じじぃの「歴史・思想_491_大分断・ポスト民主主義に突入したヨーロッパ」

【紹介】シャルリとは誰か 人種差別と没落する西欧 文春新書 (エマニュエル トッド,堀 茂樹)

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Charlie Hebdo: “You marched for free speech in 2015, ensure it is respected now”

シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 (文春新書)

エマニュエル・トッド/著
2015年1月の『シャルリ・エブド』襲撃事件を受けてフランス各地で行われた「私はシャルリ」デモ。
表現の自由」を掲げたこのデモは、実は自己欺瞞的で無自覚に排外主義的であった。宗教の衰退と格差拡大によって高まる排外主義がヨーロッパを内側から破壊しつつあることに警鐘を鳴らす。

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『大分断 教育がもたらす新たな階級化社会』

エマニュエル・トッド/著、大野舞/訳 PHP新書 2020年発行

第6章 ポスト民主主義に突入したヨーロッパ より

ドイツが築き上げた「ドイツ帝国」という経済システム

すでに本書でも何度か触れていますが、私の専門である家族人類学では、ドイツと日本を同じ直系家族のシステムを持つ国として分類しています。この両国を見比べてみると、日本の傾向を分析するのは割と簡単なことです。というのも、人口の減少という明確な危機的状況があるからです。日本の将来を考えるための唯一のパラメータは、今後数年で日本がどの程度の移民を受け入れるか、という点です。ところがドイツ。これは大変に難しい問題です。ドイツは人口面では日本よりも規模が小さい。ところが国際的な国家権力を諦めていない国なのです。
ヨーロッパではよく、日本の軍国主義化を懸念する意見を耳にしますが、そのたびに私は、「心配する必要はない」と言っています。人口減少を受け入れた。つまり国家の縮小を受け入れた日本という国が、帝国主義的な方向に行くわけがなく、ましては国際社会においても力を持ちたいと思っているはずがないからです。その点、ドイツは違います。移民を受け入れ、傲慢なほどの姿勢で自国の人口維持に必死になっているのです。そのために東欧諸国との経済システムを再構築し、東欧の安価な労働力で生産した製品を、ドイツを経由して他国へ輸出するという「ドイツ帝国」とも言うべき経済の形を築き上げています。ドイツのGDPは世界第4位(2018年名目)ですが、これに関しては「ドイツ帝国」のシステムを築いたという点を押さえておきべきでしょう。
ドイツは国民全体の高齢化と闘っていて、常に労働力を求めているのです。私はドイツと日本についてかなり研究してきましたが、この両国の人口は世界で最も高齢化していて、中位年齢はドイツが、45.7歳、日本は48.7歳です。一方、アメリカは38.3歳、イギリスは40.5歳、フランスは42.3歳です。

日本は移民の大規模な活用を拒否し、国力の低下を食い止める闘いを諦めてしまいました。ところが、ドイツは世界で最も年老いた2つの国のうちの1つでありながら、前述したように経済力については全く諦めていません。

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東西ドイツは1990年に統合されました。それ以来、ドイツは共産主義で疲弊していた国々を立ち直らせてきました。ドイツは東欧経済に秩序を取り戻し、東欧の労働力人口をドイツの産業システムに組み込みました。その結果、ドイツはユーロ圏内の西と南で競争相手を蹴散らして、ハイテク部門では中国、アメリカ、日本をはるかに凌(しの)ぎ、世界トップクラスの輸出国となりました。この全てを、高齢化した8300万人の国民の力でなしとげたのです。
少し考えてみればわかりますよね。そうです。ドイツはものすごい国なのです。並外れた組織力、効率、能力のある国です。この背景を理解した上で、ドイツが火をつけた今の「移民の波」を分析しなければなりません。同じような出来事は以前にもあったのですから。

