じじぃの「カオス・地球_171_共感革命・終章・生成AI」

AI時代に必要とされるヒューマニズムの転回

https://www.riken.jp/pr/closeup/2021/20210804_1/index.html より)


報道1930 「手塚治虫ブラック・ジャックの“新作” AI×ヒトが生む創造力」

2023年11月23日 BS-TBS
【キャスター】山形純菜、松原耕二 【解説】堤伸輔
【ゲスト】佐藤正久(元外務副大臣)、栗原聡(慶應義塾大学教授)、鈴木晶子理化学研究所客員主管研究員)
手塚治虫“新作”の制作現場密着 「AIに個性を感じる瞬間がある」▼AI界の“ゴッドファーザー”が警告 「AIは人間を支配する」▼AIの悪用にどう対処…衝突あおるフェイク画像を見破る

AIが人を支配する日?

AI界”ゴッドファーザー”ジェフリー・ヒントン教授、
「人間が二酸化炭素を減らすという目標をAIに与えると、AIは二酸化炭素を排出する人間を排除する』という目標を設定するかもしれない。AIにやっていけないことを覚えさせることはできるが、全てを網羅できるとはかぎらない」

鈴木晶子
「曖昧なもの、例えば愛情をもって接していれば、相手の言うことを信じてしまう。ある種の錯覚状況に陥ってしまう。昨日は35℃、今日は38℃と温度計のように計れるのだったらいいが、はっきりしていないものの場合、見えないものを見えないままに受けとめるというあたりが人間らしさだと思う」
https://bs.tbs.co.jp/houdou1930/archives/202311.html

河出新書 共感革命――社交する人類の進化と未来

【目次】
序章 「共感革命」とはなにか――「言葉」のまえに「音楽」があった
第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション
第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心
第3章 人類は森の生活を忘れない――狩猟採集民という本能
第4章 弱い種族は集団を選択した――生存戦略としての家族システム
第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象
第6章 「棲み分け」と多様性――今西錦司西田幾多郎、平和への哲学
第7章 「共同体」の虚構をつくり直す――自然とつながる身体の回復

終章 人類の未来、新しい物語の始まり――「第二の遊動」時代

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『共感革命』

山極壽一/著 河出新書 2023年発行
人類は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれ、独自の進化を遂げた。やがて言葉を獲得したことによって「認知革命」が起きたとされている。しかし、実はその前に、もっと大きな革命があった。それが「共感革命」だ。

終章 人類の未来、新しい物語の始まり――「第二の遊動」時代 より

遊びが共感力を高める

人間の共感力は高めることが可能なのかと問われれば、十分可能だと私なら答える。

小さい頃、子ども同士で、くんずほぐれつしながら遊んでいたことを思い出してほしい。楽しかった記憶があるのではないか。

遊びを楽しく続けようと思ったら、相手の能力や、相手の気持ちを理解する必要がある。相手に合わせないと遊びはすぐ終わってしまってつまらない。だから自然と共感能力が育っていくのだ。

能力を高めるためには、ダンスも有効な手段だろう。それも1人で踊るのではなくて、社交ダンスやキャンプファイヤーなどで、みんなで輪になって踊ることが重要だ。他者と踊ろうとすると、リズムに合わせて他の人の動きに自分を合わせなくてはいけない。あるいは相手を自分の動きに導かなくてはいけない。そういった体験を経て、共感への意識が高まっていく。共感力は同調や共鳴という身体の動きから得る能力なのだ。

あるいは、主人公になったつもりで小説を読めば、物語内の出来事を追体験することになるし、ドラマを見て感激したり怒ったりすることでも共感力は培われる。共感力は何かに憑依する能力でもあるのだ。

共感力だけならサルにもある。しかし人間の場合はそこに認知能力が加わり、共感力をより高く発達させた。

共感と同情は違うものだ。共感は相手に共鳴し、相手の気持ちがわかることを指す。英語で共感は「エンパシー」で、同情は「シンパシー」になる。シンパシーは共鳴の上に成り立つものだ。進んで自分から助けることが相手になる、とわかっていないと成立しない。

まず自分の能力が相手より高いことを把握し、その上で誰かが今直面している問題は1人では乗り越えられないと察知できる、このような状況で、はじめて手を伸べようという気持ちが湧くわけだ。同情は、共感の上に成り立つとともに、相手と自分の間に知識や能力の差がある点を理解できなければ生まれない感情だ。だから同情できるのは類人猿以上の動物だけで、サルにはできないのだ。

さらにもう一段階、認知能力が上がると、今度は「コンパッション」になる。つまり1人ではなく、みんなで助けようという気持ちが湧いてくるのだ。

人間は誰かがある方向を指差したとき、その方向にみんなが目を向け、その時に何が起こっているかを瞬間的に共有できる。
第1章で紹介した「視線共有」だ。これがサルや類人猿にはできない。

誰かがある方向を見ていると理解し、みんなが視線と同じ方向を共有し、その場で何が起こっているのか理解した上で、みんなと一緒に行動しようという考えを人間は持つ。このコンパッションに至るまでが人間の共感力だ。

