じじぃの「人の生きざま_01_バーナーズリ」

ティム・バーナーズ=リー - あのひと検索 SPYSEE
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Save the Internet! 動画 YouTube
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財団法人 国際科学技術財団 ティモシイ・J・バーナーズリー博士(英国)
http://www.japanprize.jp/prize_past_2002_prize01.html
TIMEが選ぶ20世紀の100人〈上巻〉指導者・革命家・科学者・思想家・起業家 徳岡孝夫 訳 1999年発行
【ネッワークデザイナー】ティム・バーナーズリー 【執筆者】ヨシュア・クイットナー (一部抜粋しています)
この10年で世界がどれほど変わったかを見たければ、インターネットにアクセスして、検索エンジンを立ち上げ、「enquire(問い合わせ)」という語を検索してみればよい。約3万件のヒットがあるだろう。オーストラリアのシドニーで売りに出されているハーレーダビッドソン(ツーリングバイクのお問い合わせはこちらをクリック!)からインドのEメールで受講できるコンピュータ講座(ここでは成功に達成するものではなく、日常なのです!)まで、今日ではあらゆる「問い合わせ」がオンラインでできる。画面をクリックしてナイロビに飛び、国内便の予約について問い合わせてみよう。もう1回クリックして今度はシンガポールへジャンプし、「ペットの引っ越し」専門の会社をのぞいてみよう。南アフリカの「ボルト・ボーイズ」でハイテク時代の必需アイテムの買い方を、ニューヨークの高級店にテディベアの値段を問い合わよう。エキゾチックな葉巻のラベル! 密教的なセックスガイド! 犬用の天蓋つきベッド!
だから何だ、とあなたは言うかもしれない。いまではマウスとモデムとインターネットさえあれば、時間や空間や長距離電話代の制約なしに、地球のどこへでもたった一回のクリックで行けるとだれでもが知っている。
けれども、表示されたリストをずっと下のほうまで、数百エントリーもスクロールしていくと、そこにサイバースペースの黎明期の記憶が隠されているのを見つけるはずだ。「Enquire Within Upon Everything(知りたいことは何でもこちらに)」はティム・バーナーズリーというソフトウェアコンサルタントによって20年(2009年現在で30年)近く前に書かれた、小さいけれど優れたコンピュータ・プログラムだ。当時、この地味なプログラムから、文明を変える、億万長者を生み出す、情報を吸い込む穴−−今はワールド・ワイド・ウェブと呼ばれている。−−が生まれるとは、いったいだれが想像しただろう。
世界を変えた多くの発明とは異なり、これはたったひとりの男の力によってなされた。トーマス・エジソンは電球を発明したが、彼の研究所には開発に携わる研究員が数十人もいた。ウィリアム・ショックレートランジスタの父だが、実際に組み立てたのはふたりの助手だった。そして仮にこれまで委員会というものが何かを生み出したことがあるとしたら、インターネット−−プロトコルやパケット・スイッチングの策定を通じて−−がそれだ。しかし、WWWはバーナーズリーひとりが作ったものだ。彼が設計し、世界に公開した。それをオープンに保ち、所有権や使用料を無縁にしておくために、ほかのだれよりも戦ってきたのだ。
すべては、1980年のスイスアルプスで始まった。ジュネーブのCERN(欧州原子核共同研究機構)にソフトウェア技術者として6ヵ月の契約で来ていたバーナーズリーは、散らばった研究メモを整理するための方法をあれこれと考えていた。彼は、情報を「脳の中を動くように」扱いながら、時々メモリ不足になるその器官の欠点を補ってくれるようなプログラムに以前から関心があった。そこで彼は、「実生活で出会うさまざまな情報のランダムなつながりを保存しておける」ようなプログラムを書くことにした。「脳は記憶する能力に優れているはずだけど、僕のはそうじゃないんでね」。彼はそれをエンクワイヤ(Enquire)と名づけた。これは彼が子供のころから知っていた、『Enquire Within Upon Everything』というビクトリア朝時代の百科事典の最初の単語を持って来たものだ。
当時のソフトウェア設計の流れに従って、バーナーズリーは一種の「ハイパーテキスト」ノートブックを完成させた。これはコンピュータ・ファイルの中の言葉を、ほかのファイルに関連づけることができた。番号がついたリンクを追い(当時まだクリックのためのマウスはなかった)、自動的に関連のあるファイルを見つけ出すことができた。自分のコンピュータだけで使うという限られた範囲では、それは素晴らしい性能を発揮した。
しかし、他人のコンピュータ上にあるデータをつけ加えたくなったら、どうしたらいいのだろう。まずはその人の許可を得ておいて、次に、データベースに新しい資料を足していくという、面倒な作業をしなければならない。だったら、自分の書類とコンピュータを開放して、皆が好きにリンクを張れるようにした方が、効率はずっといい。アクセスはCERNの同僚に限ることもできるが、どうして制限する必要があるだろう。世界中の科学者に開放したらいいのだ。ネットワークの端から端まで広げよう。バーナーズリーの構想は、中心となる管理者やデータベースを設定せず、資料が山のようにたまる問題も生じないようになっていた。それはインターネットそのものと同じように成長し、どこまでも広がっていけた、彼は後に書いている。「ソフトウエアの説明書から、人名録から、電話帳から、組織図から、ありとあらゆる所に飛べなければ駄目なんだ」。
