マガンの編隊飛行 2015 0315 1737 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IMcVox4gFu8
雁行 (k-yatyou.cocolog-nifty.com HPより)
不忍池 (blogimg.goo.ne.jp HPより)
『動物園ではたらく』 小宮輝之/著 イースト新書Q 2017年発行
ガンの渡りを東京へ より
もうひとつのチャレンジがガンの繁殖です。ガンのなかでも日本に冬鳥として渡ってくるマガン、ヒシクイなどは日本の動物園では繁殖例のない難鳥でした。
なぜ、ガンを殖やしたいと思ったかといえば、学生時代に行った宮城県伊豆沼で、はじめて”鉤(かぎ)になった棹(さお)になって飛ぶ雁行(がんこう)”を見て、東京でも昔のように冬の風物詩であった雁行を再現できないかと考えたからでした。
伊豆沼でのガンの朝の飛び立ちは迫力満点です。まだ薄暗い夜明け前にガンの大群が湖水から舞い上がるのです。源平の富士川の合戦で、卯の刻すなわち早朝、富士の沼の水鳥の一斉の飛び立ちで、平家の兵は恐れおののき、敗走したと伝えられています。これは作り話といわれていますが、伊豆沼のガン群の「ゴー」という地響きのような飛び立ち音は、まさに何万騎もの源氏の軍勢を思わせるものでした。
関東地方にはいま、ガンはほとんど渡ってきません。北海道や秋田県の八郎潟を中継地として、宮城県の伊豆沼周辺や北陸地方が現在の越冬地です。しかし、昭和30年代までは東京湾や皇居のお堀でマガンの群れが越冬していました。
江戸の浮世絵師、歌川広重は『名所江戸百景』の「よし原日本堤」の雁行や「羽根田落雁図」「月に雁」など江戸を舞台にした風景にガンを登場させています。棹になり、鉤になり群れで飛ぶ雁行は、秋から冬の風物詩だったのす。
森鴎外の小説『雁』には不忍池(しのばずのいけ)で石を投げたら、ガンに当たったというくだりがあり、池の界隈には雁鍋屋がたくさんあったとあります。”がんもどき”は大豆を使った精進料理で、ガンを食べたいお坊さんたちが代用食としてつくりだしたといわれています。昔は食べるほどたくさんのガンが日本に渡ってきていたのです。
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どうでもいい、じじぃの日記。
私が子どもの頃は、雁行と言って1羽の鳥を先頭にブーラメンのように飛んでいるガンの群れをよく見たものだった。
ガンは渡り鳥である。
夏場は、シベリアで過ごし、冬場は中国、朝鮮、日本に飛来する。
昭和30年代までは、上野・不忍池にはガンやカモがたくさんいたのだそうだ。
不忍池に、ガンを呼び戻そうという運動があるのだそうだ。