Brahmins & Upper Caste Hindus 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pADUEUGD8RI
Castes Brahmins
しくじり先生 「中田歴史塾」 2016年9月11日 テレビ朝日
【先生】オリエンタルラジオ中田 【担任】オードリー若林 【生徒】あき竹城、高橋英樹、その他
「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日)の「しくじり偉人伝」コーナーなどで、その授業が大きな反響を呼んでいる中田。このたび「中田歴史塾」では「二度と独裁者に戦争を起こさせないための歴史学」と「日本人が世界のトップに立つためのインド史」の2つをテーマに、楽しくてためになる歴史の授業を行う。
●日本人が世界のトップに立つためのインド史
カースト制度について解説。インドにおける身分制度だと話し、3000年前からあったという。
1950年にインド憲法で廃止された。今もまだ地域によって差別が根強く残っていると言われている。この差別は、結婚相手と仕事が自由に選ぶことができない。この差別をのりこえてインドは急成長できている、ITは、カーストのルールにない新しい仕事だった。
http://www.tv-asahi.co.jp/shikujiri/
『サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福』 ユヴァル・ノア・ハラリ/著、柴田裕之/翻訳 河出書房新社 2016年発行
帝国が支援した近代科学 (一部抜粋しています)
モヘンジョ・ダロはインダス文明の主要都市の1つであり、紀元前3000年紀に栄え、紀元前1900年ごろに壊滅した。イギリスは以前にインドを支配したマウリア朝も、グプタ朝も、デリーのスルタンたちも、ムガル帝国も、遺跡には見向きもしなかった。ところが1922年、イギリスが実地した考古学調査は、モヘンジョ・ダロの遺跡に注目した。それから、イギリスの調査隊は遺蹟を発掘してインド初の大文明を発見した。その文明のことは、インド人たちもそれまでまったく知らなかった。
イギリス人の科学的好奇心の顕著な例をもう1つ挙げよう。楔形文字の解読だ。これは3000年近く中東一帯で用いられていた重要な書記体系だったが、それを読むことができる人はおそらく1000年紀初期に死に絶えた。それ以降、その地域に住む人びとは遺跡や石柱、古代の廃墟、壊れた壺や甕(かめ)の類に楔形文字が刻まれているのをたびたび見かけはしたものの、彫り込まれているその尖った奇妙な文字の読み方を知らなかったし、また現在わかっているかぎりでは、読もうとしなかった。楔形文字がヨーロッパ人に注目されるようになったのは1618年だ。
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ヨーロッパの諸帝国は、科学との密接な協力により、あまりにも巨大な権力を行使し、あまりにも大きく世界を変えたので、これらの帝国を単純には善や悪に分類できないのではないか。ヨーロッパの帝国は、私たちの知っている今の世界を作り上げたのであり、そのなかには、私たちがそれらの諸帝国を評価するのに用いるイデオロギーも含まれているのだ。
ところが科学は、帝国主義者によってもっと邪悪な目的に使われた。生物学者や人類学者、さらには言語学者までもが、ヨーロッパ人は他のどの人種よりも優れているため、彼らを支配する(義務とは言わないまでも)権利を持っているとする科学的証拠を提供した。ウィリアム・ジョーンズがすべてのインド・ヨーロッパ語族は単一の古代言語を祖先とすると主張した後、多くの学者が、その言語を話していたのが誰かを突き止めたいと熱望した。最初期にサンスクリットを話していたのは、3000年以上前に中央アジアからインドに侵攻した人々で、自らをアーリアと称していたことに学者たちは気づいた。最古のペルシャ語を話す人たちは自分たちをアイリイアと称していた。そこでヨーロッパの学者はサンスクリットとペルシャ語を(ギリシャ語、ラテン語、ゴート後、ケルト諸語とともに)生み出した原初の言葉を話していた人々は、自らをアーリア人と呼んでいたに違いないと推測した。インドやペルシャ、ギリシャ、ローマの堂々たる文明を起こしたのがみなアーリア人だったのは、偶然の一致などということがありうるだろうか?
次に、イギリスとフランスとドイツの学者は、勤勉なアーリア人についてのこの言語的理論とダーウインの自然選択説を結びつけ、アーリア人は言語上の集団であるだけでなく生物学的な実体、つまり1つの人種であると断定した。それも、他の人種とただ違いだけでなく最も優れた人種であり、背が高く、髪の色は明るく、青い目をしており、勤勉でずば抜けて理性的で、北の霧の中から出現して世界中で文化の基礎を築いた人々だと考えた。遺憾ながら、インドとペルシャに侵入したアーリア人は、そこで出会った地元の先住民と結婚して、明るい色の肌や金髪を失い、それとともに理性や勤勉さも失ってしまった。
その結果、インドやペルシャの文明は衰退した。一方、ヨーロッパではアーリア人は人種的純粋性を維持した。だから、ヨーロッパ人は世界の覇権を握れたのであり、世界を支配するのにふさわしかったのだ――劣等人種と混ざり合わないように用心した場合には。
こういった人種差別的な理論は、何十年にもわたってもてはやされ、世間に認められてきたが、やがて科学者にも政治家にも等しく忌み嫌われるようになった。人々は人種差別との高潔な戦いを続けているが、戦いの場が移ったこと、そして帝国主義的イデオロギーに占めていた人種差別の位置には、今や「文化主義」が収まっていることには気づいていない。「文化主義」などという言葉はないが、こういう造語が登場してもいいころだろう。今日のエリート層は、多様な人間集団にはそれぞれ対照的な長所があると主張するとき、十中八九、人種間の生物学的相違ではなく文化間の歴史的相違の視点から語る。私たちはもはや「血統だ」とは言わず、「文化のせいだ」と言う。
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どうでもいい、じじぃの日記。
インドのカースト制度は、3000年前からあったとのこと。
3000年以上も続く制度というのは、それなりに意味のある役割があったのじゃないかと思ってしまう。
「インドとペルシャに侵入したアーリア人は、そこで出会った地元の先住民と結婚して、明るい色の肌や金髪を失い、それとともに理性や勤勉さも失ってしまった」
いわゆる、白人というのはどこかに優越意識があるのだろうか。
考古学で頭蓋骨を比較する場合、だから我々白人は他の人種とは違うというのを証明したがっているようなところがある。
21世紀は中国の時代だという。
これがいいのか、悪いのか、日本人としては何か違うんじゃないの、と言いたいところではないか。