じじぃの「人の死にざま_1010_エラリー・クイーン(D)」

エラリー・クイーン - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3/1044/
Ellery Queen too many suspects talking to audience.mp4 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9K6N4D31kmQ&feature=related
ellery queen black falcon finding body in wine cellar.avi 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=UK7mdKCl-zE&feature=related
Frederic Dannay 画像
http://i415.photobucket.com/albums/pp240/GADetection/DannayFrederic.jpg
エラリー・クイーン ウィキペディアWikipedia)より
エラリー・クイーンEllery Queen)は、アメリカの推理作家。フレデリック・ダネイ(Frederic Dannay、1905年10月20日 - 1982年9月3日)とマンフレッド・ベニントン・リー(Manfred Bennington Lee、1905年1月11日 - 1971年4月3日)が探偵小説を書くために用いた筆名の一つ。ダネイとリーは従兄弟同士であり、ユダヤ系移民の子である。上記の彼らの個人名もそれぞれペンネームであり、ダネイの本名はダニエル・ネイサン、リーの本名はマンフレッド(あるいはマンフォード)・エマニュエル・レポフスキー。
小説シリーズでは、エラリー・クイーンは著者の名前だけでなく物語の名探偵の名前でもある。一般的人気はクリスティに劣るものの、日本では特に熱烈なマニアの崇拝を集め、この名を第一に挙げる推理作家が非常に多い。なお共作の手法は、まずプロットとトリックをロサンジェルスに住むダネイが考案し、それをニューヨークに住むにリーに電話で伝え、2人で議論を重ねたあとリーが執筆した。 2人がこの創作方法をとるようになったのは、プロットを思いつく能力は天才的ながら文章を書くのが苦手なダネイと、プロットは作れないが文章は大変上手なリーの2人の弱点を補完するためであった。
日本では昔からマニア的読者に強い人気を誇り、強い影響を受けた作家が数多く存在する。

                                    • -

『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
エラリー・クイーン(ダネイ) (1905-1982) 77歳で死亡。 (一部抜粋しています)
クイーンの半身の1、フレデリック・ダネイは、1971年半身マンフレッド・B・リーが死んだとあと、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集とアンソロジーの編集で10年を過し、その間日本に来たりしたが、実作としてはついに、一篇の推理小説も発表せず、1982年9月3日、ニューヨーク郊外のホワイト・ブレーンズ病院で死亡した。
病名は発表されなかった。で、いまなお病名は不明である。それはのちに明らかになるだろうが病名を隠そうとした事実は変わらない。
20世紀後半、一般にアメリカでも日本でも、奇妙に死者の病名をあいまいにする傾向が生じたようだ。おそらくそれは、ガンだけが不治の病気になったために、ガンを隠すためにはほかの病名も隠さざるを得なくなったせいと思われる。
チェスタートン「一枚の木の葉を隠すなら森の中に隠せ」
近代医学「ガンを隠すなら他の病名もすべて隠せ」

                                    • -

Ellery Queen Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&aq=hts&oq=&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=Ellery+Queen&oi=image_result_group&sa=X