フランスの中産階級は無能になった

先ほど述べたように、『シャルリとは誰か?』は激しい論争を引き起こしました。それ以来、フランスでは1年ほど発言を控えた時期もありました。私はあの本で、イスラム系同胞たちが魂の平和を保つ権利を守りたかったのです。あの本を出版したことは、私の生涯で最も誇れる行為の1つであり続けるでしょうし、もしかしたら私の人間としての存在証明であったかもしれません。
この著書がなぜフランスでこんなにも騒がれたのか――簡単なことです。私は、フランスを支配する階級の責任を問い、当時の大統領・オランドを無能だと言い放ち、社会主義政策は凡庸な集団詐欺以外の何物でもなかったと、あれから誰もが考えたことを提示しましたが、それだけではありません。
私が書いたのは、フランスの中産階級が無能だということです。私は、私自身も所属するある階層のフランス人たちを告発したのです。そのことの方が、よほど問題なのです。私は、「今日のフランスの中産階級は、もはやフランス革命の継承者ではない」とはっきり書きました。
彼らは、自由と平等を信ずる革命の申し子ではありませんし、こうした理念など忘れ去ってしまっているのです。もちろん、私の書いたことはものすごい衝撃をもたらしました。なにしろ真実なのですから。
誰もがみな、愚かなエリート政治家たちを隠れ蓑(みの)にしています。ですが、オランド大統領(当時)はある意味で虚構なのです。
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人々はオランドを嘲(あざけ)ることで、自分自身について判断することから逃げているのです。そうすれば、こう口にせずにすむからです。
「私は歳をとりつつある中流階級のフランス人で、まだまだ素晴らしい経済的な特権も持っている。国のお金のおかげで子供たちを安心して育て上げることもできた。でもこれからの若者たちには勝手になんとかしてくれと思う。郊外か刑務所で腐るなり、あるいは少しお利口さんなら、せいぜいくだらない仕事に精を出してくれ、と」
これこそが、『シャルリとは誰か?』の重要な、そして過激な部分です。そして、このように私が指摘した問題は、今でも手つかずのままなのです。

じじぃの「中国・崩れる鄧小平神話・国家主席・習近平という人物をどう見るか!月刊Hanada5月号」

Xi Jinping: China’s president and his quest for world power | Four Corners

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習近平の「鄧小平への復讐」――禁断の華国鋒主席生誕百年記念行事挙行

遠藤誉 2021年3月15日 中国問題グローバル研究所
鄧小平により不当に失脚に追い込まれた華国鋒・元主席は名前さえ出すことが禁止されていたが、習近平はその禁を破った。自分の父・習仲勲を失脚させた犯人が鄧小平だからだ。
毛沢東に後事を託された華国鋒
1976年9月9日、建国の父・毛沢東が他界したが、4月30日には「あなたがやれば、私は安心だ」というメモを残して、後事を華国鋒1921年~2008年)に託している。
そして第一次天安門事件(1976年4月)で周恩来の追悼デモを扇動したとして毛沢東の怒りを買い全ての職を剥奪されていた鄧小平を、なんとか政治復帰させてあげようと、華国鋒は奔走するのである。
◆恩を仇で返し、華国鋒を失脚させた鄧小平
華国鋒の必死の努力の結果、1977年7月、鄧小平は政治復帰し「中共中央副主席、中央軍事委員会副主席、国務院副総理」などの高位のポジションを華国鋒からもらい、中国人民解放軍の総参謀長の地位まで手に入れた。
習近平の父・習仲勲を失脚させた犯人は鄧小平
なぜなら、1962年に小説『劉志丹』を口実に、習近平の父・習仲勲を失脚させた犯人が鄧小平だからだ。
一般的には(と言うよりも、鄧小平の捏造により)、習仲勲が失脚したのは、当時雲南省の書記をしていた閻紅彦(えん・こうげん)が康生に「この小説は反党小説だ」と訴えて、習仲勲は失脚したことになっている。康生は「中国のベリヤ(旧ソ連スターリン時代における死刑執行人)」と呼ばれる人物で、延安時代に毛沢東江青を紹介したことによって毛沢東の覚えめでたくなり重宝がられた。
習近平は、父・習仲勲を破滅させた鄧小平に復讐している
1962年に失脚させられて以来、習仲勲は16年間も牢獄生活や軟禁状態を耐えてきた。写真にあるように罪人として市中引き回しの目に遭い、批判大会で罵倒や暴力も受けてきた。1978年2月にようやく政治復帰して広東省で深圳などの「経済特区」を建設し、華国鋒とともに「対外開放」に命を注いだ。鄧小平は華国鋒が実施した「対外開放」を「改革開放」と言い換えただけで、改革開放の先駆けは華国鋒が実行し、広東省経済特区習仲勲が汗と泥にまみれながら創っていったものだ。
https://grici.or.jp/1961
   

