じじぃの「人の死にざま_1489_浅原・六朗(小説家)」

童謡てるてる坊主《TeruteruBozu》〜Mille Vents〜 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Bdpl3ti70UU&feature=related
池田町が生んだ文学者浅原六朗の世(全6回)
●信州あづみ野 池田町
http://www.ikedamachi.net/kyoiku/asahara_sekai.htm
てるてる坊主 作詞:浅原鏡村 作曲:中山晋平
1.てるてる坊主 てる坊主
  あした天気に しておくれ
  いつかの夢の 空のよに
  晴れたら 金の鈴あげよ
2.てるてる坊主 てる坊主
  あした天気に しておくれ
  私の願いを 聞いたなら
  あまいお酒を たんと飲ましょ
3.てるてる坊主 てる坊主
  あした天気に しておくれ
  それでも曇って 泣いてたら
  そなたの首を チョンと切るぞ

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原六朗 ウィキペディアWikipedia)より
浅原 六朗(あさはら ろくろう、1895年2月22日 - 1977年10月22日)は、日本の小説家。
長野県北安曇郡池田町村生まれ。父が牧師をしていた福島県石城郡平町(現・いわき市)へ移る。早稲田大学英文科卒。1930年、新興芸術派倶楽部の結成に参加、モダニズム文学の作家として活躍。のち久野豊彦と新社会派を称する。その後、通俗小説、少年読み物を書く。戦後、日本大学藝術学部教授。「てるてる坊主」などの童謡を浅原鏡村の名で作詞した。

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『日本人の勘違い: 「バカボンのパパ」の鼻の下に生えているのは、鼻毛ではない!!』 びっくりデータ情報部/編 KAWADE夢文庫 2014年発行
童謡『てるてる坊主』は、かわいいだけの歌ではない
運動会や遠足の前日に、軒先にてるてる坊主を飾り、晴天を祈った人もいるだろう。
童謡『てるてる坊主』が発表されたのは大正10(1921)年。作詞は浅原六朗で、一時期は教科書にも載っていたが、いつのころからか、3番は歌われなくなっている。
その3番では、明日の晴れを願う歌詩から一転して、こうつづく。
「それでも曇って 泣いてたら
 そなたの首を チョンと切るぞ」
子どもの無邪気な気持ちを歌った歌だと思っていた人は、その残酷さにびっくりしたのでは?

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『案外、知らずに歌ってた童謡の謎』 合田道人/著 祥伝社 2002年発行
てるてるぼうず どうして首をチョン切るの? (一部抜粋しています)
"てるてるぼうず"を漢字で表わすと、当然日を照らすのだから「照照坊主」と書き表すことになる。
しかしこの坊主、最初は男でなく女だった。
 「えっ? てるてる坊主は、あまさんだったということか?」
ちょっと違う。それもこの坊主、日本生まれではなかったのだ。
実のところ、てるてる坊主の正体は中国の掃晴娘(そうせいじょう)だといわれているのだ。
掃晴娘は、必ず掃除のために箒(ほうき)をもっていた。箒は例や悪事だけでなく福をも掃(は)き払うほどに力を持つとされた、一種の呪具(じゅぐ)だった。
その箒を使って雲を掃き払い、晴天に導くのが掃晴娘の役目。
だから中国では、箒を持った人形を吊るしていたというのだ。
その風習が、日本に入ってきたのが平安時代だとされる。天気占いとはいえ、ひとつの祈祷を施(ほどこ)すわけだ。こういったとき日本では、普通僧侶がその任を承(うけたまわ)る。年かさの少ない若い娘さんより坊さんの方が、効果があると信じられていたのである。経験がものをいう・・・、というやつだ。
その当時は、人形をこしらえて軒下ではなく、ナンテンの木の下に吊るした。ナンテンは中国が原産の常緑低木で悪霊を払うという霊力のある木。家の鬼門などにも植えられていた木である。
その霊木の下に人形を吊るし、神に祈祷を捧げていたわけだ。ナンテンのことを"難を転じる"と考え、幸せをもたらしてくれるものともしたのだ。