じじぃの「人の死にざま_383_ガウディ」

アントニオ・ガウディ - あのひと検索 SPYSEE
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アントニオ・ガウディ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Q8rXEmIKU70
行ってない人のためのサグラダ・ファミリア〜SAGRADA, FAMILIA, Barcelona, Spain〜 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=v9mU5mb3vdA&feature=related
アントニオ・ガウディ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
アントニ・ガウディは、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてモデルニスモアール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリアをはじめとしたその作品はアントニ・ガウディの作品群としてユネスコ世界遺産に登録されている。
【後半生】
ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過した。1914年以降、彼は宗教関連以外の依頼を断り、サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注いだ。しかし、親族や友人の相次ぐ死によるガウディの仕事の停滞とバルセロナ市が財政危機に見舞われたことによってサグラダ・ファミリアの建設は進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会堂の建設工事は未完のまま中止されてしまう。さらに1918年、パトロンのエウゼビ・グエイが死去した。
この頃の不幸の連続がガウディを変えたと言われている。彼は取材を受けたり写真を撮られたりするのを嫌うようになり、サグラダ・ファミリアの作業に集中するようになった。
1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中、路面電車に轢かれた。晩年身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われて手当てが遅れ、事故の3日後に73歳で息を引き取った。遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬されている。 女性恐怖症であったらしく、終生独身であった。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
6月10日−アントニオ・ガウディ (スペイン建築家)
スペインのバルセロナにそびえ建つサグラダ・ファミリア聖堂は未だに完成を見ない世界的芸術性に富んだ建築物である。
この壮大な、まさに石でつくられた聖書のようとたたえられたモノを設計したことで知られるアントニオ・ガウディは生まれつき体が弱く、家の中にこもってはカタルーニャ地方の山並みを眺めていた少年だったという。
だが彼の設計における才能はそれまでの概念を打ち破る斬新さに充ちあふれていた。
タイル割り、木はなるたけ切らない。そして直線は人の手と評し、曲線こそ神に手という思想の下にガウディはレイアール広場の街灯を河切りに次々と人々が瞑目する建築物を設計した。
その集大成こそが先のサグラダ・ファミリア聖堂なのである。170メートルに及ぶ18本の塔を完成させる。その日まで200年かかるかも知れないと言われている。実に壮大なる人間のロマネスクではないか。
建築とはいわば地球に彫刻する仕事。私は国宝級の建物から都市ビルまでそうしたものを目の当たりにすると、つくづく人間とは凄いものだと思わずうなってしまうが、ガウディの設計したサグラダ・ファミリア聖堂こそはその極致といえるだろう。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
ガウディ (1852-1926) 73歳で死亡。 (一部抜粋しています)
日本人の眼から見ると、その怪異凄艶(せいえん)な曲線と曲面で、超現実派の幻想をそのまま地上に描き出したような建造物を残したスペインの大建築家アントニオ・ガウディは、1883年−−彼が31歳のころからバルセロナのサグラダ寺院の建築にとりかかったが、これが彼にとってははからずもその生涯をかけた作品となった。
それから30年を経て、ガウディが60を越えても、それはまだ完成しなかった。それどころか1914年には、資金難のために工事を中断せざるを得なくなった。彼は若いころの豪奢な生活を捨て、教会の建築事務所で独身で寝起きする生活をつづけ、さらにはみずから建築資金を集めるために街へ出て、帽子をとるというようなことまでして、細々と建築を続けた。
1926年6月7日、彼は教会の地下聖堂に吊り下げるアラバスターと金属のランプをいじっていたが、午後になって、日課としていたミサに参列するため、3キロばかり離れたサン・フェリペネリ教会へ出かけようとして、手伝っていた職人に、「ヴィンセントや、明日は早くおいでよ、うんときれいなものを作ろうじゃないか」といいおいて、出ていった。
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バルセロナのある通りを横切ろうとしたとき、市電がこの貧しげな老人をはねた。
3日後、ガウディは意識を回復しないまま息をひきとった。サグラダ寺院は未完のままにとり残された。
同寺院は、ガウディが着手してから100年以上たった現在も、後継者によって建設が継続している。

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