じじぃの「人の死にざま_316_フランキー・堺」

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「いつ見ても波乱万丈」フランキー堺 動画 きらく
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淡路恵子/坂本九/フランキー堺(駅前弁当/歌のシーン/1961) 動画 きらく
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フランキー堺 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
フランキー堺(1929年2月13日-1996年6月10日)は、鹿児島県鹿児島市出身のコメディアン、俳優、ジャズ奏者(ドラム)、落語家。本名は堺正俊。昭和を代表する喜劇人であった。
【来歴・人物】
父親は鹿児島の士族の家系の出身。また、明治・大正時代に活躍し、映画『ノンキナトウサン』の主役としても知られる曽我廼家五九郎は親戚にあたる。
一家で東京へ引越し、私立麻布中学を経て慶應義塾大学法学部卒業。中学時代の同級に、小沢昭一加藤武がいた。
後に映画に進出して、『駅前シリーズ』など、喜劇を中心に出演。その一方、BC級戦犯の悲劇を描いてテレビドラマから映画にもなった『私は貝になりたい』、『赤かぶ検事奮戦記』などの社会派ドラマ、『幕末太陽傳』などの時代劇、そして『モスラ』や『世界大戦争』などの特撮まで、俳優としても幅広く活躍した。
また、クイズ番組『霊感ヤマカン第六感』の温厚な司会で視聴者に親しまれた。
1996年6月10日、肝不全のため東京都港区の済生会中央病院で死去。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
6月10日−フランキー堺 (俳優・67歳)
誰もが舌を巻くほど多方面にわたって才能を発揮した人である。
鹿児島県に生まれたランキーはいわゆるお坊ちゃま。それ故か薩摩地方に流れる質実剛健なる気風に合わないところがあったらしい。
1939年に上京。慶大法学部に入り、弁護士をめざしていた彼の前にやがて芸能の道が開かれてくる。
音楽、演劇の分野で天賦の才を発揮したランキーは一躍、スターダムへ押し上げられる。
『幕末太陽伝』や『私は貝になりたい』といったシリアスな作品も忘れ難いが、私には松竹で撮った伴淳との名コンビ『旅行シリーズ』が印象深い。
笑わせようとしなくても、その仕草の一つ一つが観客を笑わせた。ランキー堺とは傑出した喜劇役者だったと思う。

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