彼は、比較的簡単なコーディング・システム−−HTML(ハイパーテキストマークアップ言語)−−をまとめ、これがウェブの共通言語になった。ウェブデザイナーがテキストに色をつけたり、アンダーラインを引いてリンクを張ったり、画像をつけ加えたりするためのあの言語だ。また、個々のウェブページが固有のアドレスを持てるように、URL(ユニバーサル・リソース・ロケータ)という番地づけの方法も考え出した。それからインターネットを介して書類をリンクできるようにするためのルールも作った。彼はそのルールをHTTP(ハイパーテキスト転送プロトコル)と名づけた。
そして締めくくりとして、バーナーズリーは世界で最初の(しかも最後ではない)WWWブラウザを作り、世界中のユーザーに彼の発明を公開した。1991年にWWWはデビューを飾り、それまでのサイバーベースの混沌が、一気に秩序立ってわかりやすいものになった。その瞬間からウェブとインターネットはひとつのものとして、指数関数的な成長を始めた。5年のうちにインターネットユーザーは60万人から4000万人に増えた。その時点では53日ごとにユーザーは倍増していった。
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彼が作り上げたグローバルシステムの影響力は、どんなに過大に評価しても評価のし過ぎということはない。ほとんどグーテンベルグと肩を並べられるくらいだ。彼はエリートしか使えなかったコミュニケーションシステムを大衆に開放した。「もしこれが既存の科学の分野だったら、バーナーズリーは間違いなくノーベル賞を受賞しただろう」。ノベル社の最高経営責任者エリック・シュミットは、以前『ニューヨーク・タイムズ』紙にそう語ったことがある。「彼が成し遂げたことは、それほどに重要なことなのだ」。
それならば彼は少なくとも金持ちになったに違いない、と思われるかもしれない。彼にはチャンスがいくらでもあったのだから。しかし、バーナーズリーは分れ道に来るたびに、自身とその発明のために、非営利の道を歩む選択をしたのだ。最初のポピュラーなウェブブラウザ、「モザイク」−−バーナーズリーのブラウザとは異なり、雑誌のページのように画像とテキストを同じ場所に表示することができた−−を書くのに手伝ったマーク・アンドレーセンは、ネットスケープ社を共同設立し、ウェブから誕生した最初の億万長者になった。一方、バーナーズリーは1994年にマサチューセッツ工科大学(MIT)で研究生活を送り始めた。MITの広いオフィスから彼はW3コンソーシアムを指揮する。W3コンソーシアムとはネットスケープマイクロソフト社などが独占的な技術ではなく公開されたプロトコルに準拠するよう、指導的な役割を果たす組織だ。世界中がウェブの記録的な成長に何とかもうけ口を見いだそうとしている時に、バーナーズリーは満足げに背後にいて、わたしたちが21世紀に向けて「知りたいことは何でも」調べ続けられるように、見守っている。

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ティム・バーナーズリー博士
1955年ロンドンに生まれ、1976年オックスフォード大学(クイーンズカレッジ:物理学) 卒業後、 Plessy Telecommunications Ltd., Image Computer Inc.、などの企業を経て、1984年からCERN ECP部門で働くき、WWWの構想から、開発を行い、URL,HTTP、HTMLなど今日,WWWの基本となるプロトコルを創った。1994年から、現在まで、MIT(マサチューセッツ工科大学)の計算機科学研究所の主任研究員であると共に、WWWコンソーシアム(W3C)ディレクタとして活躍している
http://www.ibarakiken.gr.jp/www/world/
ネット検閲はなくなるか?「オンライン表現の自由の日」 09.03.13 ニューズ・マグ (一部抜粋しています)
自由に表現ができて、いろいろな情報が手に入るインターネット。便利な時代になったものである。ただ、その自由が制限されている国もたくさんある。世界のメディアの監視役として活動している非政府組織「国境なき記者団」(本部パリ)は3月12日を「オンライン表現の自由の日」とし、この日、世界12ヵ国のインターネット検閲に関する報告書『インターネットの敵』を発表した。報告書は、同団体のホームページからダウンロードできる。
http://www.newsmag-jp.com/archives/515
ティム・バーナーズ=リー Google 検索
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%BA%EF%BC%9D%E3%83%AA%E3%83%BC++%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&ei=8burS8fMGpaXkQWrpKWVDQ&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBEQsAQwAA