じじぃの「未解決ファイル_90_ヒッタイト」

ハットゥシャ Hattusha: the Hittite Capital 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=l_3ZqsH9YmU
The Lords of Hattusa 1/6 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=WcoD2mHocvc
ハットゥシャ(Hattusha)はトルコの首都アンカラより東に145kmのボアズカレ近郊、海抜1000mほどの丘陵地帯にある遺跡。
紀元前17世紀〜紀元前13世紀に繁栄したヒッタイト帝国の都。

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鉄器時代 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
【最初の鉄器文化ヒッタイト
定説では最初の鉄器文化は紀元前15世紀ごろに突如あらわれたヒッタイトとされている。ヒッタイトはその高度な製鉄技術を強力な武器にし、メソポタミアを征服した。その鉄の製法は秘密にされており、周辺民族に伝わる事が無かったが、ヒッタイトが紀元前1190年頃に滅亡するとその製鉄の秘密は周辺民族に知れ渡る事になり、エジプト・メソポタミア地方で鉄器時代が始まる事になる。
各地の鉄器時代はこのエジプト・メソポタミア地方から拡散した製鉄技術が伝わってから始まることになる。従って、一般的に中東から離れた地域にある場所ほど鉄器時代の始まりは遅くなる。

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『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行 (一部抜粋しています)
鉄器時代
人類がなしとげてきた技術革新の最終段階である鉄器時代は、BC1700年ごろ、トルコに興ったヒッタイトによってもたらされた。道具類や武器に、鋭く、長持ちする鉄の刃物を用いることが可能となり、BC1200年ごろまでに、中東からギリシャにかけての地域で用いられ始めた。アメリカへの鉄の渡来は、大航海時代のスペイン、ポルトガルの来航までくだり、石器時代にとり残されていたオーストラリアは、ヨーロッパの植民者が最初に渡来する1788年になって、突如として、鉄器時代へと移行する。
現代の科学技術は、人類を月まで運び、それを可能とした人類の探究心は、未知の世界を征服するために、さらに新しい物質を探し求めている。

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世界遺産古代文明「不思議」ものしり雑学』 「歴史ミステリー」倶楽部/編集 王様文庫 2007年発行
トロイアの遺跡(トルコ) 伝説か?史実か?「トロイアの木馬」をめぐるミステリー々 (一部抜粋しています)
トロイア戦争は本当にあったのか?
トロイアは、トルコの北西部、ダーダネルス海峡の入り口にあたる地方の古代都市で、ギリシャ神話上では「イリオス」という都市名でも呼ばれた。
「ヒッサリク」と呼ばれる丘に、世界的に有名なトロイアの遺跡(イリオス遺跡)が発見され、世界遺産にも登録されている。
ここで古代に起きたとされる「トロイア戦争」とは、古代ギリシャの神話のひとつで、小アジアトロイアに対して、ミケーネを中心とするギリシャ軍が起こした戦争のことである。古代ギリシャの詩人ホメロス叙事詩イリアス』『オデュッセイア』にそのストーリーが語られ、世界中に知られている。
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シュリーマンが発掘した遺跡はトロイアか?
トロイアの遺跡が世に知られるようになったのは、1870年のシュリーマンの発掘にほかならない。彼の発掘がおこなわれるまで、トロイアは神話上の都市で、トロイア戦争も史実ではないとされていた。
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シュリーマンは、火災の跡があった第2層を、トロイア戦争時代の遺跡だとしたが、その後の研究から、た第2層はトロイア戦争があった時代より、もっと前の紀元前2500〜2200年の遺跡であることがわかっている。
1932〜38年には、C・ブレーゲンによって再発掘が行われ、第1層から第9層までの詳しい調査がなされた。こうして、紀元前3000年頃の初期青銅器時代の最初の集落の遺跡である第1層から、第9層の500年頃のギリシャ・ローマ人による街の遺跡までが詳しく判明した。
ブレーゲンは、トロイア戦争があった遺跡は第7層だと主張し、これは紀元前1275〜40年頃のものと推定されている。
しかし、第7層の遺跡の大部分は、シュリーマンの発掘によって損傷を受けており、このブレーゲンの説が正しいという決定的な確証はいまだにない。
さらには、トロイア戦争自体は、紀元前1700〜紀元前1200にかけて、小アジア一帯が繰り返し侵略を受けたことからつくられた神話であるという説がある。
また、ヒッサリクではなく、紀元前13世紀頃の小アジアに存在した、ヒッタイトという国の都市タルウィサがトロイアではないかという説もあり、シュリーマンが発掘した第1〜第9層の遺跡自体が、トロイアの遺跡かどうかも議論の分かれるところとなっている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
現代は鉄の時代だと言われている。明治の始め、「鉄は国家なり」であった。
鉄を最初に作ったのはどこか。ヒッタイトである。
ヒッタイトの文字は楔形文字であった。楔形文字はアルファベットの元になった文字である。
ヒッタイト人とは何者なのだろう。
シュリーマンは子供の頃に読んだギリシャ神話の「トロイア戦争」に思いをはせ、トルコでトロイアアの発掘を行った。
シュリーマンの発掘場所から、紀元前1250年頃の大火災の跡や、戦争を示唆する人骨などが見つかったことでトロイア戦争が実際にあったことが分かった。
トロイア戦争については当時、もうひとつの巨大勢力ヒッタイトの都ハットゥシャで見つかった粘土板文書にも記されている。
ヒッタイト楔形文字の解読によれば、ヒッタイトは内紛によって崩壊した。ヒッタイトの王は自ら都であるハットゥシャに火を放った。彼らはそこを放棄し、姿を消した。
ヒッタイトでの鉄の製法は最初は隕石の鉄だったという。その後、青銅を作る過程で鉄の塊を加工するようになった。
今、鉄から次なる新しい素材の時代の入り口にきている。鉄に変わる新しい素材は何なんでしょうか。