じじぃの「人の死にざま_1392_レオノラ・ゴールドシュミット(ユダヤ人教師)」

1935 - Adolf Hitler - Rede am 15. September zu den Nurnberger Gesetzen - weitere siehe Beschreibung 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=POYRCFPMYS4
Kristallnacht- German pogrom of 1938 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=uine5MhOc0I
Leonore Goldschmidt: The Teacher that Outsmarted Hitler The Literacy Site Blog
http://blog.theliteracysite.com/leonore-goldschmidt-the-teacher-that-outsmarted-hitler/#4dXIelI03E4GjguP.97
レオノラ・ゴールドシュミット ウィキペディアWikipedia)より
レオノラ・ゴールドシュミット (Leonore Goldschmidt、1897年11月16日 - 1983年5月7日)は、ドイツの教育者。ラウジッツのゴスダ (Gosda:後のルカイツタル、Luckaitztal の一部) に生まれ、イギリスのロンドンで没した。
「プリヴァーテ・ユーディッシェ・シューレ・ドクトル・レオノラ・ゴールドシュミット (Private Judische Schule Dr. Leonore Goldschmidt)」(レオノラ・ゴールドシュミット博士の私立ユダヤ人学校)は、1936年に正式なアビトゥーア認定校となり、1937年にはケンブリッジ大学の入学試験センターとしての地位を得た。英独語のバイリンガル教育によって、生徒たちはヨーロッパや北アメリカ各地の英語で教育を受けられる大学へ進学しやすくなっていた。1937年には、この学校は、生徒520人、教員40人の規模になっていた。
1939年9月30日にこの学校を正式に閉鎖することとなったとき、ゴールドシュミットは、80人の生徒たちと数名の教員とともにドイツを出国し、イングランドへ脱出した。1940年5月には、イングランド南東部のフォークストン (Folkestone) に再び自らの学校を開校した。彼女は1968年まで、私立学校、公立学校を問わず、イングランドの様々な学校で教員として働き続けた。

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地球ドラマチック 「ナチスに立ち向かったユダヤ人先生」 2014年8月2日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹 2012年 ドイツ制作
ナチスによるユダヤ人迫害に立ち向かった1人の教師がいた。ベルリンにユダヤ人学校を作り、多くの命を救った。恐怖の時代に信念を貫き、闘い続けた教師の真実の物語。
若い女性教師レオノラ・ゴールドシュミット。ナチス・ドイツでは1930年代、反ユダヤ的な政策が行われ、レオノラはユダヤ人であることを理由に解雇される。彼女は当局に何度もかけあい、差別やいじめにあうユダヤ人の子供たちのために私立学校を開校。移住に備えて英語を教えたり、学校をイギリス人所有にするなど、子供たちと学校を守ろうとする。元生徒の証言と再現ドラマを交えて闘いの真実に迫る。
http://www4.nhk.or.jp/dramatic/x/2014-08-10/31/34454/
8月2日放送 NHK Eテレ地球ドラマチック』 「ナチスに立ち向かったユダヤ人先生」より
1930年代、ドイツに反ユダヤ主義の嵐が吹き荒れていました。
ナチスドイツのベルリンであるユダヤ人学校が子供たちの避難場所となりました。
ユダヤ人の子供たちのために立ち上がったのは若い女性の教師でした。
ユダヤ人迫害の真実をある映画製作者が記録に残していました。
1937年、ナチスは政治的宣伝映画を作るためアメリカ人の映画製作者ジュリアン・ブライアンを雇い入れました。
ブライアンは様々な場所に自由に出入りすることを許されました。映画を製作しているなかで、ユダヤ人が迫害されていることに気づき、その実態を世界に知らしめようとしました。
迫害に立ち向かった2人。迫害の恐怖から子供たちを救った教師の勇気ある行動。
ナチスに立ち向かったユダヤ人の先生
差別やいじめにあっていたユダヤ人の子供たちのために学校を設立し、子供たちを海外へ移住させるための手立てを考えたレオノラ・ゴールドシュミットという女性教師がいました。
1933年、新たな法律によってユダヤ人であることを理由に、レオノラは公立学校の教師を解雇されてしまいます。
レオノラは、それに屈することなく、他のユダヤ人教師とともに、ユダヤ人の子供のための私立学校設立に尽力しました。
1935年、ようやく申請が認められてベルリンに「ゴールドシュミット・スクール」が開校します。
差別はユダヤ人教師レオノラ・ゴールドシュミットにも及びました。
ドイツの学校はナチスの思想を植えつけるための場所に変貌。子供たちは授業でユダヤ人はドイツ人よりも劣るのだと教え込まれました。
レオノラは11年も経験をもつ教師でした。
レオノラの孫、「私の祖母レオノラは教師という仕事を愛し、一生を教育に捧げた人です」
レオノラは手紙にこう書いています。
「私は日々、生徒たちの愛情と、想像とほがらかさに勇気づけれれ、助けられています」
ユダヤ人への迫害はさらに強まっていきました。
学校の開校と同じ1935年、ナチスは「ニュルンベルク法」といわれる反ユダヤ主義の法律を作りました。ユダヤ人は国民としての権利を奪われます。
レオノラの孫、「祖母はユダヤ人の身にどんなことが起こるのか、その兆候を早々と見抜いていました。その上でヒトラーの一歩先を行こうと決めたのです」
レオノラは将来生徒たちが迫害を逃れて国外に移住することを想定し、英語教育に力を入れました。
英語教師を確保するため、レオノラはイギリス大使館にかけ合い、フィリップ・ウーリーという英語教師を見つけました。
そして、学校でイギリスのケンブリッジ大学の入学試験を受験できるよう、大学時代の恩師だったワルダー・ヒュブナーというドイツ教育省行政官に嘆願の手紙を送り、ケンブリッジ大学との提携を実現させたのです。
イギリスの大学の入学試験会場という特別な地位を得たおかげで、ユダヤ人のための学校だったにもかかわらず閉鎖を免れることができました。
1938年11月9日の夜、ナチスが何百ものユダヤ人の住宅や商店、ユダヤ教の施設を襲撃しました。「水晶の夜」と呼ばれる事件です。
ゴールドシュミット・スクールは奇跡的に襲撃を逃れたものの、この先いつ破壊されるかわからない状況でした。
そこで、レオノラが考えたのが学校の建物を英語教師のフィリップ・ウーリーに譲ることでした。
建物がイギリス人の所有となることで、ナチスによる破壊を免れることができるからです。
レオノラはすぐにイギリス大使館にかけあい所有権移転の手続きをとり、すぐにフィリップの元を訪ね事情を話しました。
そして、フィリップは急いで学校に向かいました。
学校にはすでにナチスの突撃隊や警官たちがいました。石油をまく者もいて、今にも火がつけられようとしている緊迫した状況です。
フィリップ、「これはイギリスの所有物です。イギリス国王の庇護のもとにあるのです。この建物になにかあれば国際問題に発展します。そうなればあなたに責任をとってもらいます」
ナチスの突撃隊や警官はしぶしぶ、退却しました。
こうして、ゴールドシュミット・スクールは破壊を免れたのです。

じじぃの「グーグルゾン(Googlezon)・EPIC2014・日本のソフトバンク・楽天は勝てるか」

EPIC 2014 日本語字幕版 (Googlezon EPIC 2004年の未来予想) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Afdxq84OYIU
【公式】電子ブック楽天kobo> − 電子ブックリーダー kobo Touch 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=mbUZt4FHiHo
EPIC 2014 ウィキペディアWikipedia)より
EPIC 2014とは2004年11月にロビン・スローンとマット・トンプソンが公開したFlashムービーである。音楽はアーロン・マクレランが手がけた。公開年の春にポインター学院(英語版)で行ったプレゼンテーションが元になっている。全8分でクリエイティブ・コモンズの非商用ライセンスの下で公開されている。
2014年時点の架空の「メディア史博物館」が持つ視点を描いた内容であり、Googleニュースのような人気のあるニュースアグリゲーターやブロギング、ソーシャル・ネットワーキングといったWeb 2.0技術の収束が与える影響、ユーザーが仮定的な未来でジャーナリズムや社会に大々的に参加できることを扱っている。「Googlezon」というスラングが人気を得ていき、このシナリオでは深刻化している主なプライバシーや著作権問題にも触れている。

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文藝春秋』 2014年8月号
グーグル、アマゾンに孫、三木谷は勝てるのか 【執筆者】川端寛(ジャーナリスト) (一部抜粋しています)
世界の仮想空間を支配する「彼ら」が、「テレビ」に触手を伸ばし始めた。その野望が実現すれば、我々はもはやどこに居ても、何をしていても、「彼ら」の手から逃れられなくなる。身を委ねればこの上なく快適だが、何か大切なものを奪われるかもしれない。インターネットの原型であるワールド・ワイド・ウェブ(WWW)が生み出されてから4半世紀。「彼ら」すなわち、グーグル、アマゾン・ドット・コム、アップルのネットBIG3が張り巡らせた蜘蛛の巣は、我々の生活のすべてを覆い始めた。対抗できる日本企業はあるのだろうか。
「それはすべての時世の中で最良の時であり、最悪の時でもあった」
2004年、インターネット上で公開された1本のフラッシュ・ムービーが世界のネット関係者の間で話題になった。タイトルは「EPIC 2014」。チャールズ・ディケンズ二都物語』の一文で始まる約8分間の物語は、1989年にスイスのCERN研究所にいたティム・バーナーズ・リーがWWWを発明したところから始まる。94年のアマゾンの誕生、98年のグーグル誕生、ブログの普及など、ネットの歴史を簡単に振り返った後、05年からフィクションに切り替わる。
05年、グーグルが電子メールや写真や画像など利用者があらゆる情報を容量無制限で保存できる「グーグル・グリッド」というサービスを開始。
08年、グーグルとアマゾンが合併し「グーグルゾン」が誕生する。グーグル・グリッドと、アマゾンが一人一人の購買履歴から利用者の好みを割り出す「推奨システム」が統合され、グーグルゾンはユーザー個人の興味に合わせたニュースをコンピューターで自動的に生成し、配信するようになる。
11年、新聞社のニューヨーク・タイムズ著作権法違反でグーグルゾンを提訴するが、最高裁グーグルゾンが勝訴。ニューヨーク・タイムズは最後の抵抗としてオンラインサービスを停止し、エリート、高齢者のための紙媒体に戻る。
14年、グーグルゾンは消費習慣や政治信念などで利用者を細かく分類し、一人ひとりの利用者が知るべきニュースをコンピューターが自動作成する「EPIC(進化型個人別情報生成システム)」を投入、爆発的な支持を集める。それは我々人類が望んで生み出したものだが「おそらく別の方法があったのかもしれない」というナレーションで物語は締めくくられる。
「EPIC 2014」は、米サンフランシスコのネット企業で働くロビン・スローンなど、数名の若者がニューヨーク・タイムズ・デジタルのCEO、マーティン・ニルセンホルツの講演に触発されて作った近未来の物語だ。民衆が「ビッグブラザー」と呼ばれる権力者に支配されるジョージ・オーウェルの小説『1984』が下敷きになっている。
作者のスローンは、「EPIC 2014」の公開から数年後のインタビューで「オールドメディア(新聞やテレビ)は僕の予想以上に健闘している」と語っている。確かに14年時点で新聞やテレビは広告収入の減少に苦しみながらも生きながらえている。グーグルゾンも誕生していない。
だからと言って、これからもオールドメディアが「第4の権力」で居続けられる保証はない。「EPIC」誕生に向けた準備はさりげなく、しかし着実に始まっているのだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
8月号の『文藝春秋』に「グーグル、アマゾンに孫、三木谷は勝てるのか」という記事が載っていた。
記事に載っていた「EPIC 2014」をユーチューブで見てみた。
インターネットの歴史を振り返るような映像になっている。
ソニーが出てきた。その後、マイクロソフト、グーグル、アマゾンが出てきた。最後は
グーグルゾン」が誕生するところで終わっている。
時価総額でいうと、アップルが55兆円、グーグル38兆円、アマゾン15兆円。それに対し、ソフトバンクが9兆円、楽天は1兆7000億円しかない。
戦後、宇宙開発で日本はペンシルロケットから始まった。今、JAXANASAに比べれば10分の1ぐらいの規模しかない。それでも、「はやぶさ」などでかなりの成果を上げている。
ソフトバンクも、楽天も、ドワンゴも、今後大きな可能性を秘めているような気がする。