じじぃの「未解決ファイル_51_笑い」

粗忽長屋 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
【あらすじ】
朝、浅草観音詣でにきた八が、人だかりに出くわす。行き倒れ(身元不明の死人)があったのだ。遺骸を見れば(八の見たところではまぎれもなく)親友の熊公。
「おい熊、起きろぉ!」と遺骸を抱き起こす八に、居合わせた人たちが「知り合いかい?」と尋ねると、落胆しきった八いわく「ええ、今朝も長屋の井戸端で会いやした。あんなに元気だったのに……こりゃ本人に引き取りに来させないと」
話を聞いた群衆が「ちょっと待て、あんたそれは間違いじゃ……」と制止するのも聞かず、八は長屋の熊の所へすっ飛んでいく。
当の熊は相変わらず長屋で元気に生存している。八から「浅草寺の通りでおまえが死んでいた」と告げられた熊、最初は笑い飛ばしていたのだが、八の真剣な説明を聞いているうち、やがて自分が死亡していたのだと考えるに至る。落胆のあまりあまり乗り気ではない熊を連れて、八は死体を引き取りに浅草寺の通りに戻る。
「死人」の熊を連れて戻ってきた八に、周囲の人達はすっかり呆れてしまう。どの様に説明しても2人の誤解は解消できないので、世話役はじめ一同頭を抱える。
熊はその死人の顔を見て、「間違い無く自分である」と確認するのだった。「自分の死体」を腕で抱いてほろほろと涙を流す熊と見守る八。2人とも本気の愁嘆場、周囲の人々は全く制止できない。
と、そこで熊、八に問う。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう?」

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風呂敷 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
【あらすじ】
ある日、亭主の熊五郎の留守中にお崎の幼馴染の半七が遊びに来る。2人で語り合っていると、路地のどぶ板で足音がする。亭主が戸をとんとんたたいて「おい、今けえった」
こんなところを嫉妬深い亭主に見られたら、『不倫』と勘違いされて殺されかねない。如何しよう…と悩んだ挙句、半七を戸棚に押し込んで隠すことに。どうせ亭主は酔っぱらっているだろうから、うまく寝かせてその隙に逃がそうという算段だ。ところが、入ってきた熊五郎は問題の戸棚の前に寝そべると、そのまま大いびきで寝込んでしまった。
これでは戸を開けられない。かみさんが困っていると、そこへ鳶頭の政五郎がやってくる。「助かった!」、そう思ったお崎さんは鳶頭に相談。鳶頭も快く後処理を引き受けた。隣の家から風呂敷を借りてくると、お崎さんを外出させてから熊をゆさぶり起こす。
「あぁ、鳶頭。お崎は如何しました?」「買い物に行ったよ。ところで、面白い話があるんだが…聞くかい?」「へぇ」「今日、友達の家に行ったらな、おかしな話があったんだよ。そこのかみさんが留守番をしていると、そこへ幼馴染が遊びに来た。乱暴者の亭主の手前、追い返そうとしたかみさんだが、結局男を家に入れた」「悪いアマだ!! 俺が亭主だったら張り倒してやりますよ」
「そうか。マァ、その幼馴染と語り合っていると、亭主が不意に帰ってきたと思え。で、そのカカアがあわ食って、戸棚に男を隠しちまった」「へえー」「すると、亭主が酔っぱらって、その戸棚の前に寝ちまった」「そりゃ、困ったろうなぁ」
「そこで、オレがかみさんに頼まれて、そいつを逃がしてやったんだ」「どうやったんです?」「よく聞け! 寝ころんでたやつを、首に手をこうかけて起こして」「ふんふん」「余所見をされちゃいけないから、脇から風呂敷を持ってきて亭主の顔へこう巻き付けて…。何か見えるか?」「いいえ」
「そこでな、俺は戸をこういう塩梅にガラリと開けた」「なるほど」 開け放たれた戸棚から、ヘニャヘニャになった半七が出てきて鳶頭に平身低頭。「拝んでねえで逃げろ、と目で合図をして…
下駄なんかを忘れるなと声をかける」「へぇ」「そいつが影も形もなくなったら、戸を閉めて、それから亭主にかぶせた風呂敷を、こうやって」ぱっと風呂敷を取ると、熊が膝をポンとたたいて「なあるほど、こいつはいい工夫だ」

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芝浜 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
『芝浜』は古典落語の演目の一つ。三遊亭圓朝の作とされる。
酒ばかり飲んでいる男が芝浜で大金の入っている財布を拾う。しかし拾ったはずの財布がなくなる。妻の言葉によって「財布を拾ったこと」は夢であったと諦める。男は改心して、懸命に働き、立ち直り、独立して自分の店を構えるまでに出世する。後に妻から実は妻が財布を隠していたという事の真相を知らされるという筋である。夫婦の愛情を暖かく描き、古典落語の中でも屈指の人情噺として知られる。
戦後は3代目桂三木助が18番とし、彼の存命中は他の噺家は遠慮したほどであるが、現在では広く演じられる。7代目立川談志の18番としても高名である。噺のヤマが大晦日であることから、年の暮れに演じられることが多い。
1903年初演の歌舞伎世話物狂言『芝浜の革財布』は、本作が原作である。
【成立】
三遊亭圓朝の三題噺が原作。三題噺とは、寄席で客から三つのお題を貰い、それらを絡めて、その場で作る即興の落語である。ある日のテーマが、「酔漢」と「財布」と「芝浜」だった。ここから生まれた三題噺がベースとなって、その後本作が成立したとされているが、『圓朝全集』に収録されていないことや圓朝以前に類似の物語があることから、この説を疑問とする声もある。少なくとも19世紀中には「芝浜」として演じられた記録がある。

