じじぃの「人の死にざま_1227_速水・御舟」

速水御舟 - あのひと検索 SPYSEE
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速水御舟《名樹散椿》 山種美術館 百花繚乱 ─花言葉・花図鑑─  動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xeZVMqgxH8U
山種美術館 再興院展100年記念 速水御舟 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=2YTJiKkcY4M
速水御舟作 「炎舞」 画像
http://www.sola-arai.com/blognplus/files/Gyoshu5.jpg
速水御舟 ウィキペディアWikipedia)より
速水御舟は大正期〜昭和初期の日本画家である。本名は蒔田栄一。
1894年(明治27年)8月2日、東京浅草に生まれる。従来の日本画にはなかった徹底した写実、細密描写からやがて代表作「炎舞」のような象徴的・装飾的表現へと進んだ。長くない生涯に多くの名作を残し、「名樹散椿」(めいじゅちりつばき)は昭和期の美術品として最初に重要文化財に指定された。1935年(昭和10年)3月20日、腸チフスにより急逝。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
速水御舟(はやみぎょしゅう) (1894 - 1935) 41歳で死亡。 (一部抜粋しています)
日本画家、速水御舟は、昭和10年3月20日チフスのため急逝した。
「何と果敢(はか)ない命だろう。それも、あの芸術制作に人も及ばぬ粘りを持った速水君が、何で又そうあっさりと死を急いだのだ、と喞(かこ)ちたい程だ。粘ってほしかった。全く、もう少し粘ってほしかった」
と、友人の神崎憲一は痛恨して記す。
「処(ところ)が、聞く処によると、それにはそれの因果があったと云う事だ。かくも恬淡(てんたん)として死んでいったのには理由があった。
 一、かねて余りにも頑健であった為に、かりそめの病気に対して重く見る事が出来なかった事。
 一、持病の一に痔出血があって、時々気味の悪い程に多量の出血があっていた事。
 一、大好物の一に生貝があって、いつも喰い過ぎては腸をいためたりしていたのだが、罹病直前にそれがあって胃痙攣をやったりした後強度の下痢に罹(かか)っていた事。
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 ――と云う様な事が、あの意力の強い速水君をして、逆比例に生きる力を弱めたものだと思われる」

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速水御舟 Google 検索
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