じじぃの「人の死にざま_84_カーペンター」

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カレン・カーペンター 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
カレン・アン・カーペンター(1950年3月2日-1983年2月4日)は、カーペンターズのヴォーカリスト、ドラマー。
声の美しさに定評があり、ポール・マッカートニージョン・レノンも絶賛したという。親日家でもあった。
【生涯】
アメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイヴンに生まれる。家族は1963年にロサンジェルス郊外へ転居した。その頃、兄のリチャードが近所の公園のコンサートでピアノを弾いていた際、兄に促されてスキーター・デイヴィスのヒット曲「この世の果てまで」を歌った。これが、兄妹一緒に人前で行った初めての演奏となる。ただし、13歳の頃は、将来は看護師か画家になるのが夢だったという。
兄と同じダウニー高校では、マーチングバンド部に所属。兄のリチャードが音楽で才能を開花させていた影響を受けて、10代半ばになるとドラムを叩き始める。しかし以前にサックスやフルートをやったが挫折していたので、両親や兄リチャードは続くかどうか半信半疑だったという。しかしカレンはドラムに没頭し、練習を繰り返したという。スペクトラムに始まり、カーペンターズとして活動し始めた当初まで、ドラムとボーカルを担当した。本格的にボーカルのトレーニングを受けにいくと、トレーナーから「あなたには、何も教えるものはない。」と言われたことから、彼女には歌手としての天性の素質があった。その後、カーペンターズとしての活動が活発になり、ステージに立つことが多くなったこともあり、リチャードの意向を受けてヴォーカル専門に活動するようになった。カーペンターズカリフォルニア州を中心として、世界的に活動した。
子供が大好きで、彼女自身、子供のような無邪気さと純粋さを持っていて周囲の人から好かれていた。だが、自らの体型については太りすぎという固定観念を持っており、やがて精神的な病となっていった。1974年、3度目の来日時に、兄リチャードと共に和服姿の写真を撮影、翌年発売されたライブアルバム「CARPENTERS LIVE IN JAPAN」 に付録としてその写真が添付され、カレンによると、この頃が最高に太っていたと言う。(1987年にCDとして発売された物には、その写真はない。)
カレンはいつの頃からか摂食障害(拒食症)に悩まされるようになる(音楽誌にFat Sister「太っちょカレン」と書かれた事が原因の一説として囁かれている)。後のセラピーの過程で親子関係が背景にあると見られている。このため、1975年に予定されていた日本公演が、中止となった。当時の招聘先である、キョードーのコメントは「神経性食意不振症」によるものであった。
リチャードが睡眠薬依存症のリハビリを行っていた1980年にソロ活動を行うが、曲が公開されるのは、カレンの死後となる(体が弱っていたことや、成熟味を持ちすぎているという意見から当時は兄や会社側から反対があり、最終的にカレン自身が発表を断念した)。アルバムは『遠い初恋』(原題:「カレン・カーペンター」)として1996年にリリースされた。
1980年、若手実業家のトム・バリスと結婚をするも、翌年暮れには破綻。離婚同意書にサインする直前(約束の6時間ほど前)に彼女が死去したため、現在も既婚のままとなっている。
1983年2月4日早朝、両親の家で意識不明になっているところを発見され、同日死去した。32歳の若さだった。死因は急性心不全。長期の闘病生活が心臓に負担をかけていたと思われる。なお、映画「カレン・カーペンター・ストーリー」によれば、晩年は過食症と拒食症の症状が繰り返し起こっており、死去前日は食欲が少し出てきたところで翌日亡くなった事になっている。彼女の死は社会に衝撃を与え、拒食症などの摂食障害が社会的に認知されるきっかけとなった。

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カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語 著者 レイ・コールマン 翻訳 安藤由紀子、小林理子 福武書店
第5部 両海岸ブルース (一部抜粋しています)
彼女が勝手に決めた治療期間の6ヵ月がすぎたとき、彼女は落ち着かなくなったが、9月になって自分の体調が危機にあることに気づいたとき、状況は恐ろしくゆがんできた。彼女はレヴェンクロンに電話した。「歩けないの。頭がぼんやりしているわ。怖いの。心臓がおかしな打ちかたをしている」彼女の治療をはじめたころに話を聞いたカリフォルニアの医師たちの悲観的な見方がよみがえって、彼の頭のなかで警報が鳴り響いた。「カレンは死に向かっていると思う・・・・彼女にはあまり希望はない・・・・彼女は実際どんな治療にも抵抗する」いま、カレンが自分で緊急入院が必要だというのなら、状況は切迫している。
彼は、医者に電話をかけてマンハッタンのレノックス・ヒル病院に入院させてもらった。入院受付で彼女に会ったレヴェンクロンは、彼女が入院心得の制約に「ひどく困惑して」いるのを見た。彼女は結婚後の名前であるバリスで登録したのだが、役には立たなかった。「カーペンターのヴォーカリストでしょう?」受付係が訊いた。
生まれてずっとカレンは病院を怖がり嫌っていたが、レヴェンクロンの記憶によると、このとき、彼女の体重は「35キロまで下がってひからびた骸骨のようになって」いて、血中のカリウム値が危険な1.8になっていたので、「本当に危ないところで間に合ったという感じでした」
彼女に栄養を注入するのがまず第一の急務だったが、問題は多かった。消化器系があまりに弱って、栄養を太い管から直接血管にとおす点滴に頼らねばならなかった。
はじめは混乱があった。管が彼女の胸に差し込まれたとき、誤ってカレンの肺の片方に穴をあけてしまった。この知らせはリチャードとアグネスを起こらせたが、傷はすぐに治り、カレンはカロリーの注入に反応しだした。何日かたって、キャスターつきのスタンドから下がる点滴ボトルのおかげでまず5キロ強の体重増加を達成すると、歩きまわれるようになった。「ねぇ、よくなったでしょう」彼女は鏡に映る姿を見ながら言った。「多くの食欲不振症患者と違って、彼女は回復を喜んでいました」と、レヴェンクロンは言う。「美しさをそこなうほど痩せてしまっていたので、心から気分をよくしていました」何週間たつうちに、静脈からの栄養注入で14キロ体重が増えた。
10月25日、リチャード・カーペンターは会いに飛行機でやってきたとき、彼女の姿を目にしたとたんに彼はのどが詰まりそうになった。彼は3年前、睡眠薬の服みすぎで死ぬか生きるかの瀬戸際を生き抜いた。いまここに、彼の妹で、最良の友人で、大好きなシンガーが点滴注射でつながれている。あまりにも長い年月、彼女は自分の問題から歩み去るかあるいは言い逃れようとするかしてきたと、彼は考えた。そして、いま、本当に彼女はこれを克服する方向に近づいているのだろうか?
ベッドの横にすわって、彼はローラー・コースターのように名声に突進したキャリアを思い返した。「神よ、ぼくらは自分の身に何をしたのでしょう。あまりよいことではないでしょうね。ぼくらは世界的に有名になりました。こんな才能も手に入れました。ぼくは、ありがたいことによくなりました。ですが、カレンはここ、病院のベッドにいます。こんなバカな状態がもう7年目になっているんです」
彼は、カレンの大好きな映画≪キャメロット≫のビデオをもってきた。「ねえ、元気そうでしょう、リチャード? すごく元気なのよ、わかる?」いつも、人生のどんなときでも、カレンはリチャードの賛同を欲しがった。彼女は兄を保護し叱かりつけたが、彼がどんなあやまちを犯そうと、彼女が彼のうちに見出だすオーラは消えなかった。
「あたしはよくなるのよ。リチャード、すごく元気なのよ、わかる?」リチャードは口ではよくなっているようだと言ったが、本当はどんなに悲しいか言えなかったのだ。彼女の見かけ、あるいは治るために彼女が選んだ方法のどちらかで、何かやはり信じられない部分があった。彼はひとり心のなかで思った。彼らがふたりとも本当にしたいこと−−ツアーに出たりレコードをつくったりすること−−もできずに、彼女はまだ生きるために闘っている。この病院訪問からカリフォルニアに帰ったとき、リチャードは彼らのキャリアがカレンが思っているよりもずっと長いあいだ"保留"にならざるをえないだろうとわかった。
音楽のアレンジャー、ピーター・ナイトの妻で、いまはカーペンター家の変わらぬ友人となったバブズ・ナイトが、この時期にロンドンからニューヨークにやってきて、入院中のカレンを見舞った。友人たちから贈られたおもちゃに囲まれて、友人で会社社長の妻のクリスティナ・デ・ロレーンがもってきてきれたパスタを客に見せながら、カレンはしっかりしているように見えた。
彼女は浮浪者のようにやせていたが、バブズは「やはり美しかった」と言う。「彼女は、明らかに病気でしたし、彼女自身どれだけ具合が悪いのかわかっていなかっのは確かだと思いますが、その陽気な気質は失っていませんでした。彼女はベットからわたしに言いました。『病院じゅうがあたしの進歩をとても喜んでくれてるの・・・・体重は38キロになったの』」こんな少ない数字が、カレンには喜ぶべき体重なのだろうかと、バブズは不思議に思わずにはいられなかった。「彼女は骸骨そのものでした」
何ヵ月か前にカレンとホテルの前で奇妙なあわただしい別れをしたジョン・デティスは、またマンハッタンに帰ってきたので、カレンと彼とシンガーのダナ・サマーとでブロードウェイのショー≪42丁目≫を楽しもうと思った。リージェンシー・ホテルに電話をしても通じなかったのだが、あとでカレンからかけなおしてきた。「あなたから電話があったって聞いたの・・・・あたしはいま誰にも会えないんだけれど・・・・あなたには会いたいわ・・・・これは絶対に秘密にしてね」
彼女が入院していると聞いてびっくりして、ベティスはタクシーで駆けつけた。元気づけにミッキーマウスのペンを持って、点滴をしているのに驚きながらキスした彼に、彼女が腕を指さしてみせた。「これは気にしないでね。食事みたいなものなの。体重が増えるようにたくさんのカロリーを入れているの。この拒食症とかいう状態から元気よく抜け出せるように、あたしを太らせようとしているのよ」ベティスはダナ・サマーといっしょに劇場へ行く計画−−カレンもいっしょにと思っていたのだが−−を話すのは辛い気がしたが、カレンはいかにも彼女らしく時間に気を配り、ブロードウェイに行くにはもう出発しなければならないと思い起こさせた。目にした光景の悲しさに喉の詰まる思いで、ベティスは勇気を奮い立たせて彼女に微笑みかけて出ていった。有名な<オンリー・イエスタディ><トップ・オブ・ザ・ワールド><愛にさようならを><イエスタディ・ワンス・モア><青春の輝き>などのカーペンターズの曲に詞を書いた男が、彼女を見たのはこれが最後だった。
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カレンは死の前の週は、陽気で活力にあふれていて、仕事上の友人の多くにはごく普通に思えるような行動をとっていた。少なくとも昼間は、彼女は以前のように元気よく街を飛びまわった。しかし、夜が来ると、彼女はソファに横にならなければならなかった。カーペンター家の家政婦フローリン・エリーは、カレンがコンドミニアムリヴィングの床に横たわっているのをよく目にしていた。
けれども、精神的には生き生きしており、リチャードとともに楽しく作った最新アルバムでのすばらしい"カムバック"にはしゃいでいた。創造的な仕事の中断が終わってみれば、ふたりのあいだには変わらず続いていることがいま確認された。そして2月1日火曜日、彼らはサンセット・ブールヴァードのスカンディアで食事をした。ステージ・プロデューサーのジョー・レイトンが同席して、コンサート活動への復帰について話し合った。彼女は前菜とチキン料理をじつに元気によく食べた。
カレンと一緒に仕事をした誰でもそうだが、レイトンもこの「小さなおてんばの放浪娘」に深い愛情を抱くようになっていた。彼ら3人がスカンディアで別れるとき、レイトンは、カレンがまだセーターですっぽりヒップを隠しているし、ヒップを強調しそうなベルトはめったに締めようとしないけれど、安心していいのだろうと思った。彼女の気分は上向きだった。
リチャードはダウニーに、ジョーはウェスト・ハリウッドに、カレンはセンチュリー・シティーのアパートメントに、それぞれ車でもどった。彼らは2度と彼女に会うことはなかった。
1983年2月3日の夜、カレンはダウニーからニューヨークのフィル・ラモーンに電話をした。彼女はたまたまソロ・アルバムを聴き直したと言った。
気遣うように彼女が尋ねた。「ちょっと下品な言いかたをしてもいい?」
「いいよ」
「あのアルバム、すげぇ最高」
次の朝、彼女は死んだ。

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