じじぃの「人の生きざま_41_君原・健二」

君原健二 - あのひと検索 SPYSEE
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1979 すててはいけない君の人生 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bXBlxtsaKHM
Olympic Games Mexico 1968 (Part 2) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=pH5YX8Ar2qM&feature=related
君原健二 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
君原健二(1941年3月20日 - )は日本男子の陸上競技長距離走・マラソン)選手。1960年〜1970代前半の戦後日本の男子第1次黄金時代に活躍した、日本が誇る名ランナーである。特にオリンピックには3度出場して、すべて8位以内に入る偉業を達成した。福岡県北九州市出身。
【人物・来歴】
実家は小間物屋。中学時代、友人から駅伝クラブに入るよう勧められ、断り切れずに陸上を始める。福岡県立戸畑中央高等学校(現・福岡県立ひびき高等学校)時代はインターハイでも予選落ちを経験するなどとりわけ目立った選手ではなく、高校を卒業後の就職活動も思わしくない中、ようやく八幡製鐵(現・新日本製鐵)に入社(八幡製鐵陸上部が長距離を強化することになり、卒業直前になってようやく入社が決まったという)できた。
東京オリンピック直後に箱根駅伝チーム強化をもくろむ河野洋平の肝煎りで早稲田大学入学の勧誘を受け、いったんは入学を決意、上京するが最終的に「自分はすでに大学卒業の年齢を過ぎている」として断念した。
東京オリンピックの失敗は尾を引きなかなか立ち直れなかったが、コーチの高橋は君原に結婚を許した。この結婚をきっかけに君原はこの後次第に復帰し、1966年のボストンマラソンでは優勝を果たす。だがメキシコオリンピックをめざしていた1968年1月、故障に苦しんでいた円谷が自殺し、君原は大きな衝撃を受ける。円谷の葬儀で君原と高橋コーチは「メキシコ五輪で日の丸を掲げる事を誓う」という弔文を送っていた。
そのメキシコオリンピックの代表選考は難航し、君原よりも選考会のタイムが上回った采谷義秋との比較になったが、君原に決定する。メキシコ五輪本番では前回の無念を晴らす銀メダルを獲得し、選考過程での疑問を跳ね返した。
メキシコシティオリンピック
メキシコシティオリンピックは、1968年10月12日から10月27日までメキシコの首都メキシコシティで行われた夏季オリンピックである。
【ハイライト】
・海抜2,240メートルに位置するメキシコシティで開催された。
・マラソンでは、君原健二が2位。3連覇を狙ったアベベは棄権。タンザニアのジョン・スティーブン・アクワリが膝を脱臼しながらも最下位で完走したことで国際的有名人となった。
・ボクシングにおいて、森岡栄治が日本人史上3人目のメダル(銅メダル)を獲得。
・サッカーにおいて、日本が銅メダルを獲得。アジア勢初同種目でのメダル。
・体操では、日本が男子団体で3連覇したほか男子床運動での表彰台独占をはじめ個人種目も席捲。
・空気の薄い高地で行われた事からトラック競技や跳躍競技で多数の世界記録が誕生した。この内、男子短距離走の記録は長らく破られることの無かった快記録が並び、男子幅跳びでボブ・ビーモンが記録した8m90cmは現在でもオリンピック記録として残っている。

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私の履歴書 君原健二 「五感で走る喜び 伝える」 (追加) 日本経済新聞 2012年8月30日 より (一部抜粋しています)
競技者時代、私はマラソンを楽しい、面白いと感じたことはなかった。競技者してのマラソンはつらいものでしかなかった。
走るのがつらくなると、私は目標を小さくする。ゴールまでは遠すぎる。だから、とりあえず、「あと5㌔頑張ろう」と自分に言い聞かせる。それでもつらければ、「あと1㌔頑張ろう」「あの電柱まで頑張ろう」と目標を身近なところに置いて走った。肝心なのは、最後まであきらめないことだ。
その考え方は、1979年の公共広告機構の自殺防止キャンペーン「すててはいけない君の人生」で紹介された。テレビのCMの中に、私のセリフが挿入されている。
 「私は苦しくなると、よくやめたくなるんです。そんなとき、あの街角まで、あの電柱まで、あと100㍍だけ走ろう、そう自分に言い聞かせながら走るんです」
新聞の広告にもなり、広く人の目に触れた。あの広告で自殺を思いとどまった若者がいたと後に聞いた。
最近の私の月間走行距離は多くても200㌔台だ。苦しみを伴うようなランニングはしていない。ゆっくり走って、五感でランニングを楽しむ。走りながら花や山をながめ、鳥のさえずりや波の音を聞く。おいしい空気を吸い、花や海の香りを味わう。そして人と触れ合う。その触れ合いが財産になる。

