じじぃの「人の死にざま_12_アインシュタイン」

アルベルト・アインシュタイン - あのひと検索 SPYSEE
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Einsteinian Religion: God Does Not Play Dice! - Richard Dawkins @ UC Berkeley 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bgoiLJZRmtM
重力場

The Standard Model, set in stone

重力波ブラックホールから「観測」 アインシュタインが予言 2016年2月12日 BBCニュース
地球から数十億光年離れた場所で2つのブラックホールが衝突することによって、時空のゆがみが発生しているのを観測したのだ。
この重力波の初観測は、天文学にとって新時代の幕開けだと国際研究チームは言う。
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35557112
NHKスペシャル 「神の数式 第2回 宇宙はどこから来たのか〜最後の難問に挑む天才たち〜」 2013年9月22日
第2回は、物質の理論を手にした物理学者たちが、もう一つの偉大な理論、広大な宇宙を支配するアインシュタイン一般相対性理論(重力理論)との統合をめざし、その2つを網羅する“神の数式”に迫ろうとする闘いを描く。ミクロの物質から、極大の宇宙の果てまで、ほとんどを数式で表すことに成功した人類だが、どうしても説明できない場所が存在する。それはブラックホールの奥底だ。宇宙空間の超ミクロの点を解き明かすことができれば、宇宙がどのように始まったのか、という究極の難問にも答えることができる。
現在彼らがたどり着いたのは偉大な2つの理論を含む「超弦理論」と呼ばれる最新の数式。しかしその数式が示したのは「物質の根源は点ではなく、“ひも”である。そして、この世は“10次元”でなければならない」という、私たちの常識をはるかにを超えた世界像だった。車いすの天才スティーブン・ホーキング博士ら一流の物理学者たちが、ブラックホールをめぐって議論を闘わせてきた、人類の知のフロンティアを映像化していく。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20130922
『マンガ ホーキング入門―天才物理学者の人生とその宇宙論 ヨセフ・マッケヴォイ/著、スカー・サラーティ/イラスト、杉山直/翻訳 ブルーバックス 2005年発行
アインシュタインの死
アルベルト・アインシュタインは1955年4月18日、アメリカのニュージャージー州にある小さな大学町プリンストンで死亡した。彼の最後の願いは、誰も自分の骨を拝むようなことがないように、火葬して欲しいというものだった。その願いにもかかわらず、倫理観の欠如した医師たちは、不必要な解剖を行い彼の脳と目を奪った。ずる賢くたくらまれたプライバシーの侵害である。
1933年、アインシュタインはヨーロッパを去り、アメリカへと向かった。彼はそれまでの独創的な研究をヨーロッパに置き忘れてしまったようである。生涯の最後の22年間は、自分自身の作り上げた一般相対性理論から導かれる宇宙論に関する重要な問題については、まったく研究を行わなかった。それらの年月、彼は盲目的に一般相対性理論の場の方程式と電磁場の方程式であるマックスウェル方程式を量子力学を無視したまま統合することにその身を捧げたのだ。
その統一場の理論についての計算は彼の死の床で見つけられた。

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TIMEが選ぶ20世紀の100人〈上巻〉指導者・革命家・科学者・思想家・起業家 徳岡孝夫 訳 1999年発行
【物理学者】アルベルト・アインシュタイン 【執筆者】ジェームズ・グレイク (一部抜粋しています)
新しい世界を真っ先に目にしたのがアインシュタイン(1879〜1955)だった。空間と時間はリンゴとオレンジのように別個の存在ではなく、ひと組なのだ、と彼は気づいた。合わさったものであり、相同であり、不可分なものなのだ。「以後、空間は空間、時間は時間という見方は色あせることになる」とアインシュタインの師であり、相対論をいちはやく支持したひとりであるヘルマン・ミンコフスキーは語った。「そのふたつを統合するような理論が唯一、独自の現実的な見方ということになる」。われわれにとっては、いまや周知の事実だ。「時空」とわれわれは物知り顔でいう。エネルギーと物質の関係もまた同じだ。こちらも、ふたつの顔を持ったひとつの生き物というわけだ。 E=mc² アインシュタインのこの発表は印象的だった。
これらはどれもショッキングで革命的だったが、科学者ばかりか一般大衆も引きつける、不思議な魅力があった。光の速さ、観測者によって変化する事象の見え方−−それはあっと驚くような出し物だった。1919年に起こった日食のおかげで英国の天文学者アーサー・エディントンは、相対性理論の重要なカギとなる予測を証明する機会を得た。宇宙にできたくぼみとも言える太陽の強い重力、そのわきを通過する際、星の光が実際に測定できるほど曲がることが観測されたのだ。光には質量がある。
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アインシュタインはその理論のすべてを魔法で作り出したかのように見える。「思考実験」を発明したのは彼ではなかったが、それをほとんど芸術の域まで高めた。「同じような時計をはめた双子を想像しよう。ひとりは家にとどまり、もうひとりは高速に近い速さで飛ぶ宇宙船に乗りこむ・・・・」。アインシュタインが1919年からこの方、もっとも有名な科学者であり続けるのもうなずける。
彼は生まれ故郷のドイツでは憎悪の対象となった。ユダヤ人であり、リベラルであり、人道主義者であり、コスモポリタンであるとして、また彼に嫉妬するドイツ人物理学者がけしかけたこともあり、民族主義者や反ユダヤ主義者の恨みを買った。そうした一派の活動が盛んな様子を指して、アインシュタインは「反相対性理論株式会社」と呼んでいた。アインシュタインの言葉はもはや大きな力を持っており、多くの人々が耳を傾け、常に注目の的だった。米国に移住してからはとくにその傾向が強くなった。彼はその力を利用してシオニズムと平和主義を推進し、1939年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領にあてた極秘の手紙の中では、ウラニウム爆弾の製造を勧めた。
多くの神格化された人物と同様、彼にはいくつかの伝説が生まれた。学生時代、数学で落第したとか(そのような事実はない)、本を開いたらしおり代わりに1500ドルの小切手がはさまっていたとか(ひょっとしたらこれは事実かもしれない。彼は日々の仕事に忙殺され、心ここにあらずという感じだった)。靴下や襟やスリッパのことなどお構いなしだった・・・・バス代の小銭の計算ができなかった・・・・自分の住所すら覚えられなかった、などというのもある。その住所というのはニュージャージー州プリンストン、マーサーストリート2番地で、彼は最終的にそこに落ち着いた。プリンストンの町、大学、そして高等研究所と、彼は偉大な科学的才能のオーラを放った。
アインシュタインは1955年にその町で一生を終えた。彼は最後まで量子力学のもっとも不可思議なパラドックスを受け入れることはしなかった。素粒子因果律に従わなかったり、ひとつの素粒子を観測すれば、宇宙のかなたにある別の素粒子の性質を即座に決定できるという考えには「我慢ができない」と言った。彼が自分で満足のいく統一理論を完成させることはなかった。実際、彼は数年間、物理学がそのもっとも太く価値ある枝を伸ばして発展してゆくのを、やや離れた場所から眺めていた。自分は「若い時には苦しいが、成熟してからは何よりも味わい深い孤独」のうちに生きたと彼は言っている。
彼の遺体はだびに付されたが、脳だけは保存されて、プリンストン大学の病理学者トーマス・ハーベイ博士所有のガラス容器の中でもう何十年もホルマリン漬けになっている。フロイトやストラビンスキー、ジョイスの脳を切り刻もうとした者はいなかったが、1980年代になって、神経学者がアインシュタインの脳から灰白質を少しばかり取って調べてみた。結果は何も出なかった。伸び縮みする4次元を頭に描き、エーテルを消し去り、絶対的空間と時間とにわれわれをつなぎとめていたピンを抜き、物理現象が神のサイコロ遊びのような偶然に左右されることを認めようとせず、最後に「生命の永遠性の神秘、また、この世に存在するものの構造に関する知識と知覚」に満足していると語った脳は、ごく普通の脳だったのだ。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
アインシュタイン (1879 - 1955) 76歳で死亡。
1905年、26歳で「特殊相対性理論」を発表し、原子核物理学の窓をひらき、バートランド・ラッセルから「人類はじまって以来最大最深の頭脳」という評を受けたドイツのアルベルト・アインシュタインは、1933年、ヒトラーのナチ政府に追われてアメリカに亡命し、以後プリンストン大学の研究所で、愛嬢と女秘書だけの3人暮らしで静かな研究生活を送っていたが、1955年4月15日、胆嚢炎のためにプリンストン病院に入院し、18日午前1時15分に死去した。
死の数時間前に、彼はドイツ語で何か看護婦にいったが、あいにくこの看護婦がドイツ語を解さなかったので、この20世紀最大の科学者の「最後の言葉」は永遠に失われてしまった。

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生命誌ジャーナル 2007年夏号 年間テーマ「生る」理論と観測が明かす宇宙生成:佐藤勝彦×中村桂子 (一部抜粋しています)
5. 真理には階層性がある
中村 今年は「生まれる」、つまり「始まり」を考えて行くのですが、私からさかのぼって辿り着く人類の誕生。そして生命の起源。さらに宇宙の始まり。それはインフレーションで始まるのだけれど、それには、真空のエネルギーが必要だというように次々考えて行きますと、問題は、究極、世界をどう考えるかということだと思うのです。物理学の中でもこれは次々と変わってきたわけでしょう。
佐藤 私は、理論物理学の人間として、物理学の歴史を踏まえ、物理学の中で、とことん考えていくという立場ですね。最初のアインシュタイン方程式には、宇宙定数というものは入っていませんでした。ロシアのフリードマンという研究者が、この方程式を素直に解くと、宇宙は変化しているという解が得られると発表したのが1922年でした。
中村 アインシュタインは、宇宙を変わらないものとイメージしていたのでそれはあまり嬉しい話ではなかったと言われていますよね。
佐藤  そのとおりです。神話や宗教では、宇宙に始まりがあると考えるかもしれないが、科学者アインシュタインは、宇宙は永遠不変であると考えるということです。この点はニュートンと同じなのです。ニュートン体系では、この宇宙では、いろいろな天体がバランスよく引き合って、永遠の時間が無限の空間に広がっていた。アインシュタイン方程式は、それまでのパラダイムを変える力を包含していたにもかかわらず、アインシュタイン自身は、旧来の信念を変えることができませんでした。フリードマンが、方程式から宇宙は変化するという解を導き出した論文をドイツの雑誌に投稿した時、実は、アインシュタインが審査に当たっており、「あなたの計算は間違っている。私が正しく計算すると、宇宙は永遠に不変だとの解が出た」と冷たい返事を送りました。後日、フリードマンの友人がアインシュタインを訪ね、あなたの審査報告は誤りだと直談判すると、ようやく自らの誤りに気づき、無事に論文は掲載されましたけれど。
中村 でもアインシュタインは、それをまだ信じてはいない。
佐藤 はい。ニュートン万有引力の法則によると、例えば、地上から大砲の弾を発射しますね。力が尽きると地上に落下するし、引力圏を脱すると遥か彼方まで。結末がどちらかは初期条件で決まります。実は、宇宙が変化していると言ったフリードマンの計算が示しているのはこのことなのです。大砲を打ち上げるようにして宇宙は膨張を始め、そのまま膨張を続けるか、逆につぶれるかは、初期条件によるということを示したのですね。
中村 アインシュタインはそれが気に入らなかったのですね。
佐藤 アインシュタイン一般相対性理論の方程式は、ニュートン万有引力の法則をより広く適応するよう拡張したものですから、そこに出てくる力は、「引力」だけで、「斥力」はありませんでした。そこで彼は、宇宙が永遠不変になるように、方程式に宇宙定数を加え、空間に斥力を持たせて吊り合いをとったわけです。
中村 なるほど。
佐藤 ところが1929年、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルが、宇宙は本当に膨張していると実証したんです。そこで、アインシュタインは、宇宙定数の導入を後悔した。
中村 「人生最大の失敗だった」と言ったとか。
佐藤 ええ。そう言ったということになっている。ところがですよ。面白いことにまたひっくり返る。アインシュタインが「失敗だった」、「要らなかった」と言った宇宙定数が、本当にあるということになった。歴史の面白いところです。私がインフレーション理論を考えていたコペンハーゲン時代なんですが。大統一理論により真空のエネルギーの存在が予言される宇宙が、指数関数的に大きくなるモデルを考え、その理論とアインシュタインの理論を連立した微分方程式を解いたんです。そうしたら、アインシュタインが要らないと言った宇宙定数と、真空のエネルギーとが、数学的に同じになるんですよ。面白いでしょう。ピタリ同じなんですから。だから私は、宇宙定数は、宇宙の始まりにおいて復活したと言っているのです。
中村 学問の面白さがヒシヒシと伝わってきますね。偉大なアインシュタインも人間であり、その時々で誤ることがある。そこに、哲学や神学とは違う、科学が持つ特徴があるわけでしょう。哲学や神学が求めている永遠不変の真理と違って、科学で大事なことは、それまでの知識を踏まえて論理的に考えることであり、きちんと考えられた発言が、真剣に議論された結果、正しいとされた真理であれば、後で、あれは間違っていたということがあっても決して悪くないわけですし、それが次の課題、次の答えとつながる。
佐藤 まったくそのとおりですね。科学は、人間が作るものだということがよくわかりますね。
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/53/talk_index.html
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http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3++%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=eerhS7KEGdGIkAWkpZAH&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBkQsAQwAA