じじぃの「人の死にざま_280_滝・廉」

滝廉太郎 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E7%80%A7%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E/89636/
荒城の月 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=nQgGKg2aSMQ
 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LWZJNh-h0Gc
お正月 ピアノと歌 Oshogatsu Japanese New Years Holiday Song 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dWsX-jeiwlk
『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
6月29日−滝廉太郎 (作曲家)
滝の代表作『荒城の月』は1900年に作られた曲だが足掛け100年経っても、まぎれもない傑作であることがうかがい知れる。
こんな凄い曲を21歳の時に作ったというのだから間違いなく天才だった。
『荒城の月』以前は『故郷の空』や『蛍の光』に代表されるように日本の唱歌は輸入モノが多かったのだ。
それだけに日本的な旋律で縁どられた『荒城の月』は意味があった。
幸田露伴の妹である延に弟子入り。ピアニストをめざした滝だったが、延の妹・幸の才能の前に挫折。作曲家に軌道修正を図ったというのだから、『荒城の月』は幸田幸が生んだともいえよう。
1901年、夢にまで見たドイツ留学をはたしたものの、風邪をこじらせ、肺結核となり、滝は23歳で世を去った。
『お正月』、『花』、『箱根八里』など残した曲はたったの36曲。ああ、天才とはいつの世でも早く逝ってしまうものらしい。20世紀はこの天才を忌み嫌ったのだろうか。

                                      • -

『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
滝廉太郎(たきれんたろう) (1879-1903) 23歳で死亡。 (一部抜粋しています)
『鳩ぽっぽ』、『雪やこんこ』、『お正月』、『荒城の月』などの作曲で知られた滝は、明治34年ドイツに作曲研究のために留学を命じられて、ライプチヒ音楽学校にはいったが、風邪をこじらせて健康もとに返らず、35年帰国した。
途中、船がロンドンのテムズ埠頭に立ち寄ったとき、英国留学中の土井晩翠が訪れて見舞った。『荒城の月』の作詞者と作曲者が逢ったのはこのときが最初で最後だった。
帰国後、結核と診断され、大分市の父母のもとで療養していたが、36年6月29日に息をひきとった。
のちの妹のトミは、兄が結核のため、身のまわりの品ともども、作曲の未発表のものも母が焼いてしまったようだ、といい、
「兄がこのようにみなさまに惜しまれてるとは思わず、兄もそう思わずに亡くなりましたものですから、母を恨むわけには参りません」
と、いった。

                                      • -

滝廉太郎 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=vnX_S_znBYevcPzG8IEK&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CCAQsAQwAA&q=%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbs=isch:1