じじぃの「いろいろなパラドックス」検索

The Blue Bird [Part 1] 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=edPZQZBkbbs&feature=related
The Blue Bird [Part 9] 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6vA_mq2EXVg&feature=related
2012年10月14日、NHKサイエンスZERO』「速報 ノーベル賞! iPS細胞 その舞台裏」 より (追加)
【司会】南沢奈央竹内薫中村慶子 【ゲスト】東京大学名誉教授 浅島誠
竹内 2006年にiPS細胞の研究論文が出たときは、どんな感じだったのですか?
浅島 率直に言ってびっくりした。我々の予想をはるかに超えていた。分化した細胞が初期化して、受精卵と同じような能力を持つことがたった4つの遺伝子でできるとは思わなかった。
竹内 4つというのはインパクトが大きかったのですか?
浅島 細胞というのはもっと複雑で、そんなに簡単に戻らないだろうと思っていた。それが4つの遺伝子で初期化できることに大きな衝撃を受けた。
竹内さんが京都大学iPS細胞研究センターを訪れ、山中伸弥教授にインタビューをした。
4つの遺伝子で初期化できることが分かったとき、山中さんはどう思ったのでしょう。
山中 今まで20年以上研究していますが、こんなことは本当に初めてでうまくいったと思っても間違いや誤解だったとか、全部が水の泡になることの繰り返しだった。ウソだろう、こんなにうまくいくはずがない、こんなバカな、というのがドンドン最後まで続いて、研究の過程でも、今回の受賞したときも純粋な喜びはあまりない。むしろ不思議だ、生物のもつ力というのがあるんだな、と思いました。
スタジオに戻って
浅島 生命というのは複雑で奥深いのだが、複雑だけど単純、単純だけど複雑。何かパラドックスのような、生命科学、生命というのはどういうものか、あらためて考えさせる重要な発見でした。
竹内 山中先生が成功した秘密とか凄さというのは、一体どこにあったのでしょうか?
浅島 科学というのは一本筋ではなく、むしろいろんな方向とアプローチしながら、新しい方法があってそれを取り入れて、すべてを注ぐということなんです。山中先生の凄さというのはそういうことを見抜いて、透徹した考えで、常にどうしたらそこに行けるか、そして結果を出したということは凄いと思います。
南沢 山中先生の周りにたくさんの人がいて、みなさんが山中先生を助けて、ノーベル賞につながっているんですね。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012037835SA000/
『昔話の深層』 河合隼雄/著 福音館書店 1977年発行
怠け者 (一部抜粋しています)
昔話は多くのパラドックスに満ちている。昔話から常に勧善懲悪的な読みとろうとする人は昔話のもつパラドックス性に、しばしば戸惑いを感じさせられるものである。今回取りあげる「怠け」ということも、そのひとつであろう。
グリム童話「ものぐさ3人むすこ」は興味深い物語である。3人のむすこをもった王様が、臨終の床で世継ぎを決めるときに、3人の中で一番ものぐさ者に王位をゆずりたいと言う。総領の王子は、「水のしずくが目にとびこんできたりするようなときでさえ、目をとじるのが億劫でかなわぬ」と言い、2番目の王子は、「火にあたっておりますときでも、ちょいと足をひっこめるのさえ億劫で、いっそかかとにやけどをした方がましだというほどでして」と述べたてる。ところが3番目の王子はもっと徹底している。首吊りの縄がかけられたとき、縄を切るためのナイフを手に握らせてもらっても、その手を持ちあげるくらいなら、いっそのこと首吊りにされた方がましだと言うのである。王様もこれには感心して3番目の王子に王位をゆずりことになる、というお話である。
この話で、奇妙な感じがするのは、どうして、ものぐさであることがそれほど高く評価されるのかが疑問に感じられるからである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
東金図書館から『昔話の深層』という本を借りて来た。
単なる「昔話」の本ではない。「深層」が入っている。
昔、昔で始まる童話の世界。読んでいると結構残酷な話が出てくる。
「昔話は多くのパラドックスに満ちている」
パラドックス」とはなんぞや。
パラドックス(paradox) -- 一般的な見解とは矛盾しているようであるが、一種の真実を含んだ説。逆説。
                            広辞苑より
「怠け者」は「勤勉」の反対語だ。アリとキリギリスの世界。「怠け者」も人間の一面を表したものであり、「勤勉」もまた人間の一面を表したものであり、「怠け者」と「勤勉」は表裏一体であり、パラドックスの世界なのだ。
