じじぃの「人の死にざま_143_シュリーマン」

ハインリッヒ・シュリーマン - あのひと検索 SPYSEE
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Heinrich Schliemann - Troia - Priamos'un Hazinesi 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=m3EBeLZJ3K0
Doku TROJA - Griechen gegen Hethiter 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=M7yFME1ZFsk&feature=related
地球ドラマチック 「“神話の舞台”を発掘した男〜シュリーマンの愛したトロイ〜」 2011年8月13日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹
トロイ遺跡は、現在のトルコ北西部に位置する世界遺産。今も発掘が続いている。番組では「神話の舞台」の発掘に情熱を傾けた19世紀のドイツ人考古学者シュリーマンの執念をたどるとともに、神話に描かれなかった現実のトロイ戦争や、最新の測定技術で浮かび上がってきた遺跡群の全体像など、近年の発掘調査での新発見を盛り込んで伝える。(制作:Spiegel Production/配給:ZDF【ドイツ/2009年】)
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20110813-31-17604
BBC地球伝説 「トロイの謎〜ギリシャ伝説の都市の真実〜」 2009/12/22 BS朝日
ギリシャ伝説に描かれたトロイ戦争は、どの程度事実に基づいていたのであろうか?新たな発見と先進の科学とがこれまで考えられなかった答えへと我々を導く。
およそ3000年も前にギリシャの詩人・ホメロスによって作られた叙事詩「イリアッド」。美貌のヘレネ、無鉄砲なアキレウス、豪放なアガメムノン、そしてトロイの木馬は時代を超えてなお魅力的である。しかしこの壮大な物語は、史実と合致するのだろうか?戦争は実際に起こり、それは絶世の美女を巡る愛のための戦いだったのだろうか?10年間の戦争後、トロイはギリシャの連合軍に滅ぼされたのか?そもそもトロイは実在したのだろうか…?
考古学チームは最先端の科学技術を駆使して調査に挑んだ。かつてトロイがあったとされるトルコの海岸近くから発見された数々の品は、トロイ戦争にまつわる謎を解き明かすヒントをもたらした…。
ギリシャの詩人・ホメロスによる、トロイ戦争を描いた叙事詩イリアス」は、史実を基に作られたのだろうか? 最新の科学的証拠を基に、その答えに迫る。
1870年、シュリーマンは、現在のトルコ北西部にトロイの遺跡を発見する。しかしそこには、時代の異なる遺跡が9層も重なっていた。ホメロスが描いたトロイ戦争の舞台は、青銅器時代後期の紀元前1200年頃と考えられている。時代や特徴から考えて第6層がホメロスのトロイに最も近い。だが、ギリシャ軍による10年間の包囲に耐えるには、あまりにも街が小さすぎる。そこで1988年、大規模な調査が行われ、城壁に囲まれた都市の周辺にさらに街が広がっていたことが判明。その規模ならホメロスのトロイにかなり近いはずだ。続いて、発掘された骨や武器から、この街が青銅器時代の終わりに戦争で破壊されたことも明らかになる。
一方、当時、いくつもの王国に分かれていたギリシャをまとめていたのは、どの国だったのだろうか?研究者は、ギリシャ世界の中心はミュケナイだったと語る。しかも、ミュケナイの遺跡から、彼らが軍事に非常に力を入れていたことも明らかになる。ミュケナイは、巨大な軍事力を保つため、金や財宝を手に入れようと他の裕福な都市を攻撃したのだ。地理的に交易の要所であり、繁栄していたトロイは格好の標的だった。トロイ戦争については当時のもう一つの巨大勢力、ヒッタイトが残した粘土板文書にも記されている。
トロイ戦争は本当にあったのだ。しかし、それは美女をめぐる愛のためではなく、略奪のためだった。有名なトロイの木馬については、考古学的記録は何も残っていない。やはりホメロスは物語の天才なのだ。
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/hi_10_01.html
トルコ旅日記 世界遺産〜トロイへ ユメミーの旅日記
http://dreammixland.blogspot.com/2009/09/blog-post_04.html
『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
シュリーマン (1822-1890) 68歳で死亡。
貧しい育ちから奮闘努力して大商人になったハインリッヒ・シュリーマンは、50歳を過ぎてから、ホメロスの詩は、ただの空想ではない、真実を歌ったものだと確信して、ついにトロイの遺跡を発掘し、発見した。それでさらに巨富と、ビスマルクモルトケにつづく3番目のベルリン名誉市民という栄誉を得た。
彼は、旅行好きと、健康のための水浴と、倹約という3つの趣味を持っていた。
その水浴で、耳に水がはいり、彼は耳炎にかかった。耳は1890年夏からさらに悪化し、11月には手術した。が、手術のときに耳内の骨膜を傷つけたらしく、いよいよ痛みがひどくなった。それでも旅行好きな彼は、ゆきあたりばったり医者にかかりながら、ドイツからフランス、イタリアと歩きまわった。
1890年クリスマスの日、彼はイタリアのポンペイのサンタ・カリタ広場で突然倒れた。例の倹約からあまりみすぼらしい服装をしていたために彼は病院から入院を断られ、交番に連れもどされた。そうこうしているうちに、やっと胸ポケットから厚い札束が発見され、ホテルに運ばれ、8人の医者が呼ばれて頭蓋骨を切開すべきかどうか相談するうちに、この大富豪にして大考古学者たるシュリーマンは、異国の町でゆきだおれのごとく死んでしまった。

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