『月刊Hanada』 2021年5月号

【総力大特集 習近平、結党100年の悪あがき】 習近平の行動原理は鄧小平への復讐 【執筆者】遠藤誉(中国問題グローバル研究所所長) より

2つの「謎の事件」

中国は今年7月1日に中国共産党建党100周年記念を迎える。1921年の建党、あるいは1949年の中華人民共和国(中国)建国以降の毛沢東の暴政に関してはよく知られているが、鄧小平の邪(よこしま)な権力欲に基づく陰謀を知る人は少ない。
建国から今日に至るまで、中国の権力闘争において、実は2つの「謎の事件」が横たわったまま残されている。1つは建国当初に高崗(こうこう)が自殺に追い込まれた「高崗事件」で、もう1つは1962年に起きた小説『劉志丹(りゅうしたん)』事件だ。高崗も劉志丹も、1935年に毛沢東が長征の果てに辿り着いた陝西省一帯を掌握する西北革命根拠地の勇者だった。
そして小説『劉志丹』事件で失脚させられたのが、習近平国家主席の父親・習仲勲(しゅうちゅうくん)だ。習仲勲もまた陝西省を中心とした西北革命根拠地を築いた三大英雄の一人である。失脚後、16年間もの長きにわたる軟禁・投獄・監視生活を強いられた。
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劉志丹は毛沢東らが延安に着いたあとまもなく戦死してしまったので、毛沢東は高崗と習仲勲を殊(こと)のほか重要視して、この2人に将来を託そうと考えていた。

それを阻止し、自分の出世のために裏で暗躍したのが鄧小平だったことが、このたび判明した。
実は私自身、5歳の時(1946年)に中国共産党軍の流れ弾に当たって負傷し、7歳の時に餓死体が敷き詰められた長春郊外で野宿生活を強いられた経験を持つ。そのため、中国共産党建党100周年記念を迎えるにあたり、何としても事件の謎を解き明かしてやるという執念のような思いがあり、習仲勲失脚の真相解明に挑んでいたところ、高崗も習仲勲も、失脚させた犯人は鄧小平だということが浮かび上がってきた。

習近平のアキレス腱

習近平が恐れているのはそれ(アリババなどの巨大企業が大きくなりすぎること)だけではない。習近平が、習仲勲の理念とは全く逆のことを行っていることからそれが読み取れる。

それは言論弾圧少数民族問題だ。

習仲勲は1980年末から北京に戻って中共中央書記処書記になり、1988年からは全人代常務委員会副委員長になるが、「異なる意見を認める法律を作らなければならない」と主張し続け、徹底して言論の自由を重んじた。そのため1990年10月30日、全人代常務委員会で激論をしていた会期の最中に鄧小平の声1つで再び失脚に追い込まれ、残りの人生を深圳で暮らした。鄧小平は二度も習仲勲を失脚させたのである。
習近平は、父の理念より共産党の一党支配体制維持を優先して言論弾圧を強化している。これはすなわち、中国共産党による統治は「言論弾圧」なくして成立しないことを証左であることを明確に示している。
少数民族問題に関しても同じだ。
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これだけ鄧小平への復讐の思いで国家戦略を進めながら、この2点に関してだけは父親の理念とは真逆の方向に動いているということは、こうしなければ一党支配体制は維持できないということを示しており、これが中国共産党の特徴であると結論付けることができる。すなわち、ここにこそ習近平政権のアキレス腱があることに注目すべきだろう。

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じじぃの日記。
『月刊Hanada』5月号に、「習近平の行動原理は鄧小平への復讐」という記事が載っていた。
国家主席 習近平というのはどんな人物なのだろうか?
彼は、よく「中国の夢」を語る人物らしい。
「劉志丹は毛沢東らが延安に着いたあとまもなく戦死してしまったので、毛沢東は高崗と習仲勲を殊(こと)のほか重要視して、この2人に将来を託そうと考えていた」
習近平の父親 習仲勲毛沢東にかわいがられた人物だったようだ。
「高崗も習仲勲も、失脚させた犯人は鄧小平だということが浮かび上がってきた」
この記事によれは、習近平の行動原理は父親 習仲勲を失脚させた「鄧小平」への恨みであり、習仲勲をかわいがってくれた「毛沢東」への追従だという。
こんなことが「中国の夢」につながっているとは、夢々知らなんだ。