じじぃの「未解決ファイル_96_シュメール」

Sumerian Mythology and Human History 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=vglAeKfm2XA
Sumerian Creation Story 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=MfENlxCXbro&feature=related
ニネヴェ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=ynsBTOWRPNuJcLfh9O4J&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CCIQsAQwAA&q=%E3%83%8B%E3%83%8D%E3%83%B4%E3%82%A7%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbs=isch:1
シュメール ウィキペディアWikipedia) より
シュメールは、メソポタミア(現在のイラククウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。シュメールの名は、シュメール人が文明を築いてから、アッカドバビロニアの支配を受けてシュメール人が姿を消し、さらにバビロニアペルシャ帝国に併合されるまで続いた。シュメールの楔形文字が使われ始めたのは紀元前3500年頃とされており、書かれた物としては最も初期のものだと思われる。
【初期シュメール】
「シュメール」という用語はアッカド人により用いられた異称で、このことはアッカドやその北東のスバル人へと知覚された関係を示す。シュメール人自身は自らを「黒い頭の人々」(saa-gi-ga)と呼び、その土地を「キエンギ」(Ki-en-gi、「君主たちの地」の意)と呼んでいた。アッカド語の「シュメール」はおそらくこの名前を方言で表したものであろう。彼らが「カンガ」あるいは「キエンガ」と自称する言語学的グループの異称のままであった。
シュメールの言語、文化、おそらく外見は周囲のセム系の民族とは異なっていた。しかしシュメールの男子像を見る限り大きく彫りの深い目、高い鼻、巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌した像もあるので未だ謎である。

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『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行
夏の学校生活
もっと日常的なことに関して、シュメール人の学校での授業と罰則の記録がある。ある粘土板に4000年前の典型的な学校生活が描かれている。
「朝、私は学校に行って、粘土板を読み、昼食を食べ、新しい粘土板を用意して文章を書き、書き終え、それから口頭試問を受けました。・・・授業が終わったので家へ帰り、なかへ入ると父がいました。私は父に自分が書いた文章のことを話し、粘土板を朗読すると、父は喜びました。・・・」
当時の書記の職務は単純な勘定を記録するだけだったので、算術の知識は簡単なもので足りた。しかしシュメール人は、すでに代数と幾何を知っていた。医学も研究されており、初歩的であるが解剖学と外科医術の知識を持ち、薬用植物の効用も理解していた。
シュメール人の文学は、彼らのあとに興隆したバビロニア人とアッシリア人が継承した。シュメールと初期バビロニアの粘土板文書の写しが各地の図書館に保管され、後世の民族が次々とその上に独自の貢献を加えていった。こうした知識は、やがて大部分がギリシャ・ローマへと引き継がれて、アラビアや西欧世界へ伝わったのである。

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『驚愕のオーパーツ&超古代ミステリー99』 南山宏/監修 双葉社 2010年発行
ニネヴェ常数 (一部抜粋しています)
シュメール文明が異星に由来することを示す根拠として説得力をもつのが、「ニネヴェ常数」。粘土板に刻まれたこの天文学的数字が、文字通り高度な天文学に関する数値であると判明したのだ。ニネヴェは粘土板文書が発見された古代アッシリアの首都で、シュメールの叙事詩や経済、法律などの粘土板文書が大量に出土した地だ。そのなかから見つかった桁外れに大きな数字は、シュメールの12進法と60進法を今の10進法に置き換えて195兆9552億である。
1975年になり、NASAにもかかわった経歴をもつ宇宙工学・電子工学技師シャトランがついに解読に成功。彼は1日を24に分け、それを60に細分化する時間、分、秒の単位がシュメールの発明であることに注目し、決定的な手掛かりをつかんだ。1日の秒数8万6400秒で例の数字を割ると、22億6800万日とぴたりと割り切れたのだ。年で計算すると600万年以上になる。
では、それが何の年数なのか。その答えは中世の占星術師や錬金術が探し求めた神聖な数字、「偉大なる年」「大いなる常数」。すべての天体の運行周期が同一の出発点に回帰する、とてつもなく大きな循環周期である。シャトランは太陽系内の主な天体の公転・会合周期が太陽日の単位で表わされた数値をコンピュータで照合し、すべてが整数倍になることを確認した。つまり、公倍数になっていたのだ。しかも、小数点以下数桁までの厳密な数値を使わないと、公倍数にならない。肉眼では見えない海王星冥王星を含め、太陽系の主な天体の運行周期を正確に知っていたことになる。

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どうでもいい、じじぃの日記。
『驚愕のオーパーツ&超古代ミステリー99』という本を読んでいたら、「シュメール問題」というのがあった。
世界最古の文明といわれるシュメール文明。メソポタミア南部のチグリス川とユーフラテス川の流域で興り、今まで人類が歩んできた発展の歴史の出発点ともみなされている。ところが、そんな礎となる文明でありながら、不可解なことに文明の起源もその担い手の正体もいっこうに解明されていない。シュメール人がどんな人種で、いつどこから移動してきたのか、その言語がどういう系統に連なるのかさえ特定できずにいるのだ。
今から、5500年以上も前、人類最初の文明が今のイラク南部に突如、興った。メソポタミア文明である。場所はバビロニアと呼ばれている地帯だ。
今はイラクというと半分、砂漠のような地帯であるが、当時は緑豊かな地帯だった。
『人類の歴史200万年』という本の「夏の学校生活」に、当時のシュメール人の生活ぶりを書いた記事が載っている。
すでにこの頃、学校があったのだ。教科書とノートは粘土板だった。今はiPadだ。この粘土板に書かれていた少年は随分と重い教科書、ノートを持って学校に通っていたのだ。
彼ら、紀元前3500年ほど前にすでに、高度な太陽暦、高度な数学、高度な社会組織、青銅など高度な合金技術を持っていた。
我々が使っている1日が24時間、1時間が60分、1分が60秒という単位が、元を辿ると彼らに行きつくのだ。1ダースが12個や1フィートが12インチといった単位も彼らが作った。
そして、アルファベットの元と言われている楔形文字も彼らの発明であった。粘土板に書かれた文字は楔形文字だった。
また、『驚愕のオーパーツ&超古代ミステリー99』の本には「ニネヴェ常数」というのがある。何やら、太陽系の運行周期を書いた年数なのだという。
シュメール人、お前は一体何者なのだ。