じじぃの「ホンダ・スーパーカブC100・世界の庶民の足に・復活のヒント!国産はじめて物語」

ベトナムスーパーカブだらけ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xuWEF9CqAEY&feature=related
世界初公開 無限のEVバイクが優勝を目指す! #lovecars #MUGEN #EV 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=kiIDqEjcDp4
Honda C100 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=O4p_XkV_IS4&feature=related
Honda Cub is the number one motorcycle in the world 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=aaeKrqJJqm0
本田宗一郎の挑戦 ① 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ge9h9iUJgvo
Bizプラス 「製造業復活のヒントは」 (追加) 2012年7月13日 NHK
【キャスター】飯田香織近田雄一
▽製造業復活のヒントを探るシリーズ3回目。
街の大通りを無数のバイクが並んで走っている映像が出てきた。
ベトナムで、およそ60%のシェアを誇っているのが日本のホンダです。ベトナムではバイクのことを「ホンダ」と呼ぶほど定着しています。
かって、ホンダは大きくシェアを奪われる危機に直面しました。中国メーカーが当時のホンダの製品の半額、500ドル前後の低価格で販売。11年前にはシェア12%まで落ち込みました。
危機感を強めたホンダ。シェア奪還を目指して品質だけでなく、価格でも勝負する方針に舵を切りました。それまでタイや日本から輸入していた部品を人件費が安く、輸送費もかからないベトナム国内から挺謫することにしたのです。
問題となったのは部品の品質の維持でした。そこでホンダでは現地の担当者が定期的に部品メーカーを訪問し、技術指導を続けています。この日は部品に細かな金属クズが付いているのを見つけ、注意しました。
ホンダ・ベトナムの工場長、「妥協せず、徹底的に悪いところは改善していく。さらに競争力を上げ、今後継続できるようにチェックし、指導していく」
こうして高い品質を維持しながら、価格を700ドル余りに引き下げることに成功しました。
さらに去年、新しい取り組みも始めました。
日本から輸入していた生産設備をベトナム人技術者を育成することで、現地で作れるようにしたのです。結果、この生産設備にかかるコストを3分の1に削減できました。
ホンダではベトナムを成功のモデルケースと位置づけ、アフリカなどでもシェアの拡大を目指すことにしています。
ベトナムでの現地調達の割合は90%になりました。来年度中には98%にまで引き上げる予定です。
ベトナムの若い男性、「値段も手頃だし、ぜひ買いたい」
http://www.nhk.or.jp/bizplus-blog/2012/07/13/
ホンダ、インドネシア二輪車新工場 2013年秋から稼働 (追加) 2012.3.13 MSN産経ニュース
ホンダは12日、インドネシア二輪車の工場を新設することを明らかにした。年間生産能力は110万台で、2013年秋から稼働する。投資額は3兆1280億ルピア(約281億円)。インドネシアの年産能力は既存3工場と合わせて4工場の合計で530万台に達する。インドネシア二輪車需要は毎年伸び続けており、生産能力の拡大で需要の確実な取り込みを図る。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120313/biz12031301040002-n1.htm
ホンダ、スーパーカブ110のデザイン一新 中国に生産移管し値下げ 2012.2.20 MSN産経ニュース
ホンダは20日、排気量110㏄の原付2種バイク「スーパーカブ110」を3年ぶりにフルモデルチェンジして、3月16日に発売すると発表した。
国内生産から中国生産に切り替えたことなどで従来モデルより価格を2万1000円引き下げ、22万8900円とした。年間販売目標は9000台。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120220/biz12022013460007-n1.htm
インドネシア】ホンダ二輪、シェア55%へ:環境対応技術の全車種適用柱に 2011年11月24日 NNA.ASIA
http://news.nna.jp/free/news/20111124idr002A.html
二輪車・バイク業界の動向・ランキング等を研究-業界動向サーチ
二輪車・バイク業界の過去の推移を見ますと、平成15年から19年まで、年を追うごとに上昇を続けており拡大傾向にありましたが、平成20年からは下落に転じています。
平成19年までの二輪車市場の拡大を牽引してきたのが新興国を中心とした海外での業績です。二輪車販売台数でホンダは世界首位、ヤマハは世界2位の業績を誇り、スズキ、川崎も高い販売台数を記録し、日本の4社で世界シェアの約4割を占める状況です。
http://gyokai-search.com/3-bike.htm
ホンダ・カブ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
カブ(Cub)とは、本田技研工業が製造・販売しているオートバイであり、シリーズ車種として数車種が生産されている。
ヤマハのメイト、スズキのバーディーなどが競合車種であるが、「カブ」はこれら類似のビジネス・バイクを含めた総称・俗称として使われることもある。
【日本国外での市場】
耐久性・経済性において卓越した実用小型オートバイであることから、世界中への輸出および現地生産がなされてきた。
まず1959年にはアメリカ合衆国に輸出が開始され、「バイクはアウトローの乗り物」という社会的イメージの強かったアメリカにおいて、そのイメージを改良すべく、「良識ある市民の実用的使用」をマーケティングイメージとした「YOU MEET THE NICEST PEOPLE ON A HONDA」というキャッチフレーズで軽便バイクとして人気を得た。その上にアメリカにおけるオートバイのイメージ向上にも貢献し、『HONDA』という企業のアメリカでの認知度と社会的評価を高めた。
このアメリカ市場での成功を受け、続いて1961年より中華民国にて現地生産が開始された。この頃から日本国外のユーザーからも圧倒的な支持を受けて急速に普及する。スーパーカブは1960年代以降の東南アジアで、この種のビジネスバイクを普及させる端緒ともなった存在で、扱いやすさや経済性のみならず、メーカーの想定範囲や先進国の安全常識では到底考えられない異常な酷使、過積載(「100kg 単位」での重貨物搭載や、子供まで含めての3人乗り、4人乗りといった曲乗り状態も珍しくない)にも耐えてしまう高い信頼性によって、オートバイを生活の道具として重要視する発展途上国の大衆ユーザーたちから強い支持を得ている。
なお国内外に類似デザイン・類似設計の後発競合車種(ヤマハのメイト、スズキのバーディーなど)が多数存在するが、知名度の点でも圧倒的に優る。ベトナムではバイクは全て、一般名詞として「ホンダ」と呼ばれており、「ヤマハのホンダ…」といった使われ方がされている。
20世紀末期以降の日本国外における市場では、現地生産車を含めたカブシリーズの中心は実用性向上や税制・運転免許制度などの理由から派生車種であるドリームやウェーブなどの100-125ccクラスへ移行しており、日本の中心である50ccは日本国外では極めて少数で、90ccは日本のみの生産となっていた。またアメリカ向け輸出は終了しており、2008年時点でも対米正規輸出は行われていない。

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『国産はじめて物語〈Part2〉―戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話1950〜70年代編』 レトロ商品研究所/編集 2004年発行
ホンダ スーパーカブC100 完成度の高さで世界中の「庶民の足」に (一部抜粋しています)
昭和33(1958)年。日本国内は景気がうなぎのぼりに上昇し、家電ブームで沸きあがった年だった。経済が活性されるとともに、多くの人々は「より早く、もっと気軽に乗れる便利な乗り物」を望み、国内のオートバイメーカーも、実に100社を超えるという盛況ぶり。そんなオートバイ戦争のさなかに誕生したのが、「スーパーカブC100」だ。開発の陣頭指揮をとったのはホンダの創業者である本田宗一郎。はじめに本田は、「蕎麦屋の店員が片手に乗れるオートバイ」をイメージしたという。
商品化に伴い、初めに打ち立てたコンセプトは次のようなものだった。
①実用的で維持費が安く、耐久性に優れていること。②軽くて操縦性に優れ、女性や未舗装路でも走れること。③小型で強力なエンジンを搭載していること。