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笑いがいちばん 2009年12月6日 NHK
【司会】林家正蔵中川翔子 【出演】桂文珍インスタントジョンソン
落語、漫才からマジック、コントまで、演芸のさまざまなジャンルから、よりすぐりの出演者たちの「芸」をたっぷり味わってもらう演芸番組。それが『笑いがいちばん』です。
演芸そのものを紹介するだけでなく、その楽しみ方や味わい方まで、家族そろって楽しむことのできる番組です。
http://cgi4.nhk.or.jp/topepg/xmldef/epg3.cgi?setup=/program/waraichi/main
『人体の謎』未解決ファイル 日本博学倶楽部 PHP文庫 2009年発行
笑いこそ病気の特効薬!? 「病は気から」は本当だった! (一部抜粋しています)
元来よくいわれる言葉に「病は気から」または「病は気の持ちよう」というものがある。たいていの人はその言葉に何ら根拠がないと考えているだろうが、がんを克服したり、難病に冒された患者が余命を上回って生きるとったテーマのドキュメンタリー番組などを見ると、あながち嘘ともいえないだろう。
じつはこの話、さまざまなアプローチからの研究によって、現在では事実だとみなされている。
たしかにストレスは、脱毛症や、胃炎などの心身症をもたらすことで知られるが、それだけではない。体を病気から守る免疫にも影響することが報告されているのだ。
すなわち、ひどいストレス下におかれると、ヒトの体は病気に対する抵抗力が低下し、病気にかかりやすくなる。たとえば、試験中の学生などは、がん細胞を攻撃するナチュラルキラー細胞の働きが弱まるという調査結果がある。
またアバディーン大学の研究所が、ガン患者に対して通常の治療を施したグループと、治療に加え、白血球ががん細胞を壊滅させる姿を何度もイメージさせるグループにわけた結果、通常の治療だけしていた患者より、イメージをさせた患者の白血球が増加していたという。こうした発見は、まさに気力が病気に打ち勝つ一つの武器となり得ることを示している。
そこから誕生したのが「笑い」を正式な治療法として取り入れたプログラムである。
映画にもなったアメリカのパッチ・アダムス氏がその先がけといえるだろう。
彼がピエロ姿で病院を訪れる「ホスピタル・クラウン(病院の道化師)」が有名だが、日本では筑波大学の村上和男氏が、存在はしているのに眠りについたまま働かない遺伝子を、笑いの力で目覚めさせ、糖尿病などを直すという研究を重ねている。
実際に村上氏の研究では、糖尿病の患者に漫才を楽しんでもらっただけで、血糖値の上昇が抑えられたという。具体的に数字で示せば、ある患者は前日の血糖値が123ミリグラム上昇したのに対し、漫才を鑑賞した日は77ミリグラムだったと報告している。
この実験結果を受けて同氏はインシュリン注射や食事制限といったつらい思いを患者にさせずに血糖値を下げることが可能になると考えている。これはがんなどにも同様の効果があるとされ、今後の研究に期待が寄せられている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
12/6、NHK笑いがいちばん』を観た。
最初に「インスタントジョンソン」というお笑いトリオが漫才をやった。その後、ゲストは桂文珍さん。
桂文珍47都道府県 全国独演会ツアー」なるものをやっていたそうだ。今度、来年の4月6日から、「桂文珍 国立劇場 10日連続公演」をやるそうです。
文珍さんが正蔵さんに対してコメント。「情を語れる落語家です」
正蔵 この歳でないと出来ない話。
文珍 『粗忽(そこつ)長屋』。生きているのか、死んでいるのか分からない世界。話をしていて生きているのか、死んでいるのか分からなくなる。(笑い)。
桂文珍さんの題『風呂敷』
 京都大学霊長類研究所チンパンジー道具の貸し借りができるかやっていました。手が届かないと、そのステッキ、カシテ、カシテと手を振る。(笑い)。
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 亭主が出張だというのに、家に帰ってきたのよ。
 あわてて、押し入れに入れた。そしたら、亭主が押し入れの前で酒を飲み始めた。
     ・
 どうやって逃がしたか。いったん、風呂敷を頭にかけてな。・・・・・・
 俺の話が目の前であるように見えた。この風呂敷、穴があいてるよ。
夕方。日本テレビ笑点』を観た。
番組の最後に、「暮れに『芝浜』をやります」
話変わって
『人体の謎』の本に「笑いこそ病気の特効薬!? 『病は気から』は本当だった!」がある。
筑波大学の村上和男氏の「糖尿病の患者に漫才を楽しんでもらった」は、よしもと興業所属の漫才だ。
「笑い」が病気を治すというのは本当だった。
「笑う門には福来たる」