じじぃの「人の死にざま_129_イプセン」

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ヘンリック・イプセン 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ヘンリック・イプセンノルウェーの劇作家。近代演劇の創始者であり、シェイクスピア以後、世界でもっとも盛んに上演されている劇作家とも言われる。
代表作には、『ブラン』『ペール・ギュントグリーグが後に劇音楽を作曲する)『人形の家』『野鴨』『ロスメルスホルム』『ヘッダ・ガーブレル』などがある。自身はノルウェーを嫌い、長くドイツやイタリアで生活したため、ノルウェーの国民作家という意識は薄かったが、現在は国の象徴、そして世界史上最も重要な劇作家の一人として尊敬され、長らくノルウェーの最高額面の1000クローネ紙幣にその肖像が描かれていた。
【世界への影響】
イプセンの劇は同時代の多くの人にスキャンダラスと考えられた。当時は家庭生活や礼儀についてのヴィクトリア朝的価値観がヨーロッパで大きく広まっており、それらに対するいかなる挑戦も不道徳的で非常識とされていたためである。イプセンは生活状況や道徳問題についての批評的な眼や疑問を紹介するため、主に現代劇に基礎を置いた。ヴィクトリア朝の演劇には、悪の力に立ち向かう高潔な主人公が期待されており、あらゆる劇は善が幸福をもたらし、不道徳は苦痛のみをもたらすという、道徳的にふさわしい結末で終わった。イプセンはこの考えと当時の信仰に挑み、観客の持つ幻想を破壊した。
日本の新劇運動はイプセン劇の上演から始まったといえる。『人形の家』の主人公ノラは当時の「新しい女」として語られた。その作品群は今日でも演劇界に影響を与え続けている。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
イプセン (1828-1906) 78歳で死亡。 (一部抜粋しています)
『人形の家』『ペール・ギュントなどで知られるノルウェーの文豪イプセンは1900年72歳のとき、第1回卒中発作に襲われて右半身が付随となった。
療養の結果いくらか回復したが、1901年第2回の発作が来て、散歩はおろか手紙も書けない状態になった。1903年、第3回の発作が来たときは、新聞は死亡記事の用意をしたほどであったが、彼はまだ生存をつづけた。しかし翌年から失語症におちいった。
1906年5月ごろこら、衰弱が次第に加わり、月半ばから昏睡状態がつづくようになった。
22日の昼ごろ眼をさまし、付き添いの看護婦が家人に、少しよくなられました。というと、ベッドから不自由な口でただ一言「とんでもない」と、いった。
翌日の午前2時半に死んだ。ノルウェー政府は国葬とした。

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人形の家/イプセン つれづれ
わたしは何よりもまず人間です、あなたと同じ人間です。
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イプセンの言葉 (『人形の家』より)
「私はあなたの人形妻になりました。ちょうど父の家で人形子になっていたと同じように」

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