じじぃの「人の死にざま_906_H・シャリエール」

Papillon (1973) Full HD 動画 YouTube
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henri charriere - photos of vasco nunez
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アンリ・シャリエール フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
アンリ・シャリエール(Henri Charriere、1906年11月16日 - 1973年7月29日)は、フランスの小説家、映画俳優。
南フランスのアルデーシュ県出身。11歳の頃に母親を失い、ぐれ始めた。後にパリでモンマルトルのひもとなるなど、環境に恵まれなかった。
1931年に殺人事件の容疑者として、フランス領ギアナのデビルズ島の徒刑場で無期懲役受刑囚として過ごす。「パピヨン(小説・映画)」に出てくる刑務官のセリフに、 "ギアナの処刑場は人間を壊すための刑務所だ" とあるように、刑務所でのアンリ・シャリエールの囚人生活は凄惨を極めるものだった。彼はデビルズ島に服役中に幾度かの脱走を試みている。最も有名なものは1933年11月21日にアンドレ・マチュレットとヨーハン・クルジオと共に試みた9度目の脱走劇である。この脱走で彼らはコロンビアへ辿り着くが結局失敗に終わり、クルジオは2年の独房生活の後に獄死する。しかし、1944年にココナッツの実を入れた袋を用いてマチュレットと共に遂に脱走に成功。シャリエールはベネズエラの市民権を手に入れ、不幸な生活は終わりを告げる。
この囚人生活と脱獄を描いた「小説・パピヨン」は、1969年に発表されると、17ヶ国語に翻訳され、累計で1,000万部のベストセラーとなった。
また、1971年には、本人が書いた小説を原作とした映画、「太陽の200万ドル」が公開され、アンリ・シャリエール自身が俳優としてキャストに名前を連ねている。彼は同時に原作と脚本も担当し、映画人として、また俳優として名を広めた。

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映画になった戦慄の実話2――真相はそうだったのか! 鉄人社ノンフィクション編集部 鉄人社  2012年発行
見に覚えのない殺人罪で地獄の徒刑場に13年――「パピヨン」と呼ばれた不屈の脱獄王 (一部抜粋しています)
シャリエールは1906年、南フランス生まれ、海軍での兵役を終えた後、モンマルトルでヒモを生業とする一方で犯罪の道に入り、パリでも一目置かれる存在となる。また、映画のとおり胸に入れた蝶のタトゥから”パピヨン”の愛称で呼ばれていた。
31年、25歳のとき、犯罪者仲間の裏切りから身に覚えにない殺人罪終身刑を言い渡され、当時フランス領だった南米ギアナの”デビルズ島”の徒刑場に贈られる。この監獄は、劇中の刑務官の台詞にもあるように「人間を壊すための刑務所」で、その囚人生活は凄惨を極めるものだった。
ダスティン・ホフマン演じるドガは、映画同様、偽造の罪で15年の禁固刑に処されていた実在の人物で、ここでシャリエールと知り合い後に親友となる。
映画でシャリエールは3度目のチャレンジで脱獄に成功している。が、実は9回に上り、最後を除けば劇中でも詳細に描かれる33年11月の脱走が最も有名だ。
このとき参加したのは、映画だとシャリエールとドガ、他にマチュレット、クレジオ(両者とも実在の人物)の4人だが、実際にはドガを除く3人。彼らは首尾よく脱走を図るもコロンビアで撮られられ現地のバランキーヤ刑務所に収監される(映画では、クレジオだけが脱走自体に失敗したことになっているが、彼もコロンビアで捕えられた後、2年後に監獄で死去)。
独房で5年の収監生活を終え、シャリエールとマチュレットが出獄(映画でマチュレットは出獄直後に死んだことになっている)。再び戻されたデビルズ島の徒刑場で地獄の囚人生活を過ごしつつ、脱獄の機会を虎視眈々と狙っていた。
映画は、ドガに見送られたパピヨンが、一人で断崖絶壁から海に飛び込み、椰子の実を浮き袋代わりに、自由に向かって泳ぎ出すシーンで終る。が、実際にはマチュレットも参加しており、2人して脱獄に成功、ベネズエラに辿り着き、現地で市民権を得る。
69年、63歳のときシャリエールは13年間の囚人生活と脱獄の一部始終を著した「小説・パピヨン」を発表する。本は17ヵ国に翻訳され、累計で1千万部のベストセラーに、71年にはこの小説を原作とした映画「太陽の200万ドル」が公開され、シャリエールは脚本を担当する傍ら、本人自らも俳優として作品に出演する。
そして、2年後に映画「パピヨン」制作開始、シャリエールも原作者として、スタッフや自身を演ずるスティーブ・マックイーンに多くのアドバイスを与えたが、その途中で喉頭ガンで死去。完成した映画がアメリカで公開される2ヵ月前、73年7月のことだった。

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