じじぃの「人の死にざま_08_井深・大」

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我が友 本田宗一郎 井深大が語る NHKオンデマンド
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ソニーを創った男 井深大 小林峻一著 ワック (一部抜粋しています)
井深大のニューパラダイム
近代科学はここ約300年の間、相次ぐ技術革新によって工業化、産業化を達成し、人類史上に未曾有の生産力増大をもたらした。その結果、科学は人類に少なくても物質的には比類のない豊かさを恵み、現代人は日々、どっぷりとその恩恵に浴している。一企業としてのソニーも20世紀工業化社会の寵児として世界に雄飛し、井深個人もまた世紀の冒頭から科学一家の科学少年として生い立ち、常に科学技術の最先端を疾駆して自らの夢を実現してきた。井深を井深たらしめてきたのは、まさに科学そのものだったといえる。
にもかかわらず、井深はこの科学、このパラダイムに対して異議を唱える。異議どころか間違いだとさえ言うのである。
「いま、訴えたいのはデカルトニュートンで作り上げた科学論が、限界にきているということです。今日の経済的な繁栄とか、科学技術の進歩とか、人類は大変大きな仕事をやってきたのだけれど、このことが果たしていいことなのだろうか。(中略)世界中の人たちは科学がすべてを解決するとか、科学を応用していけばうまくいくと考えているけれど、これは間違った考え方だと思うようになったのです。こうした科学論に害されているのが、医学や心理学、社会学、経済学です。わずかに物理学だけは、量子論の登場で逃げ出したといえます。(中略)デカルトニュートンがこしらえた科学のパラダイム(範例、規範)、科学の常識で絶対的と思われるものを、ぶちこわさなければならないといいうことです」(井深述、小島著 『井深大の世界』)
井深は口酸っぱくして強調する。たとえば、新生児とか胎児の持っている高い思考力や意識は、単に遺伝だけでは説明不能だ。また日本の教育はモノの教育だけに集中してきたが、心は一対いつ育てるのか。はたまた、心とか精神とかは大脳生理学という科学ではどうにもお手上げだ。あるいは、人間を機械のように部品で構成されているとみなす西洋医学デカルト的思考に最も害されている。だから、デカルトニュートンを捨てよ・・・・。
井深のこういった問題提起は、先述した幼児教育(心の育成)−東洋医学−気−脈診−Oリングテストと、まさに表裏の関係をなしている。本書冒頭で紹介した「違った分野でもう一つの文化勲章を」という発言には、このように遠大な背景があったのである。
1992年1月、2000名を超えるソニーのマネジメント(幹部)が一堂に集うマネジメント会同が開かれた。テーマは「ニューパラダイム」である。
しかし、話題は「大きさが半分になった」、「速度が倍になった」、「納期が半分の時間ですむようになった」、「売上げが倍になった」、「デジタル化をどう進めるか」などなど、いずれもデカルトニュートンパラダイムの域を出ていない。
晩年の井深はよく苛立っていたそうだが、この時もそうだった。
「君たちが言っているニューパラダイムはぜんぜん違う。コミュニケーションがどうだとか、パソコンをどうするだとかいう議論は聞き飽きた。期待して聞きにきたのに、方向が狂っているのではないか。何もわかっておらん」
井深は続ける。
「デジタルだアナログだっていうのは道具立てに過ぎない。今日明日のことをどうするかってことも大切だが、ニューパラダイムの意味をもっと大きく捉えてほしい。お客さまに満足していただく商品をこしらえることは、人間の心の問題です。モノと心が表裏一体であるという自然の姿を考慮に入れることが、近代科学のパラダイムを打ち破るいちばんのキーだと思う。こういったパラダイムシフト、つまり人間の心を満足させることを考えていかないと、21世紀には通用しなくなることを覚えていただきたい・・・・」
井深が倒れたのはこの年の春。そのせいであろう、井深は佐古に言った。
「最後は盛田君を説得するよ。彼ならできるし、彼しかできないことだ。タイミングを待とう」
ニューパラダイムの夢を盛田に託そうというのだ。
だが、そのタイミングは井深の前から永遠に消えていった。1993(平成5)年11月30日、盛田もまた突然の病に倒れたのである。

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ソニー創業者 井深大
若い頃から発明家として鳴らし、早稲田大学理工学部在学中に発明した「走るネオン」がパリ万国博覧会において優秀発明賞を受賞したことは有名。戦時中は熱線誘導兵器の開発に取り組み、そこで知り合った盛田昭夫とともにソニーの前身である東京通信工業を創立。戦後の荒廃の中、小さな町工場から出発し、「誰もやらないこと」にこだわって日本で初めてテープレコーダーを開発。その後、トランジスタの民生品への実用化に世界で初めて成功し、トランジスタラジオを開発。トリニトロンテレビ、家庭用ビデオテープレコーダー、そして「ウォークマン」など、数々の画期的な製品を世の中に送り出し、ソニーを世界的な企業に育て上げた。晩年は教育活動にも熱心に取り組み、幼児開発協会やソニー教育振興財団などを設立した。
http://www.dreamgate.gr.jp/feature/case/legends/04/
井深 大(いぶか まさる)
1908年、栃木県生まれ。早くから幼児教育の大切さを訴え、1969年に幼児開発協会(EDA)を設立。'92年に文化勲章を受章。著書に『幼稚園では遅すぎる』『0歳児の驚異』『井深 大の心の教育』『0歳』『胎児から』など多数。
1997年12月19日逝去、享年89歳でした。
どんな子にでもお母さんしだい
人はどのように育つのか、どのように育てられたら良いのか、つまり“人づくり”とは何か、ということを真剣に考えてまいりました。そして私が注目したのは、人の性格やものの考え方、能力といった広い意味での資質は、子どもが胎内にいるときからすでに成長が始まっており、その母子をとりまく環境に大きく影響されているということです。

母親の役目は何にもまさる貴重なものです。母親こそ子どもをどんな人間にでも育てることができるのです。言葉をかえれば母親は偉大な芸術家であり、医者であり、牧師でもあります。そして何よりもすぐれた教育者であってほしいものです。
母親は子どもを授かった瞬間からその子の人間形成にしっかりした目的意識を持ち、できるだけの環境を整えて子育てを実行することが大切なことと言えましょう。
次の世代を担って立つ子どもたちがすぐれた人材に育つよう、世の中の母親一人ひとりに胎児から始まっている幼児教育の重要性をよく知ってほしいと思います。
http://www.sony-ef.or.jp/eda/welcome/ibuka/