じじぃの「人の死にざま_159_ショパン」

フレデリック・ショパン - あのひと検索 SPYSEE
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ショパン 『小犬のワルツ』 Chopin "Minute Waltz" 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Koi8dK9bbAE
ショパン夜想曲」 第2番 変ホ長調 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Uroduqda838
『音の影』 岩城宏之/著 文芸春秋 2007年発行
ショパン 指揮者を困らせるピアノ協奏曲 (一部抜粋しています)
フリデリク・フランツィシェク・ショペンは生涯に68曲を書いている。そのうちピアノと管弦楽の曲は6曲で、室内楽としては3重奏曲や2重奏曲がある。ほかは、すべてピアノ独奏曲である。
案外、曲の数が少ないようにみえるが、たとえば作品番号28は『24の前奏曲』であるし、有名な『別れの曲』は作品番号10の練習曲集12の中の1つである。作品番号67は『マズルカ』は、ト長調ト短調ハ長調イ短調の4曲だし、作品番号68の『マズルカ』は10曲からなっている。
作品番号64の『ワルツ』は、変ニ長調嬰ハ短調変イ長調の3曲で、それぞれポトッカ伯爵夫人、ロスチャイルド男爵夫人、ブラニカ伯爵夫人に捧げられている。
この第1曲が『子犬のワルツ』である。『子犬のワルツ』が大好きな人は、びっくりするかもしれない。
だからショパンのピアノ作品は、1つひとつはそんなに長いものではないけれど、合計すると、膨大な数になるのだ。そのほとんどは、ナントカ伯爵夫人とか、ナントカ男爵夫人とか、ナントカ公令嬢に捧げされていて、つまりこれっでもって有形(お金)無形の援助をもらっていたのだろう。
ぼくは東京芸術大学打楽器科受験の2ヵ月ほど前からピアノを正式に習いだしたほどの奥手なので、ピアノがすこぶる苦手である。世界中、指揮者というものは、ピアニストに準ずるぐらいピアノがうまいのが常識なので、50年ぐらい劣等感を抱いたままだが、もう手遅れだ。
ピアノの下手な人間の例にもれず、ぼくも『別れの曲』とか『雨だれの前奏曲』に取り組んだことはある。
これだって、作品番号10の練習曲集の第3番であり、作品番号28の『24の前奏曲』の中の15番目の曲と書くと、えらそうに見える。しかし両方とも、結局、最初に始まってから20〜30小節目までのやさしいところまでで、ほったらかしてしまった。『子犬のワルツ』は、難しすぎる。曲が速すぎて、始めから5小節目までしかいかない。
結局、指揮者として正式にショパンに取り込むとなると、『ピアノ協奏曲』ということになる。『協奏曲第1番ホ短調』と『第2番ヘ短調』および『華麗な大ポロネーズ変ホ長調』の、ピアノとオーケストラのための3曲だけだ。ほかにピアノと管弦楽のための音楽として『ラ・チ・ダレム・ラ・マノによる変奏曲』と『ポーランド民謡による幻想曲イ長調』と『クラコーヴィアクヘ長調』というのがあるが、たぶんひどくつまらないだろう。誰も演奏しないし、聞いたこともない。
ショパンのピアノ協奏曲は、指揮者やオーケストラにとっては、地獄とは言わないまでも、指揮することに喜びのない、困った曲である。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ショパン (1810-1849) 39歳で死亡。 (一部抜粋しています)
生来虚弱体質であったショパンは、25歳のとき喀血した。その後のジョルジュ・サンドとの愛と別れの間にも、彼の肺結核は徐々に進行した。サンドと別れてからは、彼は無一文になり、病躯をおして各地で演奏会をやらなければならなかった。
1849年のはじめから症状が悪化し、6月には新しい喀血がはじまった。10月のはじめには、ぱりのヴァンドーム広場のみすぼらしいアパートで、彼はもうベッドの上に坐ることも出来なかった。10月16日、呼吸困難に苦しみながら、紙に書いた。
「土の中では窒息してしまう。生きたまま葬られないように、身体を外に出しっぱなしにしておいて下さい」
そして、10月17日午前2時、「お母さん・・・・私の気の毒なお母さん」と呼びながら死んだ。彼の母親はまだ故郷ポーランドで生きていた。
・・・・ただし、このお母さん云々はショパンの臨終に立ち合ったファンの1人キャサリン・アースキン夫人の証言によるものだが、1978年刊ジョージ・アレックの『ショパン』によると、そういうことはなかったという。美しく繊細なピアニスト、ショパンには特に女性の崇拝者が多かった。アレックはいう。「ショパンの死に関して、男も女も実に多くの人たちが臨席したことを主張しているのは驚くばかりである。彼らの回想は、数においても多様さにおいても、王の死にまつわる通常の物語をしのいでいる。しかもそのほとんどが信用できない」

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日本ショパン協会
民音音楽博物館《ショパン生誕200年展》開催中!
東京・信濃町民音音楽博物館の企画展示室にて、『ショパン生誕200年展』が開催されています。
2010年は“ピアノの詩人”と称されるポーランドが生んだ天才作曲家フレデリック・ショパンが誕生して200年になります。
1.会場:民音音楽博物館企画展示室(民音文化センター2F)
2.期間:2010年1月1日〜7月11日 (月曜休館)
http://chopin-society-japan.com/
ショパン生誕200周年記念・ショパンの足跡をたどる旅
http://www.gctravel.co.jp/planchopin.htm
ショパン Google 画像検索
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