じじぃの「人の死にざま_1399_竹内・巨麿」

An Ancient Gateway to the Future - The Takenouchi Documents 動画 YouTube
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【日本歴史ミステリー】青森にキリストの墓!?ダ・ヴィンチ・コードの真実!! 動画 YouTube
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竹内巨麿

日本のキリスト伝説!「キリストの里伝承館」【青森】 日本珍スポット100景
竹内文書』は6世紀頃武烈天皇の命により長年秘密裏に保管され、天津教の教祖・竹内巨麿(1874〜1965)によって公開された秘伝の歴史書といわれています。最高裁判所でもその真偽が争われた謎の文書です(原典は東京大空襲によって焼失)。
竹内文書』には『古事記』『日本書紀』と大きく違った奇想天外な日本の歴史が書かれており、そのトンデモな内容は今もオカルトマニアの心も鷲掴みにしています。その『竹内文書』を解読した竹内巨麿がキリストの墓を発見したのがここ新郷村というわけ。
http://b-spot.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=20233260
竹内文書 ウィキペディアWikipedia)より
竹内文書(たけのうちもんじょ、磯原文書、天津教文書ともいう)とは、神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称で、いわゆる古史古伝の書物。天津教の聖典であり、原本は後述の裁判に提出されたが、のちに焼失したとされる。一般には研究家らからは偽書とされている。
平群真鳥の子孫であるとされる竹内家に、養子に入ったと自称する竹内巨麿(たけうちきよまろ)が、1928年(昭和3年)3月29日に文書の存在を公開した。写本の多くは焼失し失われているが、南朝系の古文献を再編したとされる写本もある。
【内容】
竹内文書では神武天皇からはじまる現在の皇朝を「神倭朝(かむやまとちょう)」と呼び、これ以前に「上古25代」(または「皇統25代」)とそれに続く「不合朝(あえずちょう)73代」(73代目は神武天皇のことである)があり、さらにそれ以前に「天神7代」があったとしている。
・「イスキリス・クリスマス(イエス・キリストとされる)の遺言」という「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」で始まる文書がありそれによると十字架上で死なずに渡来(ゴルゴダの丘で処刑されたのは、弟のイスキリと記する)、1935年(昭和10年)8月初に竹内巨麿青森県戸来村(現在の新郷村)で発見した十来塚(竹内巨麿が村長に書くようにいった)が「イスキリス・クリスマス」の墓であるすなわちキリストの墓とし、モーセ十戒は実は表十戒であり、裏十戒・真十戒を含む原文の記された石を天津教の神宝として天津教が所有し、天皇が、来日したモーセに授け、モーセの墓が石川県の宝達志水町に存在している。釈迦をはじめ世界の大宗教教祖はすべて来日し、天皇に仕えたことになっている。

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『神秘学マニア―荒俣宏コレクション』 荒俣宏/著 集英社 1994年発行
日本最大の奇書『竹内文書 (一部抜粋しています)
ここに1冊の古文書がある。この本、もち主だった武内宿禰(たけのうちすくね)の子孫が本の内容を公開したことで不敬罪に問われたとき、水戸裁判所に没収され、戦災で焼失してしまったから、写本しか現存しない。漢字渡来以前の日本文字「神代文字」でつづられていて、なかにはナント300億年にわたる日本民族の歴史がえんえんと書きつらねてある。その本の名は、『竹内文書』といって、日本三大奇書のひとつに数えられる奇本中の奇本なのだ。つまり、日本のネクロノミコン
中央アジアの奥地で誕生した日本民族が、いまから約2億年も前にフキアエズ朝という国家をおこし、以後大陸をさすらい、島国日本へ渡って現在の大和朝廷をつくりあげるまでの歴史を書いたこの本、おどろいたことに当時日本が世界文化の華(はな)だったと記してある。当時日本は人智のメッカとしてあがめられ、キリスト、モーゼ、孔子、シャカといった古代のスーパーマンたちが霊能修業のために、ぜんぶ渡来しているというのだ! しかも日本の天皇は「天の浮き船」というUFOまがいの飛行艇に乗りこみ、世界各地を旅していたとも書いてある。その証拠に『竹内文書』には当時としてはまったく驚異的な世界地図さえ載っている。
ところで、世紀の奇書『竹内文書』がひろく世間に発表されたのは、明治30年代にまでさかのぼる。発見者竹内巨麿氏は日本の古代史に登場する武人武内宿禰の子孫であり、茨城県北茨城郡天津山に法泉寺という寺を建てて、世界一国家日本の復活をめざす新興宗教『天津教』を建てた人だが、この竹内氏が、同家に先祖代々つたわる古文書を出版したところから、奇書の歴史は始まる。同氏によれば、この古文書は1400年も前に『日文(ヒブミ)』と呼ばれる日本古来の象形文字神代文字のことだ)から漢文に書き移されたホンモノの日本史であって、大和朝廷がいいように書き直した『日本書紀』や『古事記』を完全にくつがえす内容をもっているらしい。そこには、まだだれも知らない神々の名が千以上もでてくるだけでなく、キリストやモーゼといったヨーロッパの大物がつぎつぎへとでてくるのだからおどろく。たとえばキリストは、弟イスキリが身代わりとなってゴルゴタの丘で処刑されたあと、シベリアまわりで4年間かけて日本に渡来し、十来太郎大天空と改名してミユ子という日本女性をめとり、3人の女の子にめぐまれ118歳で死んだし、モーゼのほうも能登宝達山神道を勉強し、その土地で死んでいる。キリストも孔子マホメットも、世界じゅうの偉人が20歳から30歳にかけて動向の知れない空白期間をもっているのは、ぜんぶ日本へ来て修業をしていたせいなのだ。
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もともと日本は不思議な宗教国だった。古くは神道というシステムをもっていながら、仏教、儒教キリスト教、ヨガなどありとあらゆる異教システムを同時に取り込む能力に恵まれたぼくたちは、ひょっとすると人類文化の原型をつくった「失われた大陸」の子孫であり、日本の神道はほかの全異教システムの元版(オリジナル)だったのかもしれない。
おもしろいじゃないか。日本にこれだけの秘伝書が存在していたことがわかるだけでも、日本とユダヤがほんとうに合わせ鏡で、それがイエス・キリストウガヤフキアエズノミコトを結びつける強力な絆だとしたら、その運動は世界に広まる可能性がある。カリフォルニアの悪の伝道に、もうひとりヒーローが誕生する。そして、そういう人物を日本人のなかから見つけるとしたら、それは、ヨガの奥儀に達し日本を世界救済の柱と信じきっているこの人かもしれない。

じじぃの「イスカリオテのユダから見たイエス・キリストー22人の証言」

知ってるつもり?!イエス・キリスト』1/8 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JEoIDqNnYEo
知ってるつもり?!イエス・キリスト』2/8 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uIgNiCSWdLk
井上洋治著 「イエス 22人の証言」

十字架に磔になったイエス

BBC地球伝説 「ミラクルは起こったのか?キリストの奇跡にいどむ(1)奇跡に隠されたメッセージ」 2010/1/13 BS朝日
アメリカで人気を博している敬虔なキリスト教徒であるマジシャンのブロック・ギルが、聖地を旅して、キリストの奇跡を検証する3回シリーズ。その第1回では、キリストが起こした有名な3つの奇跡を検証する。
ブロック・ギルは、キリスト教徒でありマジシャンでもあるという立場をフルに活かして、謎に満ちたキリストの奇跡を検証していく。キリストの奇跡はマジックで再現できるのか、それとも本当の奇跡だったのか…? 番組では、CGを駆使した再現ドラマでキリストの奇跡を映像化し、さらにブロックがそれをマジックで再現できるかを検討。ブロックの依頼を受けて、イリュージョンの第一人者が水の上を歩く奇跡を再現するシーンは大きな見どころだ。
結局、キリストがどのようにして奇跡を起こしたのかは謎のままだが、そこに「自分こそが旧約聖書の偉大な人物の再来である」というメッセージが込められていたという結論は、なるほどと思わせるものである。
キリストが起こしたという3つの奇跡とは、未亡人の息子を生き返らせた奇跡、わずかなパンと魚を5000人分に増やした奇跡、そして水の上を歩いた奇跡である。
キリストはなぜ、どのようにしてこれらの奇跡を起こしたのか、ブロック・ギルは聖書をつぶさに調べ、奇跡の起こった現場を訪ねて検証する。
ブロックは、これらの奇跡をマジックで再現できるか検討するが、最初の2つの奇跡については、まったく再現不可能。水の上を歩いた奇跡は、現代のテクノロジーを用いれば可能だが、当時は不可能だったという結論に至る。
キリストがどのようにしてこれらの奇跡を起こしたのかは、結局謎のままだが、なぜこのような奇跡を起こしたのかは、ヒントが見えてくる。旧約聖書を調べると、キリストの奇跡には先例があることがわかる。偉大な預言者や救世主の再来を待ち望む当時の人々の思いをくみ取って、キリストは旧約聖書の偉大な登場人物をなぞろうとしていたようだ…。
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/hi_09_01.html
1700年前のパピルス文書『ユダの福音書』を修復・公開 ユダに関する新説を提示 2006/04/07 ナショナルジオグラフィック
ユダの福音書』は、イエス・キリストとユダの関係に新たな光を当てる重要な史料です。新約聖書ではユダは裏切り者として非難されていますが、新たに発見されたこの福音書には、ユダがイエスをローマの官憲に引き渡したのは、イエス自身の言いつけに従ってしたことだと書かれています。
パピルス文書は冊子状の写本(コデックス)で全体は66ページあり、26ページが『ユダの福音書』です。紀元3〜4世紀にコプト語(当時のエジプトの言語)で書かれたこの写本は、ギリシャ語の原典に基づくとみられています。パピルスの断片をつなぎ合わせて文章を読み取り、英語に翻訳する作業は、コプト語の世界的権威であるスイスのロドルフ・カッセル博士の率いる専門家チームが行いました。
放射性炭素年代測定法、インクの成分分析、マルチスペクトル画像の解析、文章構造の分析、古文書学的な検証という5つの手法で鑑定を行った結果、この写本は後世の偽書ではなく、古代に記された本物の聖書外典であることが確認されました。
支援プログラムを担当するナショナル ジオグラフィック協会のテリー・ガルシア副理事長は「この文書はキリスト教黎明期の歴史と宗教思想を伝える重要な手がかりであり、歴史家や神学者をはじめとする専門家が今後も引き続き研究していくべき、第一級の史料です」と話しています。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_1.shtml
『イエス―22人の証言』 井上洋治/著 日本基督教団出版局 2000年発行
イスカリオテのユダから見たイエス (一部抜粋しています)
あらためて福音書に眼をとおしてみると<さいごの夜>を除けば、イスカリオテのユダに関する記述は、ほとんど断片的といえる2箇所しかない。記録ではなく記憶と創造によって福音書が成立したとすれば、それはやむをえない。イエス自身の出目や来歴でさえ分からないのだから、ましてや使徒たちのそれが不明なのは当然であろう。ユダがイエスをどう視ていたか――それを述べるまえに、とりあえず<裏切り者>という烙印を消し、ひとたびかれの裸のたましいを甦らせてみよう。
「マタイによる福音書」に初めてユダの名が出てくるのは10章4節である。いわゆる12使徒が選ばれる箇所で、記された名前の順序は、かなり意図的である。早くから弟子となった者、そのなかでも中心的な者から順に記されている。そしてユダはさいごに「それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである」と。つまり福音書の書き手は、過去における<結果>をもとに、かれを使徒の末席においたのだ。
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おそらくユダはイエスの<復活>を信じていなかった。少なくと肉体がそのまま傷を負っただけで復活するとは思えなかった。もしそうだとしたら、それは単にみずからの<不死身>を曝すことにしかならない。なんのためにそんなことをするのか――かれには理解できなかった。では、そのあとはどうするのか、どうなるのか、と。そしてイエスの再三にわたる予告が、もし実行されるとしたら……そう思ったときユダの内部に、かっての<暗さ>が、いや<暗い情念>がいつしか甦っていた。イエスが本当に殺されるのならば、わたしが導火線になろう。そして、わたしも死ぬのだ、と。逃げようと思えば、いまからでも間に合う。だが、あの方はもう決めてしまっているのだ。ならばわたしが死へと引き渡す役割を演じてみせようではないか。ユダはそう決心すると出かけていった。「そのとき、12人の1人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った。そこで、彼らは銀貨30枚を支払うことにした」(マタイ26・14〜15)。
マルコ書では、祭司長たちの方から「金を与える約束をした」となっている。マタイ書がマルコ書を下敷きにして成立したとすれば、あたかもユダが要求したかのように歪曲されている。マタイ書の書き手は、どうしてもユダの裏切りを許せなかったため、それを金(=銀貨)のせいにしたのだ。すでに完了してしまったことへの「もし」が無意味であるとしても、あえて疑問をさしはさんでみたい。もしユダの引き渡しがなければイエスは処刑されなかったのか、と。するとイエスの予告はふいになっていたのではないか、と。おそらく福音書を読んで、こうした疑問を抱いた者は、多いだろう。これは危うい設問である。そしてわたしにも、むろん答えられない。……やっと最後の晩餐にたどりついた。イエスはユダについて、こう告げた。
「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(マタイ26・24)。
この発言が<事実>だとすれば、残された11弟子によって伝えられたのだろう。しかし、そうであるならば、なぜイエスはじぶんの弟子と認め、さらには12使徒にまで引きあげたのか。この箇所が福音書の書き手による<付言>だとすれば、納得がいく。書き手はどうしてもユダを、このような人間として烙印を押したかった。もしかすると、かれの内部にもユダの<暗い情念>に似たものがひそんでいたのかもしれない。そこには<近親憎悪>とも呼ぶべきなにかが隠されていた。

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どうでもいい、じじぃの日記。
少し古い本だが、井上洋治著 『イエス―22人の証言』という本を図書館から借りてきた。
この本を読んでいて、2010年 BS朝日 BBC地球伝説 「ミラクルは起こったのか?キリストの奇跡にいどむ(1)〜(3)」をテレビで観たのを思い出した。
テレビで観たようなイエスが行ったといわれる奇跡の話も本に載っている。
イスカリオテのユダから見たイエス」はユダがイエスを金で売るという、裏切りの話だ。
しかし、『原典 ユダの福音書』という本にはユダがイエスをローマの官憲に引き渡したのは、イエス自身が仕向けたからだと書かれている。
エスの活動期間はわずか半年から1年ほどらしい。そして、実際の活動内容はよく分かっていない。
ただ、思ったことはイエスは自身のことを「神の子」として振るまっていたことだ。
エスだけが神の子という教えを拒絶したユダヤ人たちはイエスを迫害した。結果的に、イエスローマ帝国へ反逆者として渡され十字架に磔になって処刑された。
「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」
これは聖書に後から、付け足された言葉だ。