じじぃの「科学・芸術_288_小説『魔の山』」

Thomas Mann's 'The Magic Mountain' 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GpbWxx_R3oE
スイスのサナトリウム

魔の山』のサナトリウムはいま 2005-01-26 SWI swissinfo.ch
スイス東部にあるダボス(Davos)市は、結核患者の療養所であるサナトリウムが林立していることでも有名。山の空気が治療になるからだ。
https://www.swissinfo.ch/jpn/-%E9%AD%94%E3%81%AE%E5%B1%B1-%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%BE/4354892
『世界文学大図鑑』 ジェイムズ・キャントンほか/著、沼野充義/監修 三省堂 2017年発行
批評は進歩と啓蒙の源なのです 『魔の山』(1924年トーマス・マン より
魔の山』は、1912年にトーマス・マンがスイスのダヴォス高地へ出向き、妻が肺の感染症で療養中のサナトリウムを訪問したことがきっかけで生まれた。当初は、同年に発表した『ヴェニスに死す』の挿話にするための短編を執筆するつもりだった。しかし、1914年の第1次世界大戦の勃発によって、いま描いている世界が突然暴力的な終焉を迎えつつあることを強く意識するようになり、物語の構想がふくらんでいった。
マンはこの戦いによって、ナショナリズムと資本主義社会についての考え方を大きく変え、いわゆる文明社会の価値観が世界を大量死と破壊へやみくもに導いていくことを悟った。この小説はそんなふうにして重要性を具(そな)え、長さも増していき、終戦後の何年にもわたる推敲を経て、1924年にようやく出版されると、大傑作と絶賛された。
魔の山』はハンス・カストルプ青年を主人公とする物語であり、ハンスはいとこのヨーアヒムを見舞いに、スイスのアルプスにあるベルクホーフというサナトリウム(慢性病、特に結核の患者が長期療養するための施設)を訪れる。ハンスの眼前には明るい未来が拓けていて、造船業での就職も決まっていた。
澄みきった空気に、見渡すかぎりの絶景。見舞いの客はほとんど訪れず、平穏な雰囲気に包まれ、病院は閉じたひとつの小宇宙だった。ところが、滞在中にハンスにも結核の症状が表れ、全快まで療養するよう勧められる。結局7年ものあいだ、サナトリウムにとどまるのだった。この小説の筋立ては、ハンスが出会うさまざまな患者たちの話と、ハンスが彼らと交流する様子を組み合わせて構成されている。
サナトリウムで、ハンスは患者たちから教えを受ける。芸術、政治、愛、人間性について――すべての教養小説の主人公が学ぶべき素養だと言える。マンはそこに集まった人々に、第1次世界大戦前のヨーロッパも見られるさまざまな思想や哲学を代表させている。イエズス会士に転向したマルクス主義ユダヤ人、レオ・ナフタ。人道主義を信奉する在俗のイタリア人、ロドヴィコ・セテムブリーニ。享楽主義のオランダ人マラリア患者、メインヘール・ペーパーコルン。どの登場人物もハンスをそれぞれの考えに引きこもうとし、この本の大部分は哲学的な論議に費やされている。そしてクラウディア・ショーシャという女性が現れて、ハンスは恋に落ち、恋愛と性の誘惑という必須科目も学ぶ。
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そもそも教養小説というジャンルの奥底には、ひたむきな意図があり、まさにこの点をマンは揶揄している。たとえば、この小説の語り手はハンスよりもつねに高いところにいて、ハンスが凡庸な若者だということを折にふれて読者に思い出させる。また、教養小説の主人公は、物語の結末では完全に人格形成を終えるはずだが、ハンスは7年間で学んだ哲学や人生の教訓について、真に理解したわけではない。
それ以外の点においても、マンは教養小説の目的を骨抜きにしていて、これは特に時間の経過と物語の進行の関係において顕著である。時間の経過は、病を得て死と向き合う者にとっては、きわめて深刻な問題だが、この密閉されたサナトリウムでは、時間の流れをつかむのは極端にむずかしい。患者たちは過ぎ去った時間について、月単位でしか考えない。過去の出来事に関しては、どれほどの昔のことでも「ついこの前」起こったことのように語り、やがてハンスもその習慣に合わせる。一般に教養小説では、教育が継続的におこなわれ、物語が時系列に語られることが重要である。だがマンは、物事が起こる構図や見通しをハンスにも(読者にも)知らせていない。あらゆる出来事があやふやで時期を特定できず、物語が進むにつれてひとつの章が扱う時間が増え、1日から6年にまで変化する。
このように『魔の山』は、みずからの属するジャンルを痛烈に批判している。教養小説に必要な要素をすべて取りそろえながら、一方で、(モダニズムの冷徹な視点から)そんなものは欺瞞だと、あるいはせいぜいのところ、有益性を評価できないと切り捨てている。だから、これに追随する作品がほとんどみられないのも不思議はない。この作品は教養小説というジャンルに終止符を打ったも同然であり、また仮に受け継ごうとしても、これほど深遠かつ壮大な偉業に後続するのはまず不可能だからだ。

じじぃの「ハレー彗星・生命はどこで生まれたのか?生物はなぜ誕生したのか」

はやぶさ2 あと半年で小惑星に到達 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JzjjD4hyg34
彗星

生命誕生の引き金は彗星によって引かれたのか 2013年03月06日 海外からの最新科学ニュース
ハレー彗星のような彗星は、ジペプチドのような複合分子が育つ基盤になり得る。地球に衝突した彗星によってこれらの分子が運ばれてきて、生命に必要となる複合的なたんぱく質や糖への進化にいたる種が"撒かれた"のだろうか。(Courtesy of NASA)
http://blog.livedoor.jp/dogon23/archives/24239201.html
『生物はなぜ誕生したのか 生命の起源と進化の最新科学』 ピーター・ウォード、ジョゼフ・カーシュヴィンク/著、梶山あゆみ/訳 河出書房 2016年発行
生命はどこでどのように生まれたのか より
生命誕生のモデルとして最初に提唱され、最も有名で、最も長く真実とされてきたのがチャールズ・ダーウインの説である。ダーウインは友人への手紙に、生命は「日光に温められた浅い池」のようなところで生まれたのではないかと記した。真水であれ、海辺の潮溜まりであれ、とにかくその種の環境で生命が発生したとする考え方は、今日でも一部のあいだで唱えられ、教科書にも書かれている。20世紀初頭にはジョン・ホールデンやアレクサンドル・オパーリンといった科学者が、ダーウインの考えを踏襲したうえでさらに発展させた。2人はそれぞれ独自に、初期の地球には「還元的な」転機があったのではないかとの仮説を立てた(酸化とは逆の化学反応を生じさせる大気のことで、そういう環境下では鉄が錆びない)。当時の大気にはメタンとアンモニアが満ちて理想的な「原始スープ」をつくっており、その大気のもと、どこかの浅い水の中で最初の生命が誕生したと彼らは説いた。
このため1950年代〜60年代頃までは、メタンとアンモニアの大気に水とエネルギーが加わりさえすれば、生命の材料であるアミノ酸がごく普通に合成できたはずだと信じられていた。色々な化学物質が溜まっていくような場所がありさえすればいい、と。最も好都合に思えたのが、悪臭を放つ浅い池か、遠浅で温かい海の波打ち際にできた潮溜まりである。そうすれば原始スープに有機分子が満ち溢れ、あとはフランケンシュタイン博士が現れるのを待つばかり、というわけだ。
現在、初期の地球環境を研究している科学者には、この説を疑問視する向きが多い。生物の形成に必要な有機化合物は複雑であるうえ、溶液が高温になれば簡単に分解する。しかも、この原始スープが平衡状態に陥らないように維持しておかねばならず、そのためには膨大な量のエネルギーがいる。ダーウインの時代には知りようのなかったことではあるが、地球(およびその他の地球型惑星)を生むに至ったメカニズムを考えると、初期の地球は有害で過酷な環境にあったはずであり、19世紀や20世紀初頭に思い描いたようなのどかな池や潮溜まりとはかけ離れた場所だったに違いない。
ところが、1980年代の初めに新たな可能性が開ける。先にも触れた潜水探査艇アルビンによる発見を受けて、海洋学者ジョン・バロス(現在はワシントン大学)が地球の生命は海底の熱水噴出孔で生まれたと主張したのだ。新しい分子技術で噴出孔付近の微生物を分類したところ、その見解を裏づけるデータが得られた。DNA解析から明らかになったのは、その微生物が最初の数十億年を非常に高温の水の中で暮らしたか、または低温の場所で生まれたあとで何らかの高エネルギーなプロセスにより、生命を脅かすほどの熱にさらされたかのどちらかだということである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
生命はどこでどのように生まれたのか?
生命の主な構成要素は、自己複製できる細胞と、情報伝達と触媒の両方を兼ね備えた分子なのだそうです。
AIが人間を超えるとか言っていますが、人間はまだ「ゾウリムシ(単細胞生物)」1つ作れないでいる。
私は生命は、アミノ酸を含んだ彗星が地球に衝突してできたのではないかと思います。
はやぶさ2」は、生命の起源を求めて、地球から3億キロメートル離れた小惑星へ往復6年にわたる宇宙の旅を航行中です。
2018年6月頃に小惑星「りゅうぐう(1999 JU3)」に到着し、2020年11月ごろに地球へ帰還する予定です。