「善」と「悪」、「神」と「人間」。童話の世界は深層心理の世界なのである。
童話『青い鳥』は、命がけで探した青い鳥は結局、家の鳥かごの中にいたというパラドックスの物語である。
もしかしたら、世界はパラドックスに満ちているのかもしれない。
ネットで「パラドックス」をキーに検索してみた。
●オルバースのパラドックス(Olbers’Paradox)は「宇宙の恒星の分布が一様で、光度も平均的に場所によらないと仮定すると、空は全体が太陽面のように明るく光輝くはず」というパラドックス(背理)である。このパラドックスの帰結は、星からの光は星までの距離の2乗に反比例して暗くなるが、距離が遠い星の数は距離の2乗で増えるので、これらはちょうど打ち消しあい、どの方向を見てもいずれかの星の表面がみえるはずだという推論に基づく。このパラドックスの名は、これを記述した19世紀の天文学者ハインリヒ・ヴィルヘルム・オルバースから採られているが、この問題自体はそれより古くから議論されてきたものである。このパラドックスが成立するためには、空が星で覆い尽くされるほどに宇宙が空間的に非常に広くなければならない。また光速が有限であるため、そのような広大な空間を光が伝わってくるような非常に長い時間の昔から星が輝いていたとすることも必要となる。現在では、このために必要な距離や時間は、宇宙の大きさや年齢よりはるかに大きなものとなることが明らかとなったため、オルバースのパラドックスの前提は成立しないことがわかっている。
                            ウィキペディアより
観測問題という量子力学パラドックスを扱います。従来の学説は、量子を「粒子と波の双方の性質をもつもの」というふうに描写する。その際、基本としては、「量子は粒子である」と立場を取る。その結果、「一つの粒子が複数の状態をもつ」(一つの粒子の可能性が広く分布する)(重ね合わせ状態にある)という奇妙な表現を取るようになった。その奇妙さが、さまざまなパラドックスとして現れた。
●【アキレスと亀】 あるところにアキレスと亀がいて、二人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らか(注:イリアスにおいてアキレスの枕詞の一つは「駿足の」である)なので亀がハンデをもらって、いくらか進んだ地点(地点 A とする)からスタートすることとなった。スタート後、アキレスが地点 A に達した時には亀はアキレスがそこに達するまでの時間分先に進んでいる(地点 B)。アキレスが今度は地点 B に達したときには亀はまたその時間分先へ進む(地点 C)。同様にアキレスが地点 C の時には亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけないことになる。ゼノンのパラドックスの中でも最もよく知られたものの一つであり、多数の文献は彼の手に帰しているが、歴史家パボリノスの説によれば、この議論を創始したのはパルメニデスであるという。その議論やキャラクターの面白さから、アキレスと亀という組み合わせは、この論自体とともに、多くの作家に引用された。たとえば、ルイス・キャロルの「亀がアキレスに言ったこと」や、ダグラス・ホフスタッターの啓蒙書『ゲーデルエッシャー、バッハ』に主役として登場する。
                            ウィキペディアより
カントールパラドックス 対角線論法カントールが創始した手法ですが、その手法によって、無限が無限に作り出されることになりました。そのあまりにも革新的な手法は、それまでの数学の体系にどうしても押し込めることが不可能になってしまいました。不可能になったことによって、対角線論法と今までの数学の体系とで亀裂が生じ、どうしても矛盾してしまう部分がでてくるようになってしまったのです。以前に紹介しました、ツェルメロ・フレンケルの公理は、噴出する矛盾をどうにかして数学からなくそうとして打ち立てられたものです。 しかし、簡単に公理が打ち立てられたわけではありません。さまざまな矛盾がでてきて、カントールの無限論を使うとなると、ほとんど数学として用をなさなくなってしまうほどだったのです。その中で、さまざまな紆余曲折を経なくてはいけませんでした。この紆余曲折の中でみいだされた矛盾をいくつかご紹介しましょう。その中に、この節で考えようとしている対角線論法が使えるならば、必ず外部が見出せるのかどうかという答えが潜んでいるのです。
その他に、「ラッセルのパラドックス」というのがあった。カタログ分類していて、自分自身を載せている場合と、載せていけないのを分類分けしようとすると、矛盾が生じるというもの。
「逆もまた真なり」
パラドックスは、童話の世界にとどまらず、すべての世界に存在するのである。