当時のオートバイで主流だった2サイクルエンジンに対して、あえて4サイクルエンジンに挑戦した。確かに前者は馬力は出るのだが、4サイクルえんじんは燃費効率が良いし、エンジン音も静か。完全燃焼するので排ガスが少ない、というメリットがある。そちらのほうが重要と考えたのだ(あと本田自身が、純粋に4サイクルの車を好んだということもあった)。開発と研究の末、小型かつパワーがあり、さらに耐久性にも優れた4.5馬力/9500回転の49ccエンジンを実現させた。さらにバイク初心者でも、短時間で操縦をマスターできるように、操縦性が簡易な自動遠心式クラッチに3速ミッションを組み合わせた。フロントサスペンションは、ボトムリング式を採用。その当時はまだ未舗装のデコボコ道が少なくなかったが、これによって「悪路でもソフトな乗り心地」が可能になり、多くのユーザーの信頼と支持を勝ち得たのだ。
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日本でデビューして爆発的にヒットしたスーパーカブは、発売当初からアメリカを皮切りに東南アジアを中心に人気が高く、さかんに輸出・現地生産されることになる。昭和34(1959)年にはアメリカへ輸出を開始。その当時のアメリカでは「バイクは荒くれ者や不良の乗り物」。軽快でどんな人にも優しいカブの登場は、そのようなネガティブなイメージも払拭させたのだ。その性能の良さと気軽さゆえ、スポーツやレクリエーション時の心強いセカンドカーになり、アジアの間では、生活の足として欠かせないパートナーとなっている。
日本でも、あらゆる業種で使われているのはもちろんのこと、「街のりバイク」として、ファッショナブルに乗りこなしている人も多い。中には、「ちょっと距離のある場所へのツーリングも心強い」、「乗っていると、知らない人からも気軽に声をかけられる」という声も。あらゆる国で、TPO問わず大活躍しているスーパーカブ。現在では海外14ヵ国で生産し、160以上の国の人々に愛用されている。発売から現在にいたるまで「世界の実用車」としての地位を不動のものにしている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語〈Part2〉―戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話1950〜70年代編』という本を見ていたら、「ホンダ スーパーカブC100 完成度の高さで世界中の『庶民の足』に」というのがあった。
「昭和33(1958)年。日本国内は景気がうなぎのぼりに上昇し、家電ブームで沸きあがった年だった。経済が活性されるとともに、多くの人々は『より早く、もっと気軽に乗れる便利な乗り物』を望み、国内のオートバイメーカーも、実に100社を超えるという盛況ぶり。そんなオートバイ戦争のさなかに誕生したのが、『スーパーカブC100』だ」
昭和33年か。ネットで「昭和33年」をキーにして調べてみた。今の天皇(当時・皇太子明仁親王)と正田美智子さんが婚約され、ミッチー・ブームが起きた。日清食品がインスタントラーメンの「チキンラーメン」を発売。聖徳太子の1万円札が登場した。12月には東京タワー(高さ333メートル)が完成した。東京タワー完成から54年経過して、今年2月29日に東京スカイツリー(高さ634メートル)が完成した。テレビでは「月光仮面」、「事件記者」、「バス通り裏」をやっていた。若原一郎が「おーい中村君」を、石原裕次郎が「嵐を呼ぶ男」を、平尾昌章が「星は何でも知っている」を、三橋美智也が「夕焼けとんび」を、島倉千代子が「からたち日記」を歌っていた。フラフープが大流行し、五味川純平の『人間の条件』がベストセラーになった。世界初の海底トンネル「関門トンネル」が開通し、日米原子力一般協定が調印された年だった。まさに、「Always・三丁目の夕日」の世界だ。
「日本でデビューして爆発的にヒットしたスーパーカブは、発売当初からアメリカを皮切りに東南アジアを中心に人気が高く、さかんに輸出・現地生産されることになる」
この間、NHK 『Bizスポ』を観ていたら、特集でインドネシアをやっていた。インドネシアはアジアの新興国の一国であり、経済成長も順調に伸びている。街並みの映像を見ると、ほとんどがバイク(二輪)だらけだ。ネットで調べたら、インドネシアのバイクはほとんど日本製で、そのうちホンダのバイクはシェア55%だった。
二輪車販売台数でホンダは世界首位、ヤマハは世界2位の業績を誇り、スズキ、川崎も高い販売台数を記録し、日本の4社で世界シェアの約4割を占める状況です」
バイクはまだまだ、中国、インド、インドネシアベトナム、フィリピン、パキスタンなどアジアを中心とした新興国で高い需要が見込まれている。しかし、自動車と同様、中国では「電動バイク」にシフトしつつあるらしい。
とにかく、バイクでは日本車がまだまだ頑張っているのだ。
追記
東京スカイツリーの開業日は2012年5月22日です。スカイツリー開業日から7月10日までの50日間分は抽選方式の完全予約制です。東京スカイツリーの展望台への個人入場券の予約が3月22日から始まります。