じじぃの「人の死にざま_358_M・シャガール」

マルク・シャガール - あのひと検索 SPYSEE
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Marc Chagall Slideshow 動画 YouTube
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私と村
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エッフェル塔の夫婦
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マルク・シャガール フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
マルク・シャガール(1887年7月7日-1985年3月28日)は、20世紀のロシア(現ベラルーシ)出身のフランスの画家。
【人物・来歴】
1907年、当時の首都サンクトペテルブルクの美術学校に入るが、同校のアカデミックな教育に満足しなかったシャガールはやがてレオン・バクストの美術学校で学ぶことになる。バクストは当時のロシア・バレエ団の衣装デザインなどを担当していた人物である。
シャガールは1910年パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へ戻る。この最初のパリ時代の作品にはキュビスムの影響が見られる。1915年に結婚。10月革命(1917年)後のロシアでしばらく生活するが、1922年、故郷に見切りをつけ、ベルリンを経由して1923年にはふたたびパリへ戻る。 1941年、第二次世界大戦の勃発を受け、ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命した。なお、同郷人で最初の妻ベラ・ローゼンフェルトはアメリカで病死した。

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ムンクを追え!』 『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日 エドワード・ドルニック著 光文社 (一部抜粋しています)
この犯罪が行われた当日は、いつもの冬の土曜日ではなかった。1994年2月12日は冬季オリンピックリレハンメル大会の開催初日だったのである。
それはノルウェー国民にとって、とりわけ国を代表する政治家や文化人たちにとって、ノルウェーが世界の注目を浴びる、めったにない機会だった。
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ノルウェーから遠く離れた場所で、この事件をじっと注視している男たちがいた。ロンドン警視庁美術骨董課、通称<美術特捜班>に所属する精鋭たちである。
『叫び』盗難のニュースがもたらされたのは、週末だった。そして1994年2月14日、月曜日の朝に、早くも特捜班は動きだした。課長が真っ先に電話を入れた相手は、囮捜査の第一人者、チャーリー・ヒルだった。
「チャーリー、聞いたか。『叫び』が盗まれた」
「昨夜、ニュースで見ましたよ」
「われわれが力になれると思うか」
公式には、外国で発生した絵画盗難事件であるから、ロンドン警視庁はいっさい関知しない。それに『叫び』の行方を追うとなれば、一筋縄ではいきそうもない。捜査費用もかさむだろうし、危険もともなうだろう。お偉方たちはきっとこう言うにちがいない。「いったいどうして、外国の事件に関わる必要があるのかね」
たしかにそのとおり。オスロで起きた事件は、オスロの警察に任せておけばいい。
チャーリー・ヒルの言葉を借りれば、"ロンドンの警察にとっては知ったこっちゃない事件"だった。がしかし、"関わらずにはいられない魅力的な事件"でもあったのである。

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ひろしま美術館蔵 シャガール【ヴィテブルクの眺め】(一部抜粋しています)
絵画の方法論を無視したシャガールの私的な「自分勝手」
地面がふわふわと白く、空もふわふわと白い。雪景色なのかな、と思うが、屋根は白くない。
でも右の家の屋根瓦は白い線が波打っている。真ん中や左の家も、屋根の軒先はちょっと白い。家の入口前の階段も、ちょっと白いものが載っている。やっぱり少し雪が降ったのだろうか。全面的な雪景色じゃなくても、ちょっとした雪景色なのかもしれない。
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シャガールの絵は家庭で揚げる天麩羅
シャガールの絵というのは、アウトラインが何となく天麩羅みたいだ。素材そのままの活き造りとか、包丁をスパッと入れたお刺身というのとは違って、犬でも馬でも人物でも、メリケン粉を溶かしたのにたっぷりつけて、油で揚げて天麩羅にしている。馬車も家も、屋根も空も、衣のついた天麩羅みたいだ。それも高い上等の料理屋でかりっと揚げた、角の立つような天麩羅というよりも、ふつうの家庭で揚げる天麩羅みたいに、衣がけっこうたっぷりめについて卓袱台に並んでいる。

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『一冊でわかる絵画の楽しみ方ガイド―印象派写実主義から抽象絵画シュルレアリスムまで』 太田治子/著 成美堂 2005年出版
シャガール (一部抜粋しています)
私と村
故郷ヴィテブスクの風景の中に雌牛とシャガール自身を描いた、初期の中でも特に幻想的な要素が強い作品。
私、であるシャガールと大きな雌牛の顔が画面いっぱいに描かれ、故郷への思い入れが伝わってくる。ガラスの上に置くような透明感のある技法、鮮明で斬新な色彩は、見るものを魅了してしまう。上方の男女の構図も不思議な様相だ。
エッフェル塔の夫婦
明るく活気に満ちたパリの風景に美しい新郎新婦。自由と希望を思わせる、色彩豊かで魅力的な作品である。そして2人をエデンの園へと連れ出そうとしている鶏や天使たちがこの新郎新婦を祝福していて、それぞれの表情も穏やか。幸せな2人は、もちろんシャガールとベラだ。
右下に故郷、左上に太陽、背景はエッフェル塔、左中にはユダヤ教徒の結婚式、空には体がヴァイオリンのヤギ、シャガールが好きなモティーフが随所に見られる。
不安定な時世だからこそ確実なもの「愛」を描く。しかしパリでの安定した生活は長くは続かず、おの絵が描かれた頃から第二次世界大戦が勃発、5〜6年後にはベラを亡くした。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
3月28日−マルク・シャガール (ロシア画家・97歳)
故郷ロシア(現ベラルーシ)のなつかしい風景に裏打ちされた民族と幻想をキャンパスに叩きつけた画家だった。
絵画の理念や形式は二の次で個人の思い出、想像力こそ創作の源と考えるシャガールは1918年、アメリカの美術学校の校長に任命された時もそうした信念を貫き、辞任したいきさつがある。
何ものにも捕らわれぬ自由人。マルク・シャガールとはそういう芸術家だった。

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