 (一部抜粋しています)
1926年の秋、この詩人は、ある美しいエジプト女性に贈る薔薇の花を切っているとき、ふと指さきを薔薇のトゲで傷つけた。
何でもないこの傷が悪化した。彼はすでに白血病にかかっていたのだ。
3年ばかり前から彼は健康状態のよくないことを自覚していたが、これがきっかけとなって苦しみの日々がはじまった。
12月5日に彼は友人に手紙を書いている。
「血液細胞のほとんど知られていないある変化が、この全身的な、この上なく残忍な病状の出発点となっているのだ。この名も知れない、はかり知ることの出来ない苦痛に、僕はいまや順応することを学んでいる」
また別の女友達に書いている。
「昼となく、夜となく、夜となく、昼となく、地獄です!」
しかし彼は、自分の理性を低下させる鎮痛剤を拒否した。

12月29日の朝5時、リルケに死が訪れた。

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リルケ Google 検索
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