じじぃの「人の死にざま_1458_晏嬰(斉の宰相)」

晏嬰(あんえい) の名言集はきれいだ 動画 YouTube
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晏嬰 ウィキペディアWikipedia
晏 嬰(あん えい、? - 紀元前500年)は、中国春秋時代の斉の政治家。氏は晏、諱は嬰、字は仲、諡は平。莱の夷維の人。父は晏弱(晏桓子)。子は晏圉(あんぎょ)。妻の名及び生まれは史書に記載なし。霊公、荘公光、景公の3代に仕え、上を憚ることなく諫言を行った。名宰相として評価が高く、晏平仲、もしくは晏子と尊称される。
【評価】
晏嬰は斉の宰相として管仲と並び称され、春秋時代を見渡しても一、二を争う名宰相とされている。司馬遷は『史記』列伝において最初の「伯夷・叔斉列伝」の次に「管晏列伝」(管仲と晏嬰)を持ってきている。さらには「(晏嬰の)御者になりたい」とまで語っており、尊敬の大きさが見て取れる。また、その言行録として『晏子春秋』があり、その中には様々な逸話が載っている。

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史記の風景』 宮城谷昌光/著 新潮社 1997年発行
管仲と晏嬰 (一部抜粋しています)
晏子(あんし)といえば後世、斉の宰相であった晏嬰ただ一人を指すようになった。
その晏嬰の伝記が『史記』の「列伝」のなかにおさめられている。「管晏列伝」といい、管仲(かんちゅう)と晏嬰がひとまとめになっている。管仲が亡くなったのが紀元前645年であり、晏嬰が亡くなったのが紀元前500であるから、ふたりの時間的へだたりはおよそ150年である。
ところが中国の古典とはおもしろいもので、そのふたりに対話をさせているものがある。『列子』という道家の書物である。それには、
――嬰平仲、養生を管夷吾に問う。
と、まずあって、晏嬰が長生きの法を管仲に問うのである。管仲の答えは、一言でいえば、
――之を肆(ほしいまま)にせんのみ。
ということになる。自分のおもった通りに生きればよい、というのである。そういう生きかたができれば、1日、1月、1年、10年といういわゆる短い人生であっても、長生きしたといえる。それにひきかえ、おもった通りに生きられないのであれば、たとえ百年、千年、万年という長い人生であっても、長生きしたことにはならない。
そう晏嬰におしえた管仲は、こんどは質問者になった。
――死を送るには奈何(いかん)せん。
と、晏嬰に問うた。死を送る、とは、葬式のことである。葬式はどのようにするものなのか、ときいた。それにたいする晏嬰の答えはにべもない。
「かんたんなことです。語(つ)げるまでもありません」
こういういいかたはいかにも晏嬰らしいが、それでは問答が成立しないので、管仲が、
「ぜひきかせてもらいたい」といった。すると晏嬰は、6種類の総指揮のあることを述べた。
火で焚(や)く、水に沈める、土に埋める、野晒しにする、谷に棄てる、石棺に斂(おさ)める、そのどれでもよく、その人にとってのめぐりあわせだ、と晏嬰はいった。道家の思想を晏嬰に仮託して表現したのでそうなったのであろうが、中国の古代では土葬ばかりかといえばそうではなく、遊牧民族はおなじ地に長くとどまっていられないので、火葬にしたようである。