じじぃの「人の死にざま_224_トルストイ」

レフ・トルストイ - あのひと検索 SPYSEE
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Leo Tolstoy / Лев Толстой - Кинохроника 1908-1910 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=tk4whJ2aURY
ETV特集』 トルストイの家出 2010年12月5日 NHK教育
今年は、ロシアの文豪トルストイ(1828-1910)の没後百年に当たる。
徹底した非戦・非暴力を唱え、20世紀の世界に多大な影響を与えた平和思想家トルストイ。しかし、その名声とは裏腹に、家庭では16歳年下の妻ソフィアとの確執が絶えず、死の間際にはついに家出を決行する。
82歳の老作家を家出にまで駆り立てた夫婦の対立とは何だったのか。
今回、その謎に光を当てる資料が初めて公開された。ロシアの芸術アカデミーに保管されていたソフィアの日記である。そこからは自らの崇高な理想と家族の現実に引き裂かれ、もだえ苦しむ生身の人間としてのトルストイと妻ソフィアの姿が浮かび上がってきた。
番組は、ダンサーの田中泯さん、俳優の余貴美子さんによる日記の朗読劇を軸に、トルストイと妻ソフィアが繰り広げた知られざる愛と葛藤(かっとう)の日々を見つめる。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
レフ・トルストイ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイは、帝政ロシアの小説家・思想家。
代表作は『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『復活』など。平和主義者としても知られる。ロシア文学と政治の両方に大きな影響を与えた。19世紀を代表する小説家のひとりである。

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『賢者たちの人生論 プラトンゲーテからアインシュタインまで』 金森誠也/著 PHP文庫 2009年発行
トルストイ (一部抜粋しています)
音楽はわたしをして自分を忘れさせ、自分の真の位置を忘れさせます。 −−『クロイツェル・ソナタ』中村白葉訳 角川文庫
トルストイは若い時は音楽愛好家であった。しかし、かの「転機」以後は他の芸術作品と共に音楽をもひたすらおのれの準拠する禁欲的道徳の立場からのみ評価するようになった。彼はシェイクスピアを「他のなんでありえても芸術家ではなかった」と切り捨てた。とくに『リア王』は拙劣(せつれつ)な作品であり、特にリア王の3女で普通は絶賛されているてい女コーデリアは「無性格な人物」だと評した。
音楽についても点がからく、たとえば彼はヴァグナーの『ニーベルンゲンの指輪(リング)』4部作の1つ『ジークフリート』を幕が上がったあと入って見物したが、第2幕の中途でつまらぬといって出てしまったという。楽聖といわれたベートーヴェンについては、「第九交響曲は人を離反させる作品」とのべ、またとくに「クロイツェル・ソナタ」にいたっては人間を堕落させる音楽であるとして晩年の小説の主題とした。告白体のこの小説『クロイツェル・ソナタ』(1889)では、ロシアの裕福な貴族が妻との間に5人もの子どもをもうけたにも拘らず妻を愛することができず、それでいてピアノをひく妻と親しくなったバイオリン奏者の男に激しい嫉妬心を抱いた。彼は一時領地に赴(おもむ)いたが、留守中モスクワの自宅で妻とこの男が不倫をしていると信じ、予定を変更して急遽自宅に戻ったところ妻とその男が仲良く話し合っているのを目撃した。夫の恐ろしい顔つきをみて男は逃げたが、妻は逆上した夫に殺害されるにいたった。
ピアノをひく妻とバイオリン奏者が親しくなったのは、2人が告白者の自宅で「クロイツェル・ソナタ」を共演したときからである。その音楽を聞いているうちに夫は怨念をつのらせていた。以前から夫は妻が情欲に駆られているのを見て嫌悪の情を抱いていた。そのためもあって妻にもつらくあたり、妻も反発を強めるという有様であった。
「そのころシャルコー(フランスの有名な精神科医)がわたしの妻を診たらきっとヒステリーだといったでしょうし、わたしのことはアブノーマルだというでしょう」と夫は告白している。
まさにそのとおりで、常人ならば美しい旋律、魂を高揚させる音楽として評価する「クロイツェル・ソナタ」も、彼にとっては聞く者を忘れさせる狂乱のメロディーであった。妻とバイオリン奏者の密会を目撃し墳怒の気持ちに駆られた夫の気分は、絶えずクレッシュンド(漸次強声)に進んでいく「クロイツェル・ソナタ」そのものであった。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
トルストイ (1828-1910) 82歳で死亡。 (一部抜粋しています)
トルストイは、50歳のとき『我が懺悔(ざんげ)』を書きはじめた。それまでに書いた『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』をふくむすべての著作を「くだらない仕事」「悪徳の書」と否定し、「私は夢からさめた」といい、自分の持つあらゆる物欲、愛欲、慢心、墳怒、功名心、権勢欲などを−−具体的には、愛する妻も、ほとんど隔年に産んだたくさんの子供も、伯爵という地位も、毎年もたらされる巨額の印税も、すべて捨て去ることを決意した。
が、それを実現するには、当然、妻や家族たちの抵抗があった。愛し合っていた彼と妻は、おたがいに頭が変だときめつけ、妻のソフィアはヒステリーになり、一方トルストイは妻が姦通しているという妄想にとりつかれ、年とともに争いは深刻化した。
この争いが、30年以上もつづく。すべての欲望は捨てたといいながら、性欲だけは別と見えて、トルストイはこのソフィアとの間に13人の子供を作り、最後の子を生ませたのは彼が60歳のときという不可思議な事実もあるが。−−
その間彼は何度も家出を計ってはとりやめる、ということを繰り返したが、1910年10月28日、82歳の彼はついに実行した。
「12時半に就寝。3時半近くまで眠った。ふと眼がさめた。と、前夜、前々夜と同じように、またしても扉のあく音と足音が聞こえた。・・・・隙間ごしに見ると、私の書斎に燈火がついて衣ずれの音が聞こえる。ソフィアが何かを探し出して読んでいるのだ。・・・・昼夜の別なく、私のあらゆる行動、あらゆる言葉が、あれの監視下におかれているのだ。またしても足音、そっと用心深く扉を開けて、書斎へ通ってゆく。・・・・眠ろうとしたが眠れない。1時間ほど転々反則、蝋燭(ろうそく)に火をつけて坐った。・・・・突然、家出の決心を固めた」
この日記を最後に、トルストイはその朝の6時ごろそっとヤスナヤ・ポリャーナの家を出て、身のまわりのものをつめた小さな包み1つだけ持って汽車に乗り、ゆくえ不明になった。
その家出を、自分にあてつけたものと思ったソフィアは、邸内の池に飛びこんだが、家族に救いあげられた。
トルストイは家を出てから4日目に汽車の中で熱を出し、リャザン・ウラル鉄道のアスターポヴォという寒駅の駅長室に運ばれた。そこで肺炎と診断され、あとを追って来た妻や家族にみとられて、11月20日午前6時5分に偉大なる生涯を閉じた。

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