じじぃの「未来への提言」考ぱーと2

プレミアム8 未来への提言 元オランダ労組連合議長ロデバイク・デ・ワール 〜雇用不安のない社会をつくる〜 NHK BShi 7月2日
世界のキーパーソンに徹底インタビューする「未来への提言」。今回は、長年、オランダ労働組合連合の議長を務め、「オランダ型ワークシェアリング」を築いた功績で世界に知られるロデバイク・デ・ワールさん(59)。深刻な雇用不安のなか注目を浴びている「オランダ型ワークシェアリング」は、パートタイマーであっても安心して働ける同一労働同一賃金の「均等待遇」政策だ。労働者の雇用を守りながら、企業にも雇用の柔軟性を与え、社会保障を充実させることができる独特のモデルとして、EUはオランダ型政策の導入を各国に指示、ILO(国際労働機関)も「労働時間差別の禁止」の決議に踏み切った。デ・ワールさんたちは、80年代後半、政界・財界・組合がひとつのテーブルについて話し合う雇用改革を進め、「ダッチミラクル」と呼ばれる奇跡的な経済回復を実現した。また1998年には、非正規労働者にも同様の権利を拡大した。日本では、セーフティ・ネットの綻びが目立ち、非正規雇用の労働者がワーキング・プアに陥る厳しい事態が続いている。21世紀、人間が人間らしく働いていくために必要なものは何か。社会の枠組みそのものを変えていくためには、どんな行動が必要なのか。現在はオランダ反貧困ネットワークの議長として、市民セクターの力を結集しているデ・ワールさんへのインタビューから、雇用の未来を考える。
インタビュアー:山田昌弘中央大学教授) 
格差社会パラサイト・シングル、婚活などの言葉を世に送り出してきた社会学者。主な著書に『希望格差社会』『新平等社会』など
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2009008605SC000/index.html
ワークシェアリング 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ワークシェアリングとは、勤労者同士で雇用を分け合うこと。各々の労働時間を短くする時短によるのが典型的な方法である。
オランダ
オランダでは、1980年代前半のオランダ病と呼ばれた大不況を克服するため、1982年に政労使間でワッセナー合意が行われて以来、1996年の労働法改正や2000年の労働時間調整法制定によりワークシェアリングが劇的に進んだ。一連の労働市場改革はオランダ・モデルと呼ばれている。
オランダ病と呼ばれる大不況(1980年代前半)
欧州における天然ガスの大産出国であるオランダは、1970年代の石油ショックによるエネルギー資源価格高騰により多額の収益を上げた。国家財政が潤い高レベルの社会福祉制度が構築されるとともに、労働者賃金も上昇した。しかし天然ガスの輸出拡大はオランダ通貨ギルダーの為替レート上昇をもたらし、同時に労働者賃金の上昇による輸出製品の生産コスト上昇も加わり、工業製品の国際競争力が急速に落ちることとなった。資源エネルギーブームが去った後も、高レベルの社会福祉制度は維持され国家財政を圧迫した。また、労働者賃金の高止まりは、雇用数を絞ることで総人件費を抑えるという選択を雇用者側にさせた結果、大量の失業者を生んだ。1980年代前半には失業率は14%に達するとともに、経済成長率はマイナスに陥った。オランダ病と言わる大不況が国を襲った。
オランダ・モデルと呼ばれる労働市場改革(1980年代〜2000年)
この状況を打開するため、1982年11月24日に、政府の支援により雇用者団体と労働者団体の間で、ワッセナー合意が行われた。労使間で『賃金削減(抑制)』と『雇用確保のための労働時間短縮』が合意されるとともに、この合意を有効なものとするため、政府は『減税と社会保障負担の削減(結果として労働者の減収を補う)』および『財政支出を通じた政府財政健全化と、企業投資の活性化(結果として、雇用の増加を図る)』に関して努力することを約束した。
また、労働法改正(1996年)では『同一労働同一労働条件』が取り決められた。これは、フルタイム労働者とパートタイム労働者との間で、時給、社会保険制度加入、雇用期間、昇進等の労働条件に格差をつけることを禁じるものである。さらに、労働時間調整法制定(2000年)では『労働者が自発的にフルタイムからパートタイムへ、あるいはパートタイムからフルタイムへ移行する権利』および『労働者が週当たりの労働時間を自発的に決められる権利』が定められている。
これらの諸改革の結果、個々人が必要とする収入に基づく多様な働き方が促進されることにより、結果としてパートタイム労働者が増加するとともに失業率も下がった。パートタイム労働者の比率は1983年の18.5%から2001年には33.0%に上昇するとともに、失業率は1983年の14%から2001年の2.4%まで減少することとなった。また、労働時間は、1979年の年間約1600時間から、2005年には1345時間に減少している。
労働市場の改革は民間セクターだけに留まることなく、公務員にも及んだ。現在、教師や警察官といった職種もパートタイム労働者無しでは成り立たなくなっている。なお、パートタイムとは1日の労働時間を縮減するものだけでなく、週の労働日を縮減するものも含まれ、実際には週4日勤務や週3日勤務といった働き方が一般的である。
これら一連の改革はオランダ・モデル(または、ポルダー・モデル)と呼ばれているとともに、世界初のパートタイム経済(ワークシェアリング)の国とも呼ばれている。

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全労連 世界の労働者のたたかい/オランダ (一部抜粋しています)
■「ワッセナー合意」
1970―80年代はじめに高失業率に悩まされたオランダは、フルタイム労働者との均等待遇を保障したパートタイム労働を大規模に導入し、着実に失業率を下げてきた。パート労働導入のきっかけになったのは1982年、政労使三者間で結ばれた「ワッセナー合意」であった。このなかで政府は、産業や企業の交渉担当者に対し、現行の団体協約から生計費スライド条項を撤回すること、失業の削減と利潤増大のために労働時間短縮を行うことを勧告した。事実、労働組合の指導者であったウィム・コック(その後首相になる)は賃金抑制とひきかえに、仕事の保障、社会保障給付の維持、国の決定機関への参加について、政府と経営者に同意した。これがその後の改革の出発点をなした。1983年から1986年の間に賃金は急激に低下し、労働時間が短縮された。しかし高い失業が続き1990年代初めには10%になった。
1993年の労働法改正から2000年7月にいたる一連の措置によってこの合意が発展させられ、パートタイム労働とフルタイムとの均等待遇の保障が確立した。パート労働者には賃金・給与、年金、保健、社会保障、労働条件など、あらゆる面でフルタイム労働者との差別が禁止された。2000年7月施行の労働時間調整法では、フルタイムからパートタイムへ、またその逆への変更を労働者の意思で決めることが可能になった。この結果、同国のパートタイム労働者の割合は37.9%(1997年)で経済協力開発機構OECD)加盟国の中では最高となった。失業率も約3%にまで低下した。
「ポルダー・モデル」(オランダ・モデル)とは、決定の過程において政労使間で協議を行うこの国の機構のことである。実際の段階は1994年に政権にあった労働党(PVDA)、自由党(VVD)、中道左派自由党(D-66)の第一次連立政府の間で作られたが、モデルの諸要素は先のワッセナー合意とオランダ社会の戦前の組織にさかのぼる。
喧伝されたこのモデルは労使協調を特徴としているが、いまでも労働者は協調的でたたかっていないように考えられている。しかし、すでにこの社会の内部でも「もうそのモデルの役割は終わった」と考えている人たちがいる。以下は2002年における団体交渉、たたかい、その他の例である。研究の余地があるので、まず1年間をみていただきたい。
なお、2002年5月15日に総選挙が行われた。キリスト教民主党(CDA)が第一党(43議席)になり、8年続いた労働党を中心とした連立政権に代わり、フォルトゥイン党(LPF)、自由民主党(VVD)の三党連立政府が成立した。2002年3月に結成されたばかりで、下院に議席がなかった、移民の増加反対など極右的政策を掲げる「フォルトゥイン」党の第二党への進出は、内外の人々に懸念を抱かせ、ヨーロッパに波及している右翼勢力台頭の流れを改めて裏付けた。労働党は45議席から23議席に減った。
その後、10月16日、この中道右派バルケネンデ政権は、LPF内の混乱をきっかけに連立政権継続を断念し、誕生後3ヵ月足らずで総辞職した。総選挙は2003年1月。
http://www.zenroren.gr.jp/jp/world/europe/netherlands2003.html
年間実労働時間の国際比較 OECD Factbook 2008
8ヵ国比較 労働時間の少ない順
順位       労働時間
1 オランダ    1,391
2 ドイツ      1,436
3 フランス    1,564
4 スウェーデン 1,583
5 イギリス    1,669
6 日本     1,784  1,784(日本) - 1,391(オランダ) = 393時間
7 アメリカ    1,797
8 韓国      2,357

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[書籍・雑誌]オランダの子供が世界一幸せな理由 2008-12-07 blog Komeyama (一部抜粋しています)
ニューズウィーク日本版1131号44頁から。ユニセフが実施した先進21か国の子供の幸福度調査でオランダが1位だったとの記事です。
http://d.hatena.ne.jp/yoneichi/20081207/p1
どうでもいい、じじぃの日記。
7/5、再放送であったが、NHK BShi『未来への提言』「元オランダ労組連合議長ロデバイク・デ・ワール 〜雇用不安のない社会をつくる〜」を観た。
ロデバイク・デ・ワールさんは以前、保険会社で労働組合活動をしていたが、現在はオランダのアムステルダムに本部を置く人道支援団体で仕事をしている。
番組の最後、デ・ワールさんのキーワードは「信頼」だった。
デ・ワールさんの説明で「信頼」とは「お互いに相手を尊重し、妥協しながらお互いに利益を得る」ということだった。
オランダが世界で一番早く、ワークシェアリングを取り入れて、成功したのはこの「信頼」が政府⇔企業⇔組合でうまく働いたからだという。
   1982年  「ワッセナー合意」  ワークシェアリングが検討された
           ↓
      オランダの奇跡を生んだ
昔、日本に「大岡越前」という名奉行がいた。大岡越前三者一両損というのは実際にあった話かは知らないが、この「ワッセナー合意」も三者一両損と似たものなのか。とにかく政府⇔企業⇔組合が、お互い妥協して、いずれも利益を得るというもののようである。
非正規労働者を簡単に首にできる。そのかわり、政府は失業しても今まで働いた賃金の70%を3年間失業者が受け取れるようにする。企業は首を切っても次の雇用を確保するようにする。派遣労働者の賃金も正規労働者とほぼ同一賃金にする。「ワッセナー合意」で今のオランダの労使関係の基礎ができたのだった。「ワッセナー合意」前のオランダは勝ち組、負け組がはっきりしていて、今の日本と同じだったのだそうだ。
番組でオランダで働く人たちの映像が流れた。
週4日働き3日休む、次の週は週3日働き4日休む。
これがオランダ人の普通の生活なんだそうだ。
デ・ワールさんの話では、オランダでも日本人のようにバリバリ働く人はいるそうだ。しかし、オランダの一般の人々は、バリバリ働く人を哀れな人と見るそうだ。
オランダの国土のほとんどがゼロメートル地帯だ。オランダの人々は干拓によって国土を広げてきた。オランダの人々は昔から助け合って生活をしないと生きていけなかった。労使関係がうまくいっているのはオランダという事情があるのだと言う。
今、デ・ワールさんは老人のために働いているという。
老人ホームでお年寄りのほしいことはすべてエスとする。のだそうだ。