じじぃの「人の死にざま_473_イーストマン」

Speaking of George Eastman House 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=0c6LJS6ycc4
Happy 150th Birthday, George Eastman! 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=63N9xQLdwc0
ジョージ・イーストマン フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ジョージ・イーストマンはアメリカの実業家、発明家。イーストマン・コダック社の創業者。
【生涯】
ニューヨーク州ウォーターヴィルに生まれた。1854年に、父親がロチェスター商業学校を設立し、ジョージも1865年にロチェスターに移った。2年後に父親が死んで彼は高校をやめ、家族のために働いた。
1874年に写真に興味をもったが、当時の写真はガラス板に感光乳剤を塗って、乾く前に撮影する方法であった。3年の実験の後に乾式の写真板(乾板)を開発し、イギリスとアメリカでの特許を取得し、1880年に写真の事業を始めた。1884年に写真の基材をガラスから乳剤を塗った紙に換える特許を取得した。ロールフィルムは連続撮影のスピードを著しく速くした。ロールフィルムの使用は写真機の主流となると共に、ル・プランス、レオン・ボウリー、トーマス・エジソンリュミエール兄弟ジョルジュ・メリエスらによる映画の発明のための基礎技術となった。
1888年9月4日、イーストマンはコダックの商標を取得し、世界最初のロールフィルムカメラ「No.1コダック」を発売した。1896年までに100台のコダックのカメラが売れた。1900年にはブローニーシリーズを1ドルで発売し、写真とカメラを一気に普及させた。1925年には会社の経営から退き、その後は慈善活動にはげんだ。100万ドル以上の寄付をロチェスター大学やマサチューセッツ工科大学にした。
晩年の2年間は脊椎管狭窄症に苦しみ、1932年3月14日に自邸でピストル自殺した。遺書には「友よ、私の仕事は終わった。なぜ待つのか?(To my Friends, My work is done. Why wait?)」と書かれていた。生涯独身であった。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
イーストマン (1854-1932) 78歳で死亡。 (一部抜粋しています)
24歳のときコダック写真機を発明し、イーストマン・コダック会社を作って巨富を築いたジョージ・イーストマンは、76歳のとき脊髄下部の硬化症にかかり、歩行困難となり、さらに病気は進行した。
そして78歳の3月14日、自邸の寝室で拳銃自殺をとげた。
テーブルの上の遺書には、「私の仕事は終わった。なぜ待つ必要があろうか?」と、あった。
テーブルに裁縫箱が置いてあり、中には、一生独身であった彼を50過ぎまで世話をして死んだ母親の手袋が大事そうにいれてあった。

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ジョージ・イーストマン Google 検索
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