じじぃの「神話伝説_136_回心した人々(信仰)」

Apollo 11 Lunar Landing: HBO From the Earth to the Moon 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=u1ssw5aJyrk
月面から見た地球

回心 ウィキペディアWikipedia)より
回心(かいしん、英: conversion)は、神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験のことを指す。日本語訳の「回心」は仏教用語の「回心(えしん)」の流用または誤用である。回心(かいしん)は他の宗教での類似の体験について一般的に用いられることもある。
パウロの回心】
新約聖書の『使徒行伝』によれば、パウロの職業はテント職人で生まれつきのローマ市民権保持者でもあった。ベニヤミン族のユダヤ人でもともとファリサイ派に属し、エルサレムにて高名なラビであるガマリエル1世(ファリサイ派の著名な学者ヒレルの孫)のもとで学んだ。パウロはそこでキリスト教徒たちと出会う。熱心なユダヤ教徒の立場から、初めはキリスト教徒を迫害する側についていた。
ダマスコへの途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いた、その後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となった。この経験は「サウロの回心」といわれ、紀元34年頃のこととされる。一般的な絵画表現では、イエスの幻を見て馬から落ちるパウロの姿が描かれることが多い。
【ジェームズ・アーウィン
1971年7月26日アポロ15号で月面着陸。
退役後、ハイフライト基金キリスト福音教会所属牧師として布教活動に従事。第2の人生を、ノアの箱舟探索に捧げた。
フリッツ・ハーバー
フリッツ・ハーバーは、ドイツ出身の物理化学者、電気化学者。空気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法で知られる。第一次世界大戦時に塩素を始めとする各種毒ガス使用の指導的立場にあったことから「化学兵器の父」と呼ばれることもある。ユダヤ人であるが、洗礼を受けユダヤ教から改宗したプロテスタントである。
内村鑑三
アマースト在学中、アマースト大学の総長であり牧師でもあるシーリーによる感化を受け、宗教的回心を経験した。

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『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論 ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ/著、花本知子/訳 亜紀書房 2015年発行
われわれを”宿す”惑星 (一部抜粋しています)
歴史に足跡を残す、そういった事件の例に、アポロ計画の宇宙飛行士たちが経験したできごとがある。アポロ号の飛行士たちは、詩人でも哲学者でもなかった。彼らは”行動の人”であり、たいていは空軍のパイロットだった。
長年の訓練を経て、いよいよ月に接近する、というときのことだ。技術的な知識はいやというほど身につけている。疲れる作業を次々にこなしていた。果てしないチェックリストをたずさえた飛行士たちは、なにがあっても準備ができているはずだった。しかし、任務の飛行が、おのおのの人生観を揺さぶることになるとは、考えてもいなかった。ふとした瞬間にふりかえると、地球が月の地平線から昇るのが見えたのだった。飛行士たちの世界観は一瞬にして刷新された。他人にはなかなか理解してもらえない、あまりにも新しく、はっきりとした深い世界観を得たのである。彼らが月から地球を見た瞬間に感じた衝撃を説明しようとするとき、選択の余地はあまりなかった。実際、どの飛行士もだいたい同じような表現を使っている。
 あの距離からだと、親指を立てたら地球がすっぽり隠れてしまう。それまでに経験してきたことすべてが、そして愛情も、悩みも、世界中の問題も、たった1本の指の向こうに隠れるんだ、(ジム・ラヴェル
 私は親指を立てた。片目をつむったら、地球の姿が親指の向こうに消えて見えなくなったんだ。自分が巨人になったとは感じなかった。自分を、とてもちっぽけに感じた。(ニール・アームストロング
 われわれが地球から遠ざかるにつれ、その姿は小さくなっていった。とうとう最後には、ビー玉大になった。とても美しく生き生きとしたその物体は、あまりにもろく、繊細な様子で、指1本で触れるだけでばらばらになってしまうようだった。こんなことを目の当たりにしたら、人生観が変わらないわけがない。(ジェームズ・アーウィン
宇宙飛行士たちの言葉は、単純すぎるように響くかもしれない。だがよく味わってみると感動的だ。概念を説いたり論議したりするわけでなく、その場で心から感じた、直観的な驚きを表している。宇宙飛行士たちは、何年も月の探索を夢見つづけた末に、意外にも地球を発見したのだった。

じじぃの「ちょっと怖い話・生れた赤ん坊を殺すのも仕事・間引き!死の壁」

こけしの秘密【都市伝説】 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NKJU5PCv1UU
死の壁 養老孟司/著 新潮新書 2004年発行
産婆の背負う重荷 (一部抜粋しています)
深沢七郎に『みちのくの人形たち』という小説があります。作家である「私」が、ひょんなことから知り合った東北の男性の家を訪ねていく。その男性は村人たちからは「旦那さま」と呼ばれていた。
なぜそう呼ばれているのか。男性は、自分の家は代々罪深いことをしている、だから村人はそう呼ぶのだと言います。
その家に、「嫁が産気づいた」と村人がやってきます。「私」はてっきり、その家の奥さんが産婆さんなのかと思います。が、村人はその家から屏風(びょうぶ)を借りただけで帰っていきます。
どういうわけか村人たちは妊婦が産気づくと、その家に屏風を借りにくるようです。翌日、「私」男性と一緒に、屏風を貸した家を訪ねます。家からは線香の匂いが漂ってきます。訪ねた先の家の老婆は「母子とも変りありませんでした」と言いました。
出産が終わった家には、例の屏風が立ててあります。その向こうに母子がいるだろうと思った「私」はあることに気づきます。屏風が逆さに立っているのです。「逆さ屏風」は死者のそばに立てるものなのです。
ではなぜ「母子とも変りありませんでした」なのか。「私」は男性に、あの家で何か不幸があったのではないかと尋ねます。そこでようやく男性は、自分の家の「罪」を語り始めます。
彼の先祖はその村で代々産婆をしていました。産婆ですからもちろん出産を手伝うわけですが、同時に間引きを手伝うことも多かったのです。生まれたばかりの嬰児(えいじ)が産声をあげるまえに産湯のタライの中にいれて呼吸を止めてしまうのです。
屏風は生まれてくる子を生かしたいか、間引きしたいかを産婆に伝えるサインに使われていたのです。逆さならば間引きをしたいという意味です。
すでに男性の家は産婆はやっていないのですが、その村では彼の家から屏風を借りるのがならわしになっていたのです。「母子とも変わりない」というのは、予定通り、産婦は大丈夫で子どもは亡くなった、という意味だったのです。
「私」と男性がこの話をしている部屋にも仏壇があった。そのなかには彼の先祖のお婆さんをモデルにした仏像が飾ってあります。そしてその仏像には両腕がありませんでした。
お婆さんは家業の産婆をやっていました。ということは間引きもやっていたわけです。年をとってからお婆さんはそれまでの「罪を重ねたその手」を切り落としたというのです。自分ではできないから身内にやってもらったそうです。
お婆さんはもちろんのこと、その子孫である男性もいまだにその罪深さを背負っているということでした。

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どうでもいい、じじぃの日記。
1年ぐらい前に、阿刀田高の短編小説『迷路』を読んだ。
こんな話から始まる。
徹ちゃんの家は昔はとても貧乏で、子どもが生まれても育てられない。
「このごろはやらんけどな、昔は、どこの家でも殺してたんだ。生まれて、すぐにな……。間引きって言うんだ。昔っていっても、ずーっと昔だぞ。百年以上も昔。江戸時代だ」
徹ちゃんの家も今は貧乏じゃない。だから間引きをしない。
お姉さんが赤ちゃんを産んで、ある晩、散歩に出た。
赤い月が出ていた。
だれも通らない道を歩いていると、急に気味わるくなった。うしろから……すぐ近くで呼ばれたような気がした。
――背中の赤ちゃんかしら――
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小説の始めがこんな話から始まると、ゾクッとしてしまうのではないだろうか。
コケシは、もともと「子消し」からきているという説がある。