人間は赤ちゃんや幼児の頃から共感力を持っている。だが、認知能力が低いために自分と相手の能力の差がわからない。成長するにしたがって認知能力がつき、相手を助けようとしたり、みんなで協力して困っている人を助けようとしたりする気持ちが湧いてくる。だから私たちは成長の過程で、様々な体験や学習を積まなくてはいけない。コンパッションまでを含む共感力は、経験し、学習することによって向上できるのだ。

生成AIは全てに答える

最近、世界は生成AIであるChatGPTの登場とその進展に大きな期待と警戒、懸念を抱きながら、その行方を見守っている。技術的な面でも、それをとりまく社会的な面でも日々めまぐるしいスピードで状況は変化しているが、私はこの生成AIについて、人類にとって大きな転機になると捉えている。このまま便利さだけを追求して発達させていけば、人間はいずれ自身の知能を手放してしまうかもしれない。

人間は言葉の獲得によって、感じる動物から考える動物に変わった。

言葉は、世界を切り取って名前を付け、それらを組み合わせて物語化し、その物語を共有することによって文化をつくり上げ、巨大な虚構を築いた。

人間は今でも物語の中に生きている。その物語は生身の体と密着し、脳の中に埋め込まれ、外には出せなかった。人間の認知能力が言葉によっていくら向上しても、相手の考えを100パーセント読み解くことはできない。

しかし、ChatGPTに代表される生成AIは、情報を基に考えるため、脳の外部操作が可能になる。いずれ人間の脳と脳が直接つながるようなことになるかもしれないし、情報や考えをいくらでも膨らませられるだろう。

人間は個人の身体の中に眠っている知恵や考えを外に出すことはできない。外から見ることもできない。だからこそ、外から操作ができない1個の人間として思想信条の自由を持っている。しかし、この物語を生み出す能力を生成AIの仕様によって手放してしまったら、人間はもう人間としての尊厳を保っていられなくなるかもしれない。

これまでAIは、ある課題を解決してもらうための情報機器だった。だがChatGPTは人間が抱いた様々な疑問や質問や想念に対し、答えを見つけてくれるものになりつつある。

そうなると人間は、徐々に考えなくなるだろう。もちろん考えること自体はできるだろうが「、考える行為は時間も体力も使う。人類が追究してきた便利さとは効率化と生産性である。だから考えることに時間を使うのが無駄、無用に思えて、すぐに答えが欲しくなる。インターネットの出現により、すでにこういう人は増えているが、生成AIによってその流れは加速するだろう。

ほんらい人間は、言語化が困難な感覚や感性を経て答えを導こうとするが、ChatGPTはこれまでに与えられた情報の組み合わせによって答えを出す。人間の持っている、情報にならない感性や感情などの部分は参考にされず、過去の情報から無理やりにでも答えてしまおうというのがChatGPTだ。

若者たちが示す未来への希望

今は大企業が国際価格を握り、大量に商品をつくって規格に合うものだけをマーケットに出す。それを消費者が買って使い終わったら大量にゴミが出るという、大量生産、大量消費、大量廃業の時代が続いていう。これは所有と定住から成り立っているスタイルで、物のほうが動く社会だ。

でも人のほうが動こうとすれば、物をたくさん持っていると動けないから、所有は当然少なくなる。今の科学技術を使えば、必要なものはあらかじめ送っておけるし、あるいは現地の情報をあらかじめ調べ、移動する先々で現地調達する形が合理的ということになる。ずっと使わないものを持ち続けているより、使うものをその場で調達するほうがコストも安いし、便利になるわけだ。

格差をなくすには、人が移動したほうがいい。人が移動して交流し合えば、行為としての格差がなくなる。一緒に同じことをすればいいだけだ。人々は定住し、物をどんどん所有して、所有によって差が生まれ、人の価値が物の価値で決まって、物の移動によって格差ができた。それをなくすには、人が移動することだ。技術を賢く使えば、そんな社会が実現するはずだ。

「第2の遊動」時代はすでに始まっている。
日本もこれから人が大量に移動する社会になる。例えば鹿児島で会議に出ていても、そこに集まっている日本の若い起業家たちは複数の拠点を持っている。ニューヨークやベルリンに拠点があり、国内でも札幌や東京など、様々なところに拠点を持ち、それらを渡り歩いて暮らしている。
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そうなると、今まさに所有を巡って、あるいは領土を巡って争うという国家のあり方は機能しなくなるのではないか。科学技術によって新しい社会が生まれる可能性はきわめて高い。様々な乳を渡り歩き、自分なりの成功体験をしたいと思う人が増えていく。

人類はかつて、ジャングルを出て草原に向かって歩き出したように、今、この地球で資源や技術を賢く利用しながら、歩きやすいように社会をつくっていきたいという若い世代が増えているのは大きな希望だ。

私はメタバースやChatGPT、また宇宙移住する話より、そうした若者たちの行動力に人類の新たな夢を見出していきたいと思う。