じじぃの「未解決ファイル_92_植物の発芽」

麻生太郎 2009年5月9日 植物工場視察 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1PgwjMyp8zA
プランター定点観測.mp4 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Ek88zBhZ82k&feature=related
植物工場

webジャーナル
http://www.nodai.ac.jp/journal/research/amaki/050708.html
『「植物」という不思議な生き方』 蓮実香佑/著 PHP研究所 2005年発行
それでも芽が出ない 芽生えの科学 (一部抜粋しています)
小さな雑草の種子にとって、いつ芽を出すかは生死にかかわる重要な問題である。タイミングを見誤れば、か弱い芽生えは環境に適応できずにあっという間に死滅してしまうことだろう。
そこで、小さな雑草の種子が身につけた戦略こそが、「休眠」である。「休眠」とは文字通り「休む」「眠る」である。たくましい雑草の戦略としてはいささか拍子抜けしてしまうが、これこそが、私たちを草むしりに悩ませるしたたかな戦略なのである。
植物の種の発芽に必要な条件は、「酸素」と「水分」と「温度」の3つである。ところが、雑草の種子はこれらの条件がそろっても芽を出さない。発芽に適した環境でも芽を出さない性質が種子の休眠である。もちろん休眠とは行っても、実際には休んでいるわけでも、眠っているわけでもない。ただ、発芽するためのタイミングを計っているのである。
雑草の種子は身のまわりのさまざまな環境要因を複合的にとらえながら、発芽のタイミングを判断している。ただ、発芽を決断させる重要な要素がある。それは、「光」である。雑草の種子の多くは、光を感じとって発芽を開始する「光発芽性」と呼ばれる性質を持っている。せっかく芽生えても、まわりがすでに強大な植物によって覆いつくされていたら、小さな芽生えは育つことができない。逆に光が地面まで射し込んでいるということは、地上に障害となるライバルが何もないことを意味している。だから、光が当たると芽が出るのである。
草むしりをすると雑草の種子が一斉に芽生えてくるのは、光が地面に射し込むことによって、邪魔になる他の草を人間がきれいにとってくれたことがわかるからである。
雑草に限らず、光が当たると芽を出す性質を持っている植物は多い。光発芽性は弱い植物が生き抜くための知恵なのである。
ただし、光ならば何でもいいかというと、そういうわけではない。光発芽性の種子は光の波長まで選(え)り好みしているのである。
種子に赤色の光が当たると発芽を始めるが、赤色以外な緑色の光が当たっても発芽しない。赤が「進め」で緑色が「止まれ」というのは、人間界の交通信号とはまったく逆で奇妙な感じがするが、植物の世界ではこれが常識である。
植物の葉は光合成を行うために、赤色と青色の光を主に吸収している。つまり、赤い光が地面に到達しているということは、光を吸収する葉が遮蔽していないという確かな証しなのである。
逆に植物の葉は緑色の光はほとんど吸収しないので、緑色の光は反射したり、透過したりしてしまう。植物の葉が緑色に見えるのも、緑色の光が吸収されないからだ。つまり、地上に緑色の光が差し込んだとしても、それはまわりに邪魔者がいないことにはならない。むしろ、緑色の光だけが射し込んできたということは、まわりに生い茂る植物があるということなのだ。だから、緑色の光では種子は発芽しない。こうして光の波長まで吟味して、種子は慎重に発芽のタイミングを選んでいるのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
4月は長雨で、ようやく5月になり、ほかぽか天気になった。
家の回りは雑草だらけである。家の庭は約8畳ぐらいだろうか。庭は浄化槽と一緒になっているので、畑として利用できるのは半分ぐらいのスペースしかない。
3日かけて、女房と家の回りの草むしりをした。
近くに「カインズホーム」がある。
腐葉土1袋と、ナス、スイカ、メロン、カボチャの苗をそれぞれ1鉢づつ買ってきて植えた。
ちゃんと、立派に育つかどうか不安だったことと、とりあえず家庭菜園のまねごとをしてみようと思った。
家は東金の郊外にある。
家の前には東京、神奈川などから移り住んできた人たちの住宅が数軒立ち並び、あとは昔からのお百姓さんの家がぽつん、ぽつんとある。
田んぼには水は張られ、イネの苗が植えられている。
蛙がゲーロゲーロと鳴いている。ウグイスがホーホケキョと鳴いている。
朝の散歩のあと、糖がたっぷり入ったお小水を植えた苗に注いであげた。
ナス、スイカ、メロン、カボチャの悲鳴が聞こえてきた。
が、何んともいえないすっきりした幸福感を感じた。