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こんな凄い奴がいた 長田渚左/著 ベースボール・マガジン社 2000年発行
「首振り走法」 君原健二 (一部抜粋しています)
そのマラソンは「死のレース」と呼ばれた。標高2240メートルの高地だった。酸素濃度が平地の4分の3しかない上に、気温は30度に達していた。
優勝候補のアベベエチオピア)でさえも16キロ地点で歩き始め、2度と走ろうとはしなかった。有望選手たちが次々と脱落していった。
その中で君原は顔色こそ冴えないが、時計のような正確なピッチを刻み、走り続けた。1人抜き、2人抜き、30キロ過ぎには2位まで順位を上げた。しかし、すぐ後ろには優勝候補の一角ライアン(ニュージーランド)の姿が迫っていた。
君原は逃げた。口を半開きにして、首を激しく左右に振って走った。苦しげにあえぎ、顔をゆがめ、頭が大きく揺れる。苦痛をそのままに全身に表した独特の走法だった。
1968年メキシコ五輪、男子マラソン。華麗ではない。ダイナミックでもない。彼の走りは誰よりも危うく見えた。今にも止まりそうだった。しかし、終盤になってもペースは落ちなかった。ゴールした時には猛迫していたはずのライアンとの差は開いていた。苦しげな首を振る姿は、日本中の人々を不安にさせたが、結局それは徒労に終わった。いったいあの走りは何だったのか。
「厚いときは、"厚いですね"と人は汗をぬぐう。寒いときは"寒いですね"と背中を丸める。レースも同じでした。苦しい時には"苦しい"と体に出すのが、自分にとって一番自然だったんです」
ラソンは苛酷な戦いである。敵との心理戦でもある。ほんのわずかな動作や表情の変化が勝負の分かれ目になる。だから苦痛や疲労は可能な限り、心の中に閉じ込めて走る。それがランナーの鉄則である。しかし、彼のマラソン哲学はまったく正反対だった。
科学的にも彼の走法は無駄が多い。人間は頭を左右に振ると重心が揺れて、うまく歩行できない。体の軸がズレて必要のないところに無駄な力を使ってしまうからだ。しかし、彼は周囲から指摘を受けても、フォームの矯正を試みようとしなかった。
「確かに合理的ではないでしょう。しかし、首振りは無意識なんです。自分で首を振っている意識すらないんです」
コーチの高橋進はこう振り返る。
「困窮すると多くの人はクセを出します。たとえば貧乏ゆすりや、大きなジェスチャーで話す人もいます。しかし、それは固有のよさでもあるんです。首振りも同じなんです」
では、果たして首振り走法のメリットはあったのだろうか。日本陸連の小林寛道医科学委員長はこう分析する。
「あえて言えば、腕を振って推進力を得ようとするように、首の筋力を使って前に進もうとしたと考えられます。実は走るために作られたサラブレッドには、最もスピードが乗るゴール前で首を上下はもとより、左右に振る馬も少なくないんです」
つまり苦しげに首を振るのは、最もスピードに乗っている時間であり、一歩でも前に進もうとする生物の自然な姿だったのである。
無意識な「首振り走法」は、限界を超えた練習量で身につけたのかもしれない。過剰な練習で脚を痛めても彼は走った。医者の忠告にも耳を傾けなかった。
「何かから逃れたいという気持ちが痛みを生むように思いました。見せかけの故障であることが多い。痛みにだまされちゃダメなんです。案外走れるようになるものです」
いつの間にか200メートルや400メートル走を何度繰り返してもタイム誤差は1秒程という精密な肉体を作り上げた。そしてついに独特の自然流の境地を切り開く。
「駆け引きなんてつまらないんです。相手のことは推測でしかない。本当にあてにできるのは自分だけなんです」
ラソンで最も必要とされる「駆け引き」さえも気にならなくなった。
レースでは腕時計もメガネもはずして走った。ソックスも脱いだ。人為的な失速を避けるために給水はわずかに5回にした。
自然流を貫いた君原健二は日本男子最高位の銀メダルを獲得した。2400メートルの高地エチオピア出身のマモに続いてゴールした。平地民族では、最高位だった。首振り走法で通算48回のマラソンをすべて完走した。

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君原健二の言葉
「無駄に終わる努力などあり得ない」
「努力の成果なんて目には見えない。しかし、紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる」

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君原健二 Google 検索
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