じじぃの「人の死にざま_1510_ヘンリー・モーズリー(物理学者)」

Periodic Table History Project 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9womoDnN4vw&feature=related
元素の歌・日本語バージョン 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=u3TDsx4cNyY
【祝・新元素発見】理研が113番元素の合成に成功! 2012年8月12日 文部科学省
理研・仁科加速器研究センターの森田浩介准主任研究員らのグループが長年取り組んできた新元素合成の実験で、新たな成果が生まれました!
 2004年、2005年に続き、今年8月に3度目の合成とその新たな崩壊経路を確認することに成功しました。これは、新元素の発見の「確定」につながる成果であります。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/ryoushi/detail/1326302.htm
ヘンリー・モーズリー (物理学者) ウィキペディアWikipedia)より
ヘンリー・グウィン・ジェフリーズ・モーズリー(Henry Gwyn Jeffreys Moseley, 1887年11月23日 - 1915年8月10日)は、イギリスの物理学者である。元素の特性X線の波長との原子核電荷原子番号)の関係を見出した。この発見によって原子番号の物理的意味が明らかになり、周期表の未発見の元素を予測するなどが可能となった。
ドーセット州ウェイマスに生まれた。父親はチャレンジャー号探検航海に参加したことで知られる、ロイヤル・メダル受賞者のヘンリー・ノティッジ・モーズリーである。1906年オクスフォード大学に入学し、卒業後、マンチェスター大学アーネスト・ラザフォードのもとで研究した。
1913年、特性X線の波長の逆数の平方根原子核電荷原子番号)と直線関係にあること(モーズリーの法則)を発見した。これはそれまで周期表は、原子量の順に並べられていたが、同位体の存在比率によって、たとえばコバルトとニッケル、テルルヨウ素では原子量の順番できまる位置と化学的性質からの位置とが一致しなくなることがみられた。元素の原子核の陽子数を測定することを可能にして、原子番号の物理的意味が明確にされた。さらに原子番号の43番と61番に空白のあることを示し、後にこれは人工元素のテクネチウムプロメチウムで埋められることになる。

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『根っからの文系のためのシンプル数学発想術』 永野裕之/著 技術評論社 2013年発行
科学史に大きな足跡を残した「数学的」な分類 (一部抜粋しています)
化学の教科書の裏表紙にあった「元素周期表」を覚えていますか? 元素周期表は分類が科学史上で大きな成果を挙げた1つの例です。
「文系」の皆さんは、いやな雰囲気を思い出してしまうかもしれませんが、テストをしようというわけではないので、どうぞ気楽に読んでください。
「元素」というのは、酸素とか水素とかの物質を構成する基本的な成分のことです。
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中世にはヨーロッパを中心にして錬金術が大流行し(実験技術などの向上は見られたものの)、元素発見の歴史は迷走しましたが、17世紀になるとアイルランドのロバート・ボイルが「元素とはこれ以上単純な物質に分けられない粒子である」との定義を与え、18〜19世紀の新元素発見ラッシュを導きました。この頃の科学界における未知元素の発見競争は大変な熱気を帯びていたそうです。
しかし、元素が多く見つかってくると、それはそれで混沌とした状況になってきます。いったい全部でいくつの元素があるかも分かりませんし、まだ見つかってない元素があるのかどうかもわかりません。そんな折、1人の科学者が元素の分類に乗り出します。ロシアのドミトリ・メンデレーエフです。1869年にメンデレーエフは、それまで発見されていた63個の元素を原子量(原子の質量)の順に並べてみました。
すると、例えばフッ素と塩素、ナトリウムとカリウムなどのように、決まった間隔で類似の性質をもった元素が現れることに気がついたのです。これは大変に画期的なことでした。混沌とした多くの元素を幾つかのグループに分類できた上に、このように整理することのよって、当てはまる元素が無い場所も浮き彫りになったからです。
しかもこの話はこれで終わりではありません。メンデレーエフは元素を原子量順に整理することで元素の周期性を発見しましたが、それがなぜかは分かっていませんでした。この謎を解いたのは、1887年生まれのヘンリー・モーズリーというイギリスの若き科学者です。彼は特性X線原子番号(原子量の順に付けられた番号)の関係を調べることを通して、原子番号とはすなわち原子核のプラスの電荷の数(陽子の数)であるという結論に達しました。モーズリーはこれにより元素の周期性を説明しただけでなく未発見の元素の予言もピタリと的中させました。
ここから先は余談ですが、この若き天才は27歳の若さで不幸にも第一次世界大戦中に戦死してしまいます。モーズリーの研究は、当然ノーベル賞に値するものでした。しかし自然科学関連のノーベル賞には「存命中の人だけを対象にする」という規定があったために、モーズリーは確実と言われた受賞を戦死によって逃し、彼の名前は歴史の波の中に埋もれてしまったのです。