じじぃの「マトモでない私」

『読まない力』 養老孟子 PHP新書 (一部抜粋しています)
マトモでない私
長いあいだ、私は自分がマトモじゃないと思って生きてきた。そもそも医学部を出て解剖をやること自体、あまりマトモではない。医学は患者さんを救う仕事で、死んだ人をどうこうしたって仕方がない。
自分がマトモではないと思えるのは、当たり前だが他方にマトモな人たちがいるからである。そのマトモでない私が書いた本が、いまでは予想を外れて売れたりする。
そうなると、いくら私でもいささか心配になる。もしかして、私はマトモなんじゃないか。マトモでないと思っている人間がマトモに見えるとしたら、その分だけ世の中が変だという結論になる。じゃあ世の中、どこが変なのか。
いまではそれもはっきりしないほど、世の中が変になったのかもしれない。どこが変だかよくわからないのである。
地震が来たら保たないマンションを売った人がいて、買った人がいる。でも、保たないマンションに知らずに住んでいる人のほうが多いんじゃないか。そんな気がしないでもない。保たないとわかったから問題になるが、わからなかったら地震が来るまではわからない。
医学では、これは始終起こることである。癌だと医者にいわれるまで、本人は何とも思っていない。いわれても治らないんだとしたら、いわれただけ損したような気もする。
未来が見えることは、本当にいいことか。そろそろそれも考えなければならない。一寸先は闇。それが怖いのは当然だが、怖くない人生は面白い人生か。自殺が増えるのは、これと関係ないだろうか。
先が見える道と見えない道と、どちらを選ぶといわれたら、私はよく見えないほうを選んできたような気がする。それがよかったかどうか、神様しかわからない。しかしともあれ、退屈だけはしないで済んだ。

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テレビ朝日 相棒 第14話「琥珀色の殺人 2008年2月6日 Yahoo!ブログ (一部抜粋しています)
相棒 第14話「琥珀色の殺人」 2008年2月6日 何者かに殺害されたウイスキー評論家の勝谷(伊藤高)の遺体が自宅で発見された。勝谷はウイスキーをいいかげんに扱う店やバーテンダーに厳しい批評をしており、それがきっかけでつぶれた店もあった。伊丹(川原和久)らは、恨みによる犯行ではないかと考える。一方、右京(水谷豊)は勝谷が殺された時に飲んでいたウイスキーを見て疑問を抱く。勝谷は高価なウイスキーを飲んでいたが、現場に残された飲み方では十分にその酒を堪能できないのだ。勝谷がそのような飲み方をするとは思えず、右京は犯人が偽装したとにらむ。そんな中、右京と薫(寺脇康文)は、勝谷の行きつけのバーの中に三好(蟹江敬三)の店があったことを知る。三好はかつてバーテンダーとしての誇りを守るため、オリジナルカクテルを商品化しようとしたオーナーを殺害し、右京らに捕まったことがあった。
http://blogs.yahoo.co.jp/aremaaaa/53696007.html

どうでもいい、じじぃの日記。
養老孟子著『読まない力』を読んだ。
この本の最後のページに「マトモでない私」がある。
「マトモじゃない」という言葉はどういうときに言うのだろう。
常識がない。KY(空気を読めない)。真面目じゃない。レベルが低い。反応しない。法を破っている。・・・
じじぃも、自分がマトモじゃないと感じている。KYなのだ。KYについてブログに書いたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20081022/1224704872
「じじぃ」という言葉もマトモじゃない。大体、「マトモなじじぃ」などという言葉を聞いたことがない。
「あの人はお歳をとっているけど、マトモなのよ」はどっかにありそうだ。
この場合、「お歳をとっているけど」は少し、マトモなのだ。
もうひとつ。
4/1、再放送であったが「相棒 第14話「琥珀色の殺人」を観た。
「PAIRTICHE(パーチー)」「1970」という高級スコッチが残され、殺されたウイスキー評論家の勝谷がそのスコッチをオンザロックで飲んだらしい。
右京(水谷豊)と薫(寺脇康文)が、その高級スコッチをグラスにそそぎ、鼻でかぐシーンがあった。
刑事は、鼻が悪いと仕事にならないんだぁと思いながら、観ていた。
今、桜が満開の時期である。千葉の田圃のあぜ道には菜の花が咲いている。どんな匂いをしているんだろう。
じじぃが匂いを感じるときは回転寿司にいって、ワサビをたっぷり食べたときぐらいだ。
まだ、気がついていない「マトモでない私」があるかもしれない。