じじぃの「科学・芸術_166_トルコ・ユダヤ教徒」

Ladino (Djudeo-Espanyol) Lesson/Leccion 1 - Ken sos tu? 動画 YouTube
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トルコのユダヤ

『トルコを知るための53章』 大村幸弘、永田雄三、内藤正典/編著 赤石書店 2012年発行
オスマン帝国ユダヤ教徒 スペインから追放されたユダヤ教徒 (一部抜粋しています)
イスタンブールのガラタ塔近くにある喫茶店に寄った。すると、店の外にいた女性たちが雑談に興じている。彼女たちが話している言葉はトルコ語ではなかった。その言葉とは、ラディーノ語であった。ラディーノ語とはいまから約500年前にスペインから追放されたユダヤ教徒が使っていた言葉である。頭で理解していても、実際にこの言葉を聞いたときには歴史の不思議さを実感した。発音はスペイン語にしか聞こえないこのラディーノ語は、500年前に地中海の西から東にやってきたユダヤ教徒の子孫によって話されているのである。ユダヤ教徒がなぜスペインで追放され、オスマン帝国に辿り着き、その後どのような運命をたどったのかを述べる。
ユダヤ教徒が民族離散(ディアスポラ)となったのは紀元前後からである。彼らの多くが地中海周辺からヨーロッパ、あるいはイスラム世界にコミュニティーを形成し、商業活動を中心に活動を行ったことはよく知られている。しかし、ヨーロッパでは「キリスト殺しのユダヤ人」として迫害の対象となり、ペストの流行の際などに多くのユダヤ教徒が殺戮された。
一方、イスラム世界ではユダヤ教徒は比較的寛容に扱われることが多く、とくに、イスラム支配下イベリア半島では、セファルディームと呼ばれるユダヤ教徒社会では、多くの著名な学者などを輩出するほど、彼らの活動は活発であった。しかし、レコンキスタが進展すると、やはりセファルディームは迫害の対象になった。イベリア半島での迫害はおもに強制改宗という手段がとられた。それはセファルディームの存在が新たな国家建設に必要であったため、キリスト教徒は彼らを社会の中に取り込もうとしたのである。セファルディームからの改宗者は文字どおり、新キリスト教徒、改宗者またはマラーノと呼ばれた。しかし、その改宗の真偽は疑われ、スペインでは15世紀後半から異端審問がはじまり、異端判決宣告式が開かれるに至る。そして、イベリア半島最後のイスラム半島最後のイスラム王国であるナスル朝が滅び、レコンキスタが終了した1492年、ついにユダヤ教徒追放令が公布されたのである。これによって、10万人以上といわれるセファルディームがスペインから、さらにその後ポルトガルから追放されることとなった。その一部がオスマン帝国にまで移住してきたのである。
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16世紀の勢いを失いつつあったユダヤ教徒コミュニティーであるが、それでも18世紀初頭まで有力なユダヤ教徒金融家や商人も存在した。しかし、オスマン帝国常備軍であるイェニチェリと深い関係を持っていたため、1826年のイェニチェリ廃止とともに、彼らも没落していくことになった。そのため、同じオスマン帝国の被保護民であるギリシャ人やアルメニア人に経済面で圧倒されるようになった。このようなユダヤ教徒の状況に大きな変化をもたらしたのが、西ヨーロッパのユダヤ教徒であった。とくに、フランスのユダヤ教徒オスマン帝国を含むイスラム世界のユダヤ教徒の啓蒙と文明化のために、1860年に万国イスラエル連合を創設。イスラム世界のユダヤ教徒の教化に着手した。その結果、オスマン帝国内にも多くのフランス式の教育制度を取り入れた学校が建設され、オスマン帝国ユダヤ教徒に新たな知識が吹き込まれた。それによって低迷していたユダヤ教徒コミュニケーションの中から、次々と有能な人びとが生まれ、ユダヤ教徒社会に大きな変化が生まれるようになった。しかしながら同時にこの有能な人びとの中から、19世紀末に生まれたシオニズムに傾倒するグループも現れ、次第にユダヤ教徒コミュニティー内で連合派とシオニズム派の対立が発生したのである。
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現在のトルコ共和国ではユダヤ教徒の数はイスラエル建国によって、大きく減少しイスタンブールでも1万人を超える程度といわれている。しかし、首席ラビを中心にユダヤ教徒コミュニティーも現存し、経済界などにおいてはユダヤ教徒の著名人も決して少なくはない。

じじぃの「よみがえる飛鳥美人・赤色や緑色は高貴な色!歴史秘話ヒストリア」

高松塚古墳【携帯Q〜あ〜る案内「あたかちゃん」】 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6UtwLLjXm94
高松塚古墳 壁画

高松塚古墳壁画の岩絵具の原料確認 2015.3.28 産経ニュース
橿原考古学研究所は27日、極彩色壁画で知られる高松塚古墳の石室内で見つかった青色、赤色、緑色の岩絵具が付いた漆喰(しっくい)片を科学的に調べた結果、岩絵具の原料となるアズライト(藍銅鉱)、辰砂(赤色硫化水銀)、マラカイト(孔雀石)の3つの鉱物を確認したと発表した。
漆喰片は、岩絵具で描かれた極彩色壁画の一部と考えられる。これまでの調査から、壁画にはアズライトでつくった群青などの岩絵具が使われたとみられていたが、今回鉱物学的に再確認した。
http://www.sankei.com/region/news/150328/rgn1503280042-n1.html
よみがえる飛鳥美人 国宝・高松塚古墳壁画のヒミツ[後編] 〜歴史秘話ヒストリア スピンオフ動画 2017年5月12日 NHK
【キャスター】井上あさひ
5月13日から期間限定で公開が始まった、国宝・高松塚古墳壁画。
歴史秘話ヒストリアでは、10年に渡る修復作業の成果を踏まえ、壁画の完全デジタル復元に挑戦!
浮かび上がったのは新たな謎。
飛鳥美人は何を見つめているのか?壁画の人々は一体何をしているのか?そして被葬者の正体は?
高松塚古墳の西壁女子群像(飛鳥美人)については髪や表情などの細部に残る染みのクリーニングを行った結果、人物像の輪郭の細かな線や赤色や緑色の鮮やかな色彩が残っていることが分かった。これらの服を着た女性たちはかなり高貴な方であった。
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/270578.html
『話のネタ―会話がはずむ教養読本』 毎日新聞社/著 PHP文庫 1998年発行
なぜ緑色は目にいいのか より
長時間パソコンに向かったり、OA機器を扱っていたり、書類と格闘していたりするとどうしても目が疲れてくる。そんな時、ふと窓から見える公園の緑にホッとしたりする。ちょっとした気分転換になるからだ。
よく、緑が目にいいといわれる。それを戻り色が目にいいというよりも、自然を眺め、遠くの風景を見ることで、結果的に目の神経と筋肉を休めるからというのが定説だが、緑色自体にも効果はありそうである。
元来、色には思わぬ効果が潜んでいる。
たとえば赤――細胞を活性化させる。下着類に赤い色を選ぶと元気になるという。昔からの赤フンにも意味があったのだ。
青――興奮を沈める。青色は心を落ち着かせる。だから勉強部屋に青を使うと、勉強がはかどる。落ち着いのない子どもには青色を着せるとおとなしくなる。
そして緑――この色は他の色に対して補色にあたる。だから、さまざまな色の情報を受け取っている目の細胞にとって、緑色は沈静効果をもたらすのである。
そう考えると、世に出ている緑色のグッズにも納得がいく。グリーンのメガネのレンズ、森林のポスター、カレンダー。観葉植物もグリーン・グッズの仲間に入るだろう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
半年前に買ったトイレマット(カーペット)。
買った当時はマットの色が気にならなかったが、この頃 気になるようになった。
黄色 → ウンコ色。ウンコ色のマットは落ちつかないです。
トイレマットの色は緑色がいいですね。汚れても目立たないし。
飛鳥美人からトイレマットは少し、下品な話でした。