青い山脈 (1949) 動画 YouTube
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小津安二郎 『東京物語』 予告編 動画 YouTube
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【享年95歳】謎に包まれる原節子の生涯の全貌を解き明かす! 2015/06/16 MARBLE
かつて戦後日本の銀幕で活躍した女優、原節子。42歳での電撃引退後、極秘の隠居生活を送っていました。そんな原節子ですが、先日、享年95歳にして肺炎で亡くなっていたことが発覚しました。今回はそんな原節子の謎に包まれた生涯を追ってみたいと思います。
http://topicks.jp/16009
『原節子の真実』 石井妙子/著 新潮社 2016年発行
それぞれの終焉 (一部抜粋しています)
節子は時代の移ろいのなかにいた。
雑誌のロケ撮影で若い女優たちと一緒になった。節子は、自分に与えられた広い部屋を後輩たちに譲った。恐縮する久我美子たちに節子は言った。
「これからは、あなたちちのほうが会社にとって大事な存在なのだから」
ロケ先での節子は、ひとりで過ごすことが多かったが、それでも、誘われれば麻雀やトランプに興じるようになった。男たちが品のない話を披露しても。「いやあね」と苦笑しながら受け流した。
今では何事にも自分から打ち解けるように努め、やり過ごすようになった。かつて、「ひとづきあいが悪い」「愛想がない」「高慢だ」と叩かれた少女は、いつの間にか20年以上の歳月を映画界で過ごしたのだった。
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原節子の存在が、原節子のイメージが、若い女性たちを女優の道へと導いた。家庭の事情とは関係なく、純粋に「女優」という職業に憧れてこの世界に入ってくる。明るく、聡明で、品があり、美しい後輩たち。
「ポスト原節子」として注目を集めたのが、香川京子、久我美子、司葉子、岸恵子たちだった。皆、品がよく、近代的な知性を感じさせた。節子は彼女たちに、極めて優しく姉のように接した。
戦前は先輩女優が新人をいびり、嫉妬して苛(いじ)めぬくことが、なかば撮影所の習わしとなっていた。挨拶が悪い、先輩への礼儀を知らないと絡まれ、序列をやかましく言われた。若狭の盛りを過ぎた女優は、自分の価値をそうやって保とうとしていたのかもしれない。
後輩が無理難題を押し付けられて困っているのを見ると、節子は「私が引き受けるから、そんなことを綺麗な女優さんに頼まないで」と言って、盾になった。彼女たちに対抗しようなどという考えは、節子にはなかったのだろう。自分の行く末をすでに定めていたのかもしれない。
多くの後輩女優が、節子を尊敬し慕った。映画雑誌が新人女優に、「憧れの先輩」をたずねるアンケートを取ったところ、全員が節子の名前を書き、企画そのものが成り立たなくなったという逸話が残されている。
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どうでもいい、じじぃの日記。
2015年9月5日、昭和を代表する女優の原節子さんが亡くなった。95歳だった。
原さんは1920年(大正9年)に生まれた。
1963年(昭和38年)、42歳で女優業を引退した。
引退してから、亡くなるまでが53年。原さんの生涯は引退後の方が長い。
引退後の、2000年(平成12年)に発表された『キネマ旬報』 「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の第1位に輝いた。
引退後は鎌倉の自宅で、よく本を読んで暮らしたらしい。
才女でもあった原さんはどんな本を読んでおられたのだろうか。