じじぃの「人の生きざま_537_森田・泰弘(JAXA・プロジェクトマネージャー)」

新型ロケット イプシロン打ち上げ成功 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aLryF495Uc8
イプシロンロケットプロジェクトチーム (夢の扉 HPより)



糸川英夫博士とペンシルロケット

ISAS | 森田 泰弘 宇宙航空研究開発機構JAXA
●森田 泰弘 MORITA Yasuhiro 教授
生年  1958年
学位  工学博士(東京大学、1987年)
専門分野 宇宙輸送工学・宇宙システム工学
宇宙輸送工学研究系教授として研究教育に携わるかたわら、次期固体ロケットプロジェクトマネージャ(旧M-Vロケットプロジェクトマネージャ)を務め、日本のロケット研究をリードする。
http://www.isas.jaxa.jp/j/about/professor/m/morita_yasuhiro.shtml
イプシロン、宇宙に飛びたつ』 森田泰弘/著 宝島社 2015年発行
イプシロンにみんなの夢をのせて (一部抜粋しています)
イプシロンペンシルロケット以来の日本の固体燃料ロケットの伝統と最先端技術による革新が融合した、未来志向のロケットである。
イプシロン自慢のモバイル管制はこれまでのロケット開発の常識を覆す革命だ。このような世界も驚くようなチャレンジ精神は固体ロケットの遺伝子であり、イプシロンにもそれがしっかり内臓されていることが誇らしい。
初めて本格的な国際会議でモバイル管制のコンセプトを発表したとき、世界の人たちの反応は冷ややかだった。「そんなことできっこないからやめておけ」、何をばかげたことを言っているんだとばかりに笑っている人さえいた。だから、イプシロン試験機が上がった直後、同じ国際会議で成功の報告をしたときの私の気分は最高だった。あんなに悔しそうなスタンディングオベーションは生まれて初めて見る光景だ。
はやぶさのプロジェクトマネージャを務めた川口淳一郎さんが私に言ったことで、今でも記憶に残っていることがある。はやぶさが無事に地球に帰って来たばかりのことである。
「森田、知ってるか? ヨーロッパからはお祝いのメールがたくさん来たが、NASAからは1つも来ない。あいつら、よっぽど悔しかったんだな」
イプシロンの溜飲も下がった。
しかし、私たちをそんな無謀な挑戦に駆り立てたのは目の前に立ちはだかった試練であった。MーV(イプシロンの一代前のロケット)を超えるロケットを考え出さない限り固体ロケットはおしまい。そんな極限のプレッシャーの中で、起死回生のごとく生み出されたのがイプシロンである。
逆境は、やはり飛躍のチャンスであった。しかも、ありがたいことに、私には仲間がいてくれた。イプシロンロケットプロジェクトチームである。彼らがいなかったら、この逆境は乗り越えることができないくらい大きなものに見えたであろう。
糸川英夫先生の言葉にこういうのがある。もう1つの固体ロケットの遺伝子と呼んでもいい。
「人生に一番大切なものは、逆境と良き友である」
実験場に立っている糸川先生の銅像にそう書いてあるし、糸川先生の生誕100周年に配られた記念のバスタオルにもそう書いてある。私はそのバスタオルを内之浦の旅館の自分の部屋につるして毎日拝んでいた。
本当に良き友(仲間)に恵まれたと思う。
仲間がいれば、どんな逆境も乗り越えられる。そして、その逆境が大きければ大きいほど、飛躍は大きいというわけである。まさに、イプシロン開発は、糸川先生が言ったとおりのロケット開発なのであった。