じじぃの「人の死にざま_256_E・ヘミングウエイ」

アーネスト・ヘミングウエイ - あのひと検索 SPYSEE
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Famous Authors Ernest Hemingway 1899 1961 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Kot9B7yPSW0
『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
7月2日−アーネスト・ヘミングウエイ (アメリカ作家)
母親の型にはまった道徳教育に反発し、男らしさを探し求める人生をおくったのがヘミングウエイだった。
男らしさを表現する場所はスポーツがいいと挑んでみたがリタイア。それならと書くことでそうした世界を描こうと新たに勝負を賭ける。
父の手づるでカンサスシティスター新聞社の記者になったが志願兵として戦地へ発つ。北イタリアでひん死の重傷を負ったヘミングウエイはこの戦争体験をベースにした小説『日はまた昇る』(1926)を発表したところ大ベストセラーとなり、一躍時の人になる。
武器よさらば』(1929)『誰が為に鐘は鳴る』(1940)と連続ベストセラー。大衆はヘミングウエイとは行動する男らしい作家とのイメージを勝手に抱く。彼はその虚像を演じて生きた。
女房を次から次へと変えながら執筆を続けてきたヘミングウエイは1952年『老人と海』という最高傑作を世に出し、これでノーベル賞を受賞し、最高峰へ登り詰めた。
だがその7年後、自ら命を断ってしまう。生涯、母と和解できなかったやるせない想いと実像の間で苦悩してきたが故の自殺だったのだろうか。それは永遠にミステリアスのままだ。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ヘミングウエイ (1899-1961) 62歳で死亡。
1954年1月、55歳のヘミングウエイは、アフリカで飛行機事故を起こして重傷を負ったが、同年ノーベル賞を受賞した。受賞のとき彼は新聞記者に、「もう5年以上は生きられない。急がなければならない」と、語った。
この年から彼の体力は衰えはじめ、高血圧と肝炎に苦しみ、夢遊病さえ起こすようになった。
60年春、妻のメアリーとともにアイダホ州ケチャムの山荘にいったが、かって94キロあった体重が78キロとなり、人と話すのにどもりがちになるという状態になった。この年の秋、彼を訪ねた2人の大学教授は、顔色悪く、舌はもつれ、足どりもおぼつかない、自作にも自信を失い、世評ばかり気にしている、かっての鋼鉄の巨人のようなイメージとは別人のヘミングウエイを見た。
11月末、彼はミネソタ州チェスターのメイヨー病院に入院し、高血圧と糖尿病の診断を受けた。
それから退院また入院をくりかえした後、翌1961年、彼は妻とともにまたケチャムの山荘にいった。7月1日到着し、その夜なじみのレストランで夕食を食べた。 ヘミングウエイは終始なにかに憑(つ)かれたような半喪神(そうしん)状態であったという。
7月2日朝7時半ごろ、山荘の2階に寝ていたメアリーは1発の銃声に目ざめ、階段を駆け下りた。そこにはサンタクロースに似た白髪のヘミングウエイが、口とあごと頬の一部を残して、頭部を粉砕して倒れていた。そばには愛用の2連発リチャードソン猟銃がころがっていた。
なお、彼の父クレアレンスも1928年鬱病でピストル自殺をし、彼の弟レスターも1982年同病で猟銃自殺をした。

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ヘミングウェイ老人と海
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ヘミングウエイ